第5話
翌朝、目が覚めると、隣のベッドはすでに空だった。
一瞬だけ「夢だったか?」と思ったが、テーブルの前に座るユキの姿を見て安堵する。白銀の髪が薄暗い石造りの部屋の中でもはっきりと目立っていた。
「おはようございます、ご主人様。」
ユキが静かにこちらを向いた。表情はほとんど変わらないが、昨夜よりも顔色が良い気がする。
「おはよう。早いな、いつから起きてたんだ?」
「少し前に。この部屋には窓がありませんので、朝なのかどうか判断がつかなかったのですが。」
そう言われてみれば、そうだ。ダンジョンの居住エリアには窓がない。時間の感覚は完全にスマホ頼りだ。
壁に時計くらいは設置しておくべきかもしれない。
「朝飯にしよう。悪いけど、昨日と似たような感じになる。」
レトルトのパスタソースをパックの麺にかけるだけの簡素な朝食を用意した。ユキは黙ってフォークを手に取り、食べ始める。結構器用なのか、はたまた向こうの世界にもフォークは存在したのか、普通に使いこなしていた。
食事を終えて、テーブルに二人で向かい合う。
俺は深く息を吐いた。
「さて。昨日は色々あったけど、そろそろ現実と向き合わないとな。」
スマホを取り出し、銀行口座の残高を確認する。画面に表示された数字を見て、胃のあたりがきゅっと縮んだ。
ダンジョンマスターに覚醒してから約2週間。居住エリアの構築にかかった費用、ポーションの大量購入、引っ越し時の諸経費。会社員時代にコツコツ貯めた貯金が、恐ろしい勢いで減っている。
残高から逆算すると、このペースなら1ヶ月ちょっとは持つ。だが収入のあてが無い以上、座して待てば確実にゼロになる。
「ご主人様。何か問題がありますか?」
俺の表情から察したのか、ユキが聞いてきた。隠しても仕方がないので、正直に話す。
「金の問題だ。この世界で生活するには金がいる。食べ物を買うにも、何かを揃えるにも、全部金だ。で、今の俺には収入が無い。貯金はあるけど、このままだと1ヶ月くらいで底を突く。」
ユキはしばらく黙って聞いていたが、やがて口を開いた。
「私の世界でも、生活を維持するための対価は必要でした。通貨の形式は異なりますが、概念は理解できます。……ですが、この世界の仕組みについては、私には知識がありません。」
「だよな。俺だって、ダンジョンマスターとしてどうやって稼ぐのかなんて、正直よく分かってない。」
元社畜と異世界のエルフが二人で顔を突き合わせて金の心配をしている。なかなかシュールな光景だが、これが現実だ。
「ちょっと調べてみるか。」
俺はスマホを操作して、ダンジョンマスターの収入に関する情報を検索し始めた。そういえば、基地局は近くにあったけど、ダンジョンの中でも電波が入るんだな。
すると、ユキの視線が俺の手元に向けられているのに気づく。蒼い瞳が、スマホの画面をじっと見つめていた。
「ご主人様。その、手のひらに収まる光る板は何でしょうか。」
「ああ、これはスマホ。えーっと、説明が難しいんだが……世界中の人が書いた情報が、この中から見られるんだ。文字も絵も、大量に。」
ユキの瞳が僅かに見開かれた。彼女にしては珍しい反応だ。
「世界中の、情報……ですか。」
「そう。インターネットっていう仕組みでな。誰かが書いた知識とか、最新のニュースとか、色んなものが検索できる。便利だけど、嘘も多いから全部は信用できない。」
「嘘も混じっている、ですか。……それは、知恵と選別の力が試される道具ですね。」
なるほど、そういう捉え方をするか。的確だと思った。
「まぁ、ざっくり言えばそうだな。今はこれでダンジョンマスターの稼ぎ方を調べようとしてる。」
ユキは小さく頷いた。
「私にも、見せていただけますか。」
「もちろん。」
俺はスマホをテーブルの中央に置き、二人で画面を覗き込む形にした。検索ワードを入力しながら、出てきた情報をユキにも読めるようにする。
ユキが身を乗り出すようにして画面を覗き込んでくる。白銀の髪がさらりと揺れて、かすかに花のような香りがした。……いや、今はそういうことを気にしている場合ではない。
ユキは驚くほどの速さで文字を読み取っていった。文字が読めるのか聞いてみたが、普通に知っている言語に見えているらしい。
指で画面に触れようとして、ページが勝手にスクロールされてしまい、ユキが一瞬だけ困惑した顔をしたのが少しおかしかった。
