偽りの聖女だった私の、その後
彼女が聖女だった頃の話を、覚えている者はもう少ない。
王都の外れ、小さな巡礼宿で、リリアは洗濯物を干していた。
冷たい水で指先は赤くなり、かつて宝石に飾られていた手とは思えない。だが、それを気にする者はいないし、本人ももう気にしていなかった。
「リリア、水桶もう一つ頼むよ」
主人に呼ばれ、彼女は「はい」と素直に返事をする。
昔なら考えられないことだった。
かつて彼女は“選ばれし聖女”だった。
奇跡を起こす存在。
民に愛され、王子に寄り添い、誰よりも祝福されるはずの少女。
――そう、思っていた。
実際には違った。
奇跡は彼女の力ではなかった。
祈りの儀式も、治癒の光も、国を守っていた結界も。
すべて、本物の聖女が支えていた。
静かで目立たない、あの少女が。
リリアはただ、称賛を受け取っていただけだった。
最初は知らなかった。
途中で気づいた。
でも――やめられなかった。
拍手は甘く、視線は心地よく、王子の優しさは自分の価値だと思いたかったから。
だから彼女は笑った。
本物の聖女が断罪された日も。
「偽物が排除されてよかった」と。
その三日後、結界は崩れた。
魔物が現れ、治癒は止まり、祈りは空を切った。
国は混乱し、調査が始まり、真実はあまりにも簡単に暴かれた。
彼女は処刑されなかった。
ただ、聖女ではなくなっただけだった。
称号を失い、家名を外され、王都を去ることを命じられた。
それだけ。
それだけだったのに。
誰も彼女を見なくなった。
洗濯物を干し終え、空を見上げる。
夕焼けが広がっている。
ふと、巡礼客の会話が耳に入った。
「新しい聖女様、すごいらしいな」
「辺境の疫病、一晩で鎮めたって」
リリアは手を止めた。
名前も聞こえた。
聞き覚えのある名前だった。
胸の奥が、少しだけ痛む。
嫉妬ではない。
後悔でもない。
ただ、理解だった。
――あの時、隣に立っていたのは奇跡そのものだったのだと。
風が洗濯物を揺らす。
彼女はそれを押さえ、少し笑った。
「……明日は、晴れそう」
誰に向けるでもない言葉。
拍手もない。
視線もない。
奇跡も起きない。
けれど、水桶は重く、夕食の匂いは温かかった。
そして彼女は、ようやく知った。
祝福とは、与えられるものではなく、
失ってから気づくものなのだと。




