白ご飯のおにぎり 7
アルフィリアが宿に戻ってくると、食堂で面白い光景が見れた。
泣きそうな顔の少女と、なだめる年若い青年の姿。
「……犯罪」
「何もしてないよッ!」
噛みつくように反論したユークレースも若干涙目だ。
さて、食堂の椅子に腰かけたリコリスは、涙をこらえて俯いていた。その前に、まるで膝まづくようにユークがしゃがみこんで顔を覗き込んでいる。
「リコリスちゃんや、このおにーちゃんは悪気があったわけではないんだ。許してやってくれ」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる」
ユークがジト目で睨み付けてくるが、アルフィは素知らぬ顔で近くの椅子を引いた。と、その横の椅子にジークハルトの鞄が置かれたままなのを見つける。
ユークとリコリスにそれなりの距離があることを確認し、アルフィは鞄を引き寄せた。
「……で。何があったんだ」
「キュ、グェ」
「……」
「キューキュ、キュイ」
「……すまん、分からんよ」
覗き込んだアルフィに、ジークが説明してくれようとしたのかしないのか顔を上げたが、あいにくドラゴン語が分からない。アルフィは首を振ると鞄をそっと元に戻し、人間語の話せる旅の連れに目を向けた。
ユークは視線に気づいたのか顔を上げ、少しだけバツの悪そうな顔をした。ひとつため息をつき、観念したようにこう言う。
「……今日は、まだナァくん見つけられなくて」
「ナァくん?」
「ネコ」
あぁなるほど、とアルフィは納得した。
「見つけられなかったのか」
バレたわけではないのだとアルフィが心の中で残念がっていると、きっと眉を吊り上げたユークが反論した。
「今回は探す時間が足りなかったの!」
小さく「キュー……」と同意の声も聞こえる。小さい鳴き声だし、食堂はまだ開店時間ではなく準備中の札が立てられているのでアルフィたち以外は誰も居ない。ので、ジークのことは気にしない。
リコリスを見ると、唇をかみしめて俯いている。やっぱりダメなのだろうかという諦めの心と、諦めきれない感情が渦巻いているのだろう。
「そう落ち込むな、リコリスちゃん」
ひとつため息をついて、アルフィはリコリスに向かって呼びかけた。
「そこのおにーさんは探し物のプロだ。そのうち何か分かると思うよ」
ユークがきょとんとして、それから嬉しそうに目じりを下げた。耐え切れず、アルフィは視線を逸らす。
「それに、ネコがちょっとの間いなくなるのは珍しいことじゃないんだ」
リコリスが少しだけ顔を上げる。アルフィは腕を組んでみせた。
「好奇心旺盛な性格だからな、あいつらは。興味があるものが目の前にあると、何もかも忘れてひょいひょい付いて行ってしまうんだ。それで危ない目に遭うのも否定できないが、」
そこで区切ると、見るからに不安そうな顔になったリコリスが居る。だがアルフィは首を振った。
「その危ない目に遭う経験も必要なんだよ。でないと何が危険か分からないだろう?」
リコリスが口を閉じ、瞬きをする。アルフィはくすりと笑った。
「危険がないように守ってやるのも大事だけどな。ネコってのは飛び出していかなきゃ気が済まない性格だから、ちょっといなくなるのは仕方ない。けどあいつらは冒険慣れしてるから、ちょっとやそっとのことじゃ危ない目に遭わない」
「……ほんと?」
リコリスがおずおずと聞いてくる。アルフィは頷いた。
「だから、ナァくんが出ていったのはリコリスを嫌いになったわけじゃないよ」
ユークがはっと息を呑んだ。アルフィは構わず、リコリスに視線を合わせる。
「ネコの習性だ。そのうちそこのおにーさんが情報掴んでくるだろうし、ナァくんを信じて待つのも、ネコの飼い主として大事なことだよ」
諭すようにそう言うと、リコリスは神妙な顔でこっくり頷いた。
そこからネコの生態だとかネコの習性だとかを語り出すアルフィの話を、リコリスは神妙に聞いている。独特な口調の話は少女の興味を引いたようである。
意外と子供好きなのかもしれないと、ユークが微笑ましく二人の様子を見ていた時。
「……ありがとね」
いつのまにか傍に来ていた女将が、同じように二人の様子を見ながらそう告げた。
