07 鉢合わせ
入学式の翌日から、学院の授業はすぐに始まった。
貴族としての基礎教養や礼儀作法は、すでに修めている前提だ。
座学で扱われるのは、星蝕に関する専門史、魔術理論、戦術概論――いずれも、実戦を見据えた内容ばかりだった。
星約は原則として教室では隣同士に座る。
リネアも、当然のようにクロウ・ノクエルの隣にいた。
「次の資料、持っているか」
「はい」
入学から数日。
講義中、ぎこちないながらも必要があれば二人は小さく言葉を交わしていた。
「あの……この式、後で確認してもいいですか?」
「ああ」
それだけで、雑談はない。
かといって沈黙が気まずいわけでもない。
ただ、必要以上に踏み込まない距離が保たれていた。
寡黙なクロウとは対照的に、休憩時間のたびに、セラフィナはよくやって来る。
「ねえ、さっきの戦術史の資料のあの人、絶対性格悪いよね」
「断定が早い」
「だって顔が!」
そんなやり取りに、レオニスが苦笑し、クロウが短く相槌を打つ。
リネアも時折、控えめに笑う。
それ以外の時間は、静かだった。
ノクエルは伯爵家だ。
領地からほとんど出ないリネアにとって、これまで縁のない軍閥の家門。
会話の糸口を探そうとしても、共通の話題は思いつかない。
クロウもまた、口数が多いタイプではない。
だからこそ、無理に言葉を探さないこの距離は、かえって自然だった。
――星約。
まだ、その響きの重さに、互いが慣れていないだけかもしれない。
◇
授業が終わって放課後になると、いつものようにリネアは静かに席を立つ。
そのまま、今日は本科棟へ向かうことにした。
図書棟ではなく、教室に近い小さな図書室。
本科は三年の過程を終えた一部の者が進む課程で、この棟に人の出入りは少ない。
棚も低く、通路は狭い図書室。
未整理の資料や、専門性の高すぎる書籍が雑多に並び、新入生が足を運ぶことはほとんどない。
ここは、セイルに教えてもらった場所だった。
『掘り出しものもあるよ』
そう言われて以来、リネアは放課後にこちらにもよく来ている。
魔術理論の棚の前で足を止めると、装丁の古い本を何冊か抜き取り、目次を流し読む。
そのとき。
「……フォレスト?」
落ちた声に、顔を上げた。
数歩先の通路に、クロウが立っている。
わずかに驚いた表情だった。
「あ、こんにちは……」
「新入生でここに来る奴がいるとは思わなかった」
率直な言い方に、リネアは小さく笑う。
「従兄が教えてくれたんです。三年の」
「そうか」
「そっちも知り合いから?」
「いや。施設一覧を見て、気になって来た」
それ以上は広がらない。
クロウの視線が、リネアの手元の本に落ちた。
「……魔術理論?」
「基礎理論の章のおさらいに。もうすぐ演習も始まりますし……」
リネアの声はわずかに固い。
他の貴族の子息令嬢と同じように、リネアも領地で家族や家庭教師から手ほどきを受けて事前準備はしてきたつもりだった。
それでも、実際の演習となると緊張する。
「そうだな」
頷いて、クロウも隣の棚から古い戦術史を一冊抜き取った。
本の背表紙を指でなぞりながら、クロウは内心で意外に感じていた。
セラフィナはあまりこの図書室にあるような本は読まない。恋愛小説や物語を手に取り、感想を賑やかに語るのが常だ。
だから、同世代の令嬢たちも、似たようなものだと思っていたのだ。
「物語は読まないのか?」
「私は……そういうのは、あんまり」
少し迷い、言葉を選ぶ。
「嫌いなわけじゃ、ないんですけど」
それきり、言葉が途切れた。
静かな空間に、他の生徒の紙をめくる音だけが響く。
見ている内容は違う。
けれど、向いている方向はどこか似ている気がする。
星約になってから、リネアと個人的な話をする機会はほとんどなかった。
案外、本の趣向は合うのかもしれない。
「ここは、静かだな」
「はい。人は、いつも少ないです」
「ああ。集中できる」
短い評価。
リネアは、小さく頷いた。
また、沈黙。
気まずさはそれほどない。
けれど、このまま並んでいる理由もなかった。
ほとんど同時に、本を抱え直す。
「……じゃあ」
「ああ」
自然に、通路の端で別れる。
◇
クロウは出入口に近い席へ。
リネアは窓際の、光の落ちる席へ。
対角線上。
視線を上げれば、互いの姿が見える距離。
クロウはしばらく本を読み進めて、区切りのいいところで顔を上げた。
窓際でページをめくって目を伏せるリネアの顔が、夕方の光に縁取られている。
授業中と同じ、集中している静かな表情。
自分の周りにはあまりいなかったタイプだな、とクロウは思う。
クロウにはすでに他家に嫁いだ姉が二人いるが、どちらもノクエルらしい恩寵を持っていてとにかく気が強く勇ましい。
幼馴染のセラフィナも明朗快活な性格だ。
社交で会う令嬢たちとも違って、リネアが必要以上に距離を詰めようとしてこないのは新鮮だった。
視線に気づいたのか、リネアが顔を上げる。
一瞬だけ、目が合う。
すぐに、どちらともなく逸らした。
それ以上は何も起きない。
会話もない。
ただ、同じ空間で、それぞれの本を読む時間が過ぎていく。
放課後の光がゆっくりと傾き、やがて図書室に明かりが灯る頃。
二人はほぼ同時に本を閉じた。
「……フォレスト」
立ち上がりざまに、クロウが呼ぶ。
「今度の演習、よろしく頼む」
「はい。地形図を見ておきますね」
「ああ」
それだけ。
並んで歩くこともなく、図書室を出る。
廊下で自然に距離が開いていく。
けれど――
授業中の隣よりも、ほんの少しだけ、近くなった気がした。




