表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リネアの選択  作者: とたか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/93

87 月下

 小宴の灯りが届かない場所に、小さな神殿はあった。

 音と喧騒だけが、風に乗って流れてくる。

 

 街の中心にある大きな神殿とは違い、石造りの簡素な建物だ。

 広間の奥に至聖所があるだけの、静かな祈りのための場所。


 扉は半ば壊れたまま開いていた。

 リネアは吸い寄せられるように中へ入る。


 広間の屋根の一部は崩れ、夜空が覗いていた。

 割れた窓から淡い光が差し込み、埃の舞う空気を白く照らしている。


 神殿は、あまり好きではない。


 リネアは五歳の日から、祈りの場所がどこか息苦しかった。

 祈れば救われると言われても、自分だけが場違いでその輪の外にいる気がしていた。

 それなのに、気づけばこういう場所に辿り着いてしまうのは皮肉だと思う。


 祭壇にもたれかかるように座り込み、目を閉じる。


 遠くから音楽が聞こえてくる。

 街は、少しずつ息を取り戻している。


 良かったはずだ。

 それなのに胸の中は、空洞のようだった。


 どれくらいそうしていたのかわからない。


 遠くで、誰かの声がした気がした。

 祭りの喧騒に紛れて、すぐに消える。


 気のせいだと思った。


 けれどしばらくして、石畳を踏む足音が近づいてくる。

 広間の入口で、その足音が止まる。





「ここにいたのか」


 低く落ち着いた声にリネアは目を瞬かせた。


「クロウ? どうして」


 クロウは答える前に、小さく息を吐いた。


「……探した」


 リネアは少し視線を彷徨わせた。


「戻らないのか?」

「……少しだけ、ここにいたい」

「そうか」


 それだけ言って、クロウは隣に腰を下ろした。

 聞きたいことはある。

 そんな気配は伝わってくる。


 けれど、クロウの方からは何も口にしなかった。

 しばらくして、リネアは崩れた窓の向こうへ視線を向けた。


「……戻ってよかったね」


 祭りの灯り。

 遠くの笑い声。

 星蝕が収束して、止まっていた街がまた動き始めている。


「ああ」


 クロウも同じ方を見る。


「復興にどれくらいかかるのかな……」

「技術者も多い街だ。時間はかかるだろうが取り戻せる」


 リネアは小さく頷く。


 助けられた人もいる。

 失った人もいる。

 壊れた場所も、まだ残っている。


 全部元通りになるわけじゃない。

 胸の奥が、少しだけ重くなる。


 広場から流れてくる音楽だけが、二人の間に静かに落ちる。


 遠くで、曲調が変わった。

 ゆっくりとした導入の、どこか聞き覚えのある旋律。


 プロムで踊った曲だった。


「……一年のプロムでは、踊らなかったな」


 クロウも気づいたように、遠くの旋律へ耳を澄ませる。

 リネアは小さく笑った。


「うん」


 あの時は、何もかもが遠かった気がする。

 星蝕は増えている。

 プロムがまた同じように開かれる保証はない。


 もし――大星蝕が来たら。

 もし、生きて乗り越えられたとして。


 その時、自分はまだクロウの星約でいるのだろうか。


 答えは出ない。

 音楽が遠くで続いている。


「このまま星蝕が増えたら、どうなるんだろうね」


 プロムも、と。

 リネアは呟いた。


 クロウは少し考えたあと、短く息を吐く。


「なら」


 立ち上がる。


「今、踊っておくか」

「え?」


 差し出された手を、リネアはすぐには取れなかった。


 こんな場所で。

 こんな格好で。


 けれど、クロウの表情は冗談ではなかった。

 戸惑いながら見上げるリネアの手を掴んで、引っ張り上げる。


 そのまま広間の中央に進むと、一度手が離れて数歩離れた。

 クロウは真面目な顔のまま礼をとる。


 まるで本当の舞踏会のように。


 音楽はちょうど、ポロネーズの拍へ変わっていた。

 格式高い、始まりのダンス。


 リネアは思わず笑いそうになりながら、おずおずと礼を返す。


 月が雲の間から顔を出す。

 崩れた天井から光が差し込み、リネアを白く照らした。


 その瞬間。


 クロウには、リネアが淡い水色のスカートをつまんでいるように見えた。


 あり得ない。

 彼女は埃まみれの演習服のままなのに。


 けれど確かに、あの日のダンスフロアが重なる。

 眩しさに目を細める。


 そしてそのまま、その手を取った。


 あの日、触れられなかった距離。

 壁際から見ていただけの背中。

 届かないと思っていた時間。


 今は同じ床の上にいて、同じ音を聞いている。

 それだけなのに、クロウの胸の奥が静かに熱を持つ。


 最初の一歩は、わずかにずれた。


 リネアが息を呑み、クロウの指先がほんの少しだけ力を込める。

 急かさないように、合わせるように。


 ただ、隣に歩幅を合わせてくれる。

 お互い笑いそうになって、少し視線をそらす。


 照れくさい。

 でも、楽しい。


 未来を考えるほど、胸が苦しくなるから。

 だから今は、考えないことにした。


 無力感も、焦りも、痛みも。

 音楽の中に溶けていく。


 リネアは思う。

 これが最初で最後かもしれない。

 だから、覚えていたい。

 クロウの手が温かいことを。


 一方で、クロウは違う未来を見ていた。

 次のプロムでは、きちんと申し込む。

 ちゃんとしたドレスを贈って、正式に。


 その時には、今日みたいにリネアを迷わせないように。


 温度差など気づかないまま、二人のステップは続く。

 月光が床に円を描く。


 崩れかけた神殿の中で、音楽だけが静かに流れていた。


 遠くの広場で曲が終わり、拍手のような歓声が遅れて届く。

 やがて、どちらともなく名残惜しそうに、手は離れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