「リコリスのネコ、探してくれてるんだろ?」
「あぁ、まぁ……でも今日は見つけられませんでしたけど」
ユークが肩をすくめると、女将が首を振る。
「冒険者さんたちには関係のない話だろうに、一所懸命にやってくれて有難いよ。あの子も人見知りするはずなのに、もうこんなに仲良くなってる」
穏やかに話す女将の顔は嬉しそうに綻んでいる。ユークは少しくすぐったくて、頬をかいた。
「……いえ、まだお役に立ててないので」
「いいのさ。十分嬉しいよ」
女将は穏やかにこう言った。ありがとう、と。
「あー、つっかれた」
部屋に戻ったユークは、素早くシャワーを済ませた後そのままベッドに倒れこんだ。
その様子を見て、衝立を立てていたアルフィがくすりと笑う。
「大変だったな」
「アルフィのうらぎりものー」
「ジャンケンで負けたお前が悪いんだろう」
正論を言うと、ユークは黙り込んだ。
その様子にアルフィは噴き出す。
「色男は辛いな」
「あーもう、女の子の泣き顔って苦手なんだよー」
枕に額を押し付け、げっそりとした表情でユークが言う。拗ねた様子のそれに、アルフィはますます笑いを強くした。
「そりゃ古今東西、女の涙は最後の武器だからな」
「そう言ったアルフィの涙は信じないことにしよう」
「よし行けジーク」
鞄のふたをアルフィに開けてもらったジークがぴょんと飛び出し、主のベッドにそのままダイブする。
「ぐえっ」
小さな体はユークの背中に激突した。カエルの潰れたような声が聞こえるが、アルフィは気にせず眉間を軽く揉む。ユークの物言いたげな視線も無視した。
「……けど、アルフィって結構子供好きでしょ」
やがて諦めたのかユークが違う話題を提供する。自分のベッドに座って髪をほどきながら、アルフィは首を振った。
「あいにく子供は苦手なんだ。どう接したらいいか分からない」
「へぇ、あれで?」
「あの態度で良かったのか、分からないんだ。今まで子供と接する機会もなかったからな。いや、子供自体は嫌いじゃないと思うんだが。そう言うユークは子供好きそうだな」
「そうだねぇ、嫌いじゃないよ。面倒見る機会もあったからね」
なんとなく、アルフィはユークが子供たちと一緒に走り回る風景を思い浮かべてみる。想像の域だったがしっくりなじむような気がした。そこにジークがいればなおさら。
「あー、しっかし、なんでネコの行動範囲ってあんなに広いんだろーね……どーこ行っちゃったんだろ」
ユークが呆れたようにそう呟けば、背中にいたジークが同意するように羽根を広げた。
苦手だ苦手だ散々言ってはいたが、ちゃんと真面目に探したらしい。アルフィは肩をすくめる。
「……見つかると良いな」
「そうだね。せめて目撃情報でもあればいいんだけど」
明日は市場の方まで行ってみるか、とユークはジークに言っている。
その呑気な様子を見ながら、アルフィはぼんやりした。
頭に上ってきたジークに「……ジーク、そこ重い」などと苦情を漏らすユークの顔は見えないが、恐らく困ったように笑っているのだろう。
二人の平和な姿は、恐らく何年も同じ光景を繰り返しているのだろうということが分かる。
「……――聞かないよ」
「ん、なに? アルフィ」
小さく呟いたのだが、ユークには聞こえたらしい。首だけで振り返るユークに、アルフィは頭を横に振って「いや、なんでもない」と誤魔化した。
「私もシャワー浴びる。今日は早く寝るぞ、明日は朝からネコ探しだ」
「あれ、薬草は?」
「……あれだけ必死に頼まれたんだ。優先順位もつけたくなる」
その言葉を聞いたユークの表情が簡単に想像できて、アルフィは背を向けてシャワー室に駆け込んだ。
ドアの鍵を閉めて、そのままドアに背を預ける。ぼんやりと天井を見て、目を瞑った。
その闇の中、アルフィは心の中でもう一度答える。
聞かないよ。
聞いたところで自分が力になれるとは思えないし。
食べ物の趣味が合ったから一緒に旅をすることにした。それだけだ。それだけなのだ。
深入りしない。させるつもりもない。
けれど同時に、アルフィの頭の片隅ではもう一つの声が聞こえる。
こんなふうに自分に言い聞かせている時点で、それはもう手遅れなのではないか、と。