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第1話

目覚ましを掛けずに惰眠をむさぼったのはいつぶりだろうか。

大学を出て3年、俺はいわゆる社畜というやつだった。


上司には顎で使われ、要領の良い後輩がさっさと定時に帰っていくのを見送りながら、

耐えに耐えた社会人生活だったが、それも昨日限界を迎えた。

何ということもない、いつもの上司の小言が我慢できず、俺はその場で退職を宣言してしまったのだった。


後ろから、待て、などと聞こえた気がするが、すべてを無視して私物をまとめ、

会社を抜けた俺はスマホの電源を切って酒を浴びるように飲み、六畳一間の自宅で泥のように眠っていたのである。


「最高だ……。」


ゆったりとした朝を噛みしめ、昨日の自分の判断に心の中で拍手を六る。

自然と意識がはっきりするまでベッドの中でゴロゴロと過ごし、そこから手を伸ばしてテレビのリモコンを操作する。

すると、インタビュアーの元気のよい声が聞こえてきた。


『それではここで、今話題沸騰中の最年少Aランクパーティ"烈風"のリーダーである、風見隼人さんにお話を聞いてみましょう!』


スタジオから黄色い歓声が上がり、顔の整った大学生くらいの男が笑顔を振りまいていた。

今までの俺であれば、自分とのあまりの差に中指を立てつつテレビの電源を切っていたところだが、今は違う。


『"烈風"の今後の目標をぜひ教えてください!』

『そうですね、僕たちはダンジョンを攻略してSランクパーティになることを目指しています。

仲間と力を合わせればきっと出来ると思っています!』


思わず失明しそうな眩しさである。自分を全く疑おうともしない、そんな時代が俺にもあっただろうか。


ダンジョン。


今から10年ほど前、世界中に突如現れたそれは、様々な形をしていた。

ビル一つがそのままダンジョンになった例もあれば、王道の洞穴のようなタイプもあり、変わり種だと湖の水面全部がダンジョンの入口だった

という例も報告されているらしい。

ダンジョンからは様々な資材を得られ、その資材は建築資材からエネルギーなどあらゆる形に姿を変え、現代社会の礎となっている。

ダンジョンにはモンスターやトラップなど様々な障壁が備えられていて、それらを突破し資材を持ち帰るハイリスクハイリターンな職業こそが、

いまテレビで取り上げられている攻略者と呼ばれる職業だ。


ダンジョンに最初に足を踏み入れたものがダンジョンマスターになる、と聞いたことがあるが、

俺はその辺りあまり興味がなかったので詳しいことはよく知らずに生きてきた。


テレビを消し、俺はベッドから起き上がった。時間は午前11時を過ぎていた。退職初日とあって、することがない。

冷蔵庫を開けると、賞味期限の近い食材ばかりが目に入る。自炊する気力も起きず、俺はコンビニへ向かうことにした。会社の激務から解放された身体は、驚くほど軽く感じられた。

街を歩きながら、俺はあることを思い出していた。祖父母が住んでいた家――正確には、祖父母が亡くなった後、誰も住まなくなった田舎の家だ。父と母は海外を飛び回ってばかりで、家を見に来ることもない。だから、その家は資産として登記されたまま、何年も放置されていたはずだ。


何故その家に引っ越そうと思ったのか、自分でもよく分からない。ただ、会社を辞める決意をしたとき、同時に「しばらく田舎でまったりと静かに暮らしたい」という願望が、ふつふつと湧き上がってきたのだ。退職手当も少なからずあるし、しばらくは食べていくには困らないだろう。

コンビニでカップラーメンと缶ビールを買い、アパートに戻った。その夜、俺は引っ越しの準備を始めていた。


数日後、祖父母の家の前に立っていた。

古い木造の一軒家だ。瓦は一部割れ、縁側の木も腐りかけている。しかし、母屋自体はしっかりしており、基本的な修繕さえすれば、住むには問題なさそうだった。近所に人気は薄く、周囲は自然に包まれている。都会の喧騒から完全に隔絶された空間。俺が求めていたのは、まさにこれだったのだ。