ダンジョンマスターについてはあまり情報がないが、調べていくうちに、残念なことが分かってしまった。
ダンジョンマスターはダンジョンに蓄えた様々な魔力を対価として、施設やアイテムと交換できる上、天賦が発揮できないダンジョンの外へ繰り出すことは稀である。
つまり、金銭を必要としないのだ。
ダンジョンで攻略者が死亡すると魔力を大量に得られるため、ダンジョンマスターはダンジョンで生成したアイテムなどを餌として、攻略者をおびき寄せるらしい。
しかし、今の俺のダンジョンは居住エリアとコアの小部屋が一つだけ。
攻略者を呼ぶには、そもそもダンジョン内のエリアを整備し、罠やモンスターを配置する必要がある。モンスターの生成には魔力が要る。今の俺のダンジョンには居住エリアしかなく、魔力の蓄積もほとんどない。つまり、すぐには無理だ。
「これは、ダンジョン拡張の前に、外に出て稼ぐしかないか。」
だが、ネットの情報をさらに読み進めていくと、一つの手がかりが見つかった。
ダンジョンの魔力蓄積は、内部に生命体が滞在しているだけでも微量ながら進むという記述。つまり、俺とユキが住んでいるだけでも、ダンジョンには少しずつ魔力が溜まっているはずだ。
「ユキ。今このダンジョンに俺とユキの二人が住んでるわけだけど、それだけでも魔力は蓄積されるらしい。」
「はい。微量ではありますが、私もそれに近い感覚は覚えています。このダンジョンの魔力が、ごく僅かに増しているような……。」
頭の中に浮かぶダンジョンに関する情報に意識を向けると、確かに、前よりも魔力の蓄積値が増えている。
「私では正確に数値化はできませんが、魔力の流れは感じ取れます。おそらくエルフの種族特性かと。」
これは心強い。
それに、ネットの情報によれば、ユキのような強力な存在が滞在していることで、通常の人間よりも多くの魔力がダンジョンに蓄積される可能性があるらしい。ユキの存在そのものが、ダンジョンの成長を後押ししてくれているわけだ。
「じゃあ、まずは焦らずにできることを整理しよう。魔力は微量でも溜まっていく。その間に、俺は外で収入を得る方法を探す。」
俺はスマホでさらに検索を続けた。初心者向けのダンジョン情報、近隣のダンジョンの一覧。どれも今すぐ必要になる情報だ。
「ご主人様。」
「ん?」
「その……いんたーねっと、というものを、私も使えるようになりたいのですが。」
ユキの声には、珍しくためらいのようなものが混じっていた。
「もちろん。操作は教えるよ。ユキなら、すぐ覚えると思う。」
「ありがとうございます。ご主人様が外で活動される間、私はここで知識を蓄えておきたいのです。この世界のことを、もっと知りたいので。」
その言葉に、不思議と胸が軽くなった。一人で全部を背負わなくていい。ユキは戦力としてだけでなく、こうして一緒に考えてくれる存在なのだ。
「よし。じゃあ当面の方針はこうだ。俺は外で活動して、生活費と経験を稼ぐ。ユキはダンジョンの魔力の変化を観察しつつ、インターネットでこの世界の情報収集。余裕ができたら、ダンジョンの拡張に着手する。」
「かしこまりました、ご主人様。」
ユキが頷いた。その蒼い瞳には、昨日の覚醒直後にはなかった、静かな意思の光が宿っている気がした。
計画と呼ぶにはあまりに大雑把だが、何もない状態からの第一歩としては悪くないだろう。
ふと、ユキを見ると、先ほどから俺が画面を操作する指の動きをじっと観察していた。
「ユキ、触ってみるか?」
スマホを差し出すと、ユキは慎重に受け取った。両手で包むように持ち、画面を見つめる。さっきの失敗を踏まえてか、今度はそっと指先で画面をなぞった。ページがゆっくりとスクロールされる。
「……動きました。」
その声に、ほんの僅かだが弾むようなものが混じっていた。普段ほとんど表情を変えないユキの、小さな変化。
スマホを操作するエルダーエルフという絵面はだいぶシュールだが、まぁ、慣れるだろう。お互いに。
明日、街に出よう。
元社畜の第二の人生は、まだ始まったばかりだ。
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貯金残高:460,000円 / ダンジョン蓄積魔力:10
スキル:なし
眷属:ユキ(エルダーエルフ)
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