五年後、広場にて
王都を離れるのは、久しぶりだった。
視察という名目ではあったが、アルドリックは半ば逃げるように城を出た。
秋の風は冷たく、街道の木々は赤く色づいている。
馬車は小さな地方都市で止まった。
復興の成功例として報告を受けていた場所だ。
市場は賑わい、子どもたちが走り回り、露店からは焼き菓子の甘い匂いが漂っていた。
――平和だ。
それだけで胸が少し痛んだ。
「少し歩く」
護衛を下がらせ、王子は人混みへ入った。
王族だと気づく者はいない。
それが妙に心地よかった。
広場の中央に、人だかりができている。
笑い声。
拍手。
柔らかな光。
思わず足が止まった。
白い外套の女性が、子どもの手を取っていた。
淡い光が傷を包み、泣いていた少年が驚いたように目を見開く。
周囲から歓声が上がった。
その声は、かつて王城で聞いたものとは違った。
敬意でも崇拝でもない。
――安心の音だった。
女性が顔を上げる。
風が金の髪を揺らした。
アルドリックの呼吸が止まる。
エレノア。
名を呼ぶことはできなかった。
彼女は少し大人びていた。
表情は穏やかで、以前よりもよく笑っていた。
隣には青年がいた。
騎士だろうか。
自然な距離で立ち、彼女が人々に囲まれると静かに道を整えている。
彼女が何かを言い、青年が笑った。
そのやり取りはあまりにも自然で、
そこに自分の入る余地が一欠片もないことを、王子は理解した。
拍手がまた起こる。
彼女は深く頭を下げた。
その仕草は昔と同じなのに、
もう王城の誰にも向けられていなかった。
王子は一歩下がった。
気づかれない距離へ。
それが正しいと分かっていた。
彼女がふと空を見上げ、微笑む。
ただそれだけで、胸の奥が静かに満たされる。
近づかなくていい。
言葉もいらない。
幸せなのだと分かったから。
護衛が遠慮がちに声をかける。
「殿下、お時間が」
「ああ」
王子は頷いた。
最後にもう一度だけ振り返る。
彼女は子どもたちに囲まれ、笑っていた。
その光景は眩しく、
そして、とても穏やかだった。
馬車が動き出す。
広場の喧騒が遠ざかる。
アルドリックは目を閉じた。
後悔は消えない。
だが、痛みは少しだけ形を変えていた。
――これでいい。
そう思えたのは、初めてだった。
彼女のいない未来を、
ようやく自分のものとして歩き出せる気がした。