引っ越し業者に荷物を届けさせ、俺は家の中の掃除を始めた。十年以上空き家だったため、ほこりと蜘蛛の巣が至る所にあった。澱んでいてくすんだ空気を入れ替えるため、窓を開け、風を通す。修繕は業者を呼ぶしかないが、それはまぁ追い追いでもいいだろう。素人の手作業のため進捗は遅かったが、その作業の中に不思議な充足感があった。

会社で何十時間も費やしても感じることのなかった、「自分の時間」という感覚。何をしても誰にも怒られない。何をしなくても誰にも咎められない。その自由さが、何よりも俺を満たしていた。


引っ越しから数日後、家は大分住めるようになっていた。まだ改修すべき箇所は数知れずあるが、最低限の生活は可能な状態だった。その日の夜明け、俺は家の周囲を散策することにした。

祖父は、よく俺をこの近くの山に連れて行ってくれた。その山の中に、俺が好きな場所があった。小さな洞穴だ。人間一人が通れるくらいの穴で、子どもの頃の俺は、何度も何度もその洞穴に探検に行ったものだ。

今日は、その洞穴を見に行こう。そう思い立った俺は、懐かしい山道を辿り始めた。


茂った雑草をかき分け、いくつかの岩を越えて、俺はついに洞穴の入口に到着した。しかし、そこで俺は立ち止まった。何かが、違う。

昔の洞穴は、もっと小さかったはずだ。だが、今目の前に広がっているのは、かなり大きな開口部だった。内部も、奥へ奥へと続いているのが見える。まるで、異なる空間がそこに存在しているかのように。


「こんなだったか……?」


疑問を抱きながらも、俺は好奇心に駆られて、洞穴の中へ足を踏み入れた。子どもの頃とは違い、ゆっくりと。懐かしい湿った土の匂いが、鼻をくすぐった。あぁ、やっぱりあの時のままで、俺の記憶違いかと、そう思った。

だが、その時だ。

突然、俺の視界が反転した。世界が裏返ったかのような、奇妙で不快な感覚。そして同時に、俺の脳に、大量の情報が流れ込んできたのだ。


「うぐっ……!」


思わず、その場に膝をついた。頭が割れるかと思った。脳が何か新しいものに目覚めていくような、そんな感覚。

混濁する意識の中で、俺は何かを「視ていた」。

正方形のグリッド。階層構造。エネルギーの流れ。そして、何かの「核」が、空間の最深部に存在することを。


「何だよこれ……。」


荒くなった呼吸がだんだんと落ち着いていき、もう一度周囲を見る。確かに、そこは小さな洞穴だ。だが、同時に、それは違う何かでもあった。

脳裏に浮かんだ言葉が、俺の疑問に答えた。


――ダンジョン。


そして、続く知識。ダンジョンは、最初にその閾を跨いだものが、マスターとなる。

俺の身体が、熱くなった。何かが俺の中で目覚めたのだ。これまでの人生では絶対に感じることのなかった、異質な力。田舎に引っ越してきたときに感じた自由さと比べても、それは比較にならないほどの充実感を伴っていた。


「俺が、ダンジョンマスター?」


つぶやきながら、俺は洞穴の奥へ進むことにした。

足は自然と前に進み、やがて、より広い空間に到着した。薄暗い光が、どこからか漏れ込んでいる。その光に照らされた空間は、確かに「ダンジョン」と呼ぶに相応しい姿をしていた。


俺は、その時初めて理解した。自分の人生は、きっと、今日から始まるのだということを。

ダンジョンマスターとして。

新しい世界の主として。


――――

貯金残高:4,000,000円 / ダンジョン蓄積魔力:0

スキル:なし

眷属:なし

――――

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