第4話
「――はじめまして、ご主人様。まずは、ご主人様の献身に、感謝いたします。」
淡い光に包まれたまま、彼女はそう言った。
鈴が鳴ったのかと思うほど心地良い声だった。
俺はと言えば、頭の中が完全にフリーズしていた。
つい先ほどまでボロボロで意識もなかった人物が、目の前で神々しく浮遊しながら流暢に挨拶をしてきている。
「あ、えっと……はじめまして。俺は鷹峰遥。その……大丈夫、なのか?」
彼女の足がゆっくりと床に降り、光が収まっていく。立ち姿を改めて見ると、白銀の長い髪に、深い蒼の瞳。肌は白磁のように滑らかで、耳は――尖っている。人間ではないことは一目で分かる。
そして何より、欠損していたはずの右腕と左足が完全に元通りになっていた。
「はい。ご主人様のおかげで、こうして目を覚ますことができました。」
彼女は静かに頭を下げた。
「私の名はユキと申します。種族はエルダーエルフ。ご主人様の召喚にお応えし、参上いたしました。」
エルダーエルフ。そもそも人間は無いということだろうが、エルフの仲間か何かだろうか。そもそも異世界から召喚された存在だ、俺の常識で測ること自体が間違っている気がする。
「ユキ、か。俺のことは遥でいいよ。ご主人様っていうのはちょっと……。」
「いいえ。あなた様は私を召喚し、命を救ってくださった方。ご主人様とお呼びするのが道理です。」
きっぱりと、しかし穏やかに返された。表情はほとんど変わらない。だが言葉の端々に、揺るぎない意思のようなものが感じられる。これは……折れる気配が無いな。
「……分かった。まぁ、好きに呼んでくれ。」
早々に白旗を揚げた。こういうところで粘っても仕方がない。元社畜の処世術である。
「はい、ご主人様。」
微かに――本当に微かにだが、ユキの口元が緩んだ気がした。気のせいかもしれないが。
「それで、一つ聞きたいんだが。」
俺は改めてユキの身体を見た。先ほどまで欠損していた手足が、完全に修復されている。ポーションをかけ続けたのは事実だが、調べた限りでは欠損の治療にはエリクサーが必要なはずだった。俺が使ったのは最低ランクのポーション(低)だけだ。
「手足、治ってるよな。俺がかけたのはポーション(低)だけのはずなんだが……エリクサーじゃないと欠損は治せないって聞いたんだけど。」
ユキは自分の右手をゆっくりと開閉し、それから小さく頷いた。
「なるほど、あの薬はポーション、というのですね。仰る通り、ポーションだけでは欠損の修復はできません。ご主人様が与えてくださったポーションは、私の命を繋ぎ止め、最低限の生命力を取り戻すためのものでした。」
「じゃあ、手足はどうやって?」
「ポーションによって僅かに回復した力を足掛かりに、自己治癒の魔法を発動いたしました。私は魔力を用いた自己修復の術を持っております。ただし、あの状態では魔法を行使する力すら残っておりませんでした。」
ユキは一呼吸置いて、俺の目を真っ直ぐに見た。
「ご主人様が根気強くポーションを与え続けてくださったからこそ、私は魔法を発動できるまでに回復できたのです。ご主人様と出会えなければ、私はあのまま朽ちていたでしょう。」
なるほど。ポーション自体が傷を治したのではなく、ポーションで命を繋いだことで、ユキ自身が魔法で治した。あの爆発的な光は、その自己治癒魔法が発動した瞬間だったということか。
エリクサー無しで欠損肢を修復する魔法。ユキの力が如何ほどのものか、その片鱗を見た気がする。
「そうか。無事に目覚めてくれて良かったよ。正直、どうなるかと思った。」
素直にそう言うと、ユキは再び静かに頭を下げた。
「重ねて、感謝いたします。」
その声は淡々としていたが、どこか温度があった。
さて、ここで一つ、ずっと気になっていたことがある。召喚されたとき、ユキは瀕死だった。手足は欠損し、全身が傷だらけで、栄養失調のように痩せ細っていた。一体、何があればあそこまでの状態になるのか。
だが、俺はあえて直接的には聞かなかった。代わりに、少しだけ遠回りに切り出す。
「ユキは、召喚される前はどこにいたんだ?」
