言霊って、音って…何?
ある時、気づいた。
テレビで流れる数々のニュース。読み上げられる名前……その名前の持つ音の強さ。
彼女は思った。
“音が強い”
と。
写真が映り、見た印象と名前の音が釣り合わない。
それを何度も見ていたら気づいた。
“あぁ、あの人たちは名前に負けてしまったんだ”
しいて言うならば、名前の持つ音の強さに耐えられなかったんだ。
みんなそうだ。音の強い子でも生きている人はいる。でも全ての人がその音に耐えられるとは限らない。
そういえば、ここは言霊の信じられている国だったのに。音の強さを昔から知っていたのに。何故忘れらているんだろう?
言霊は音の強さだ。言葉は武器だ。
いじめや悪口、言葉で人を殺すことが出来てしまうというのに、文字が人を殺さないなんて誰が決めたのだろう。
前に見た人名辞典には載っていたじゃないか、名前の一文字目にはつけない方がいいなどの注釈が。
それは絶対ではない。親だって一生懸命考えて、いろんな意味を持たせて名前をつけるんだ。
でも、私たちの思惑を外れたところに音が存在する。
霊を信じない人には霊を感じたりしない。存在を否定しているのだから。
言霊だって、音の強さだって、いったいこの現代で何人の人が信じているのだろうか。
でも、信じている人がいる限り、それは存在のする物になるんだろう。
あたしの姉だって、名前負けしたって母さんが教えてくれたっけ。
あたしが生まれるずっと前。名前を付けた途端、高熱で障害を持ってしまったんだって。短命だったんだって。でも、必死に頑張って生きていた可愛い娘なのよ。って。
絶対ではないけれども、確かに存在するのかもしれない、音の強さ。言葉の強さ。
あぁ、だから人はこんなに考えているのか。
“言葉”は“音”。文字という表現を得たことで音よりも、もっともっと強い力を秘めたそれを扱うのに失敗しないように。
だからか、なんとなく人の名前はそのまま人柄を表している。そんな気がした。
『似合わない』
なんて言う子もいたけど、そんなことはなかった。
字のバランスだってそう。
音の持つイメージやバランス。それは私にとって無視できないほど意味を持つものだった。
母さんは、『だからあなたの名前は気にしたのよ。』って。
『あなたはきっとあの子が出来なかったことをするために生まれてきたのでしょうから。』
『あの子は、あの子なりに出来ることをしたから。お医者さんに言われた年数よりずぅっと永く、約二年も永く精一杯生きてくれた。私の出来る精一杯のことを受け止めてくれた』
『あの子の仏壇の前で供養していたら、お腹に何か入った気がしたの。私、絶対女の子だと思ったのよ。あぁ、また私のところに女の子が生まれてきてくれるんだ……って。』
『私の可愛い子。私がしていることがあなたの為になるかは分からないけど、あの子の分まであなたにしっかり生きていってほしいの』