ユキの表情が、ほんの一瞬だけ翳った。
「……長い間、囚われておりました。」
それだけだった。それ以上は語らず、蒼い瞳が僅かに揺れたのを、俺は見逃さなかった。
囚われていた。その短い言葉の裏にどれだけの苦痛があったのか、想像することしかできない。だが今ここで根掘り葉掘り聞くべきではないだろう。
「そっか。…まぁ、ここは安全だから、いや、当面の課題はあるんだけどね…。」
深追いしないつもりで、できるだけ軽く言った。
するとユキが、少しだけ安堵したように、微笑んだ。
「……はい。ありがとうございます、ご主人様。」
その声は、先ほどまでよりも少しだけ柔らかかった。
「まず、今俺たちがいる、この場所について説明するよ。と言っても、大したもんじゃないんだけど。」
俺は居住エリアを一通り見せて回った。10メートル四方の石造りの部屋に、ベッドが二つ、テーブルと椅子、キッチン、風呂場。それだけの簡素な空間だ。
貯金の大半を注ぎ込んだ割には質素だが、住む分には申し分ない。
「ダンジョン、っていきなり言っても分からないよな。だだっ広いだけであんまり物もないけど……まぁ、しばらくはここが拠点になると思う。」
少しばつが悪く感じながら説明する俺に、ユキは居住エリアを静かに見回してから言った。
「ダンジョンですか、私の世界にもありましたが、様子は異なるようですね。ですが、ご主人様とご一緒できるならそれだけで、十分です。」
淡々とした口調だったが、心からそう思っているような、そんな気がした。
「そっか。ならよかった。」
それから俺は、遅い夕食の準備に取り掛かった。と言っても、引っ越し時に買い溜めしておいたレトルトのカレーを温めるだけだ。パックのご飯をレンジで温め、レトルトカレーをかけて完成。
「はい、どうぞ。」
テーブルに二人分のカレーを並べると、ユキはじっと皿を見つめていた。
「これは……何でしょうか?」
「カレー。まぁ、この世界の料理だな。口に合うか分からないけど。」
ユキはスプーンを手に取り、おそるおそるカレーを口に運んだ。咀嚼する。表情は変わらない。
しばらくの沈黙のあと、ユキが口を開いた。
「……不思議な味です。ですが、温かくて、美味しいです。」
そう言って、ユキは黙々と食べ始めた。不思議と穏やかな空気が流れていた。
食事を終え、後片付けもそこそこに、俺は椅子に深く腰かけた。
「さっきダンジョンって言ったけどな。正直に言うと、俺はダンジョンマスターになったばかりで、何も分かってない。ダンジョンの運営も、ユキのことも、これからどうするかも、全部手探りだ。」
隠しても仕方がないので、ありのままを伝えた。
ユキは静かに俺の言葉を聞いていた。
「ご主人様。私は、ご主人様のお役に立ちたいと思っております。何でもお申し付けください。」
「ありがとう。でも今日はもう遅いし、色々なことは明日から考えよう。ユキもまだ体力が完全じゃないかもしれないし、今日はゆっくり休んでくれ。」
「かしこまりました。」
ユキは静かに立ち上がり、部屋に2つあるベッドの片方へ向かった。そしてベッドに腰かけたところで、こちらを振り返った。
「私はこちらのベッドを使えばよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。」
「ご主人様。」
「ん?」
「おやすみなさい。」
それは何気ない一言だったが、その声には穏やかな響きがあった。
「ああ、おやすみ。」
そう返して、俺も自分のベッドに潜り込んだ。
ダンジョンマスターになって約2週間。貯金は激減し、よく分からない存在を召喚し、居住エリアを急造した。冷静に振り返れば無茶苦茶である。
だが不思議と、悪くない気分だった。隣のベッドから聞こえる穏やかな寝息が、この選択は間違っていなかったのだと、そう思わせてくれた。
この先のことは、明日から、少しずつ考えていこう。
――――
貯金残高:480,000円 / ダンジョン蓄積魔力:0
スキル:なし
眷属:ユキ(エルダーエルフ)
――――




