05 図書棟にて
放課後の学院は、昼間とは別の顔を見せていた。
ざわめきは遠ざかり、校舎を抜ける風の音だけが残る。
入学ニ日目を終えてリネアが向かったのは、学生寮とは反対側――学院の奥にある図書棟だった。
白を基調とした学院では珍しい、赤い煉瓦造りの建物は、学院の中でもひときわ古い。
高くそびえる時計塔に、細長い窓、幾重にも連なる書架。
扉をくぐった瞬間、紙と革と、わずかにインクの香りの混じった空気が鼻をくすぐる。
(……やっぱり、すごい)
学院の図書棟は、噂に違わぬ蔵書量だった。
星蝕の記録、過去の討伐報告、戦術論文、神殿文書の写本。
地方貴族の家では、まず目にできない資料ばかりだ。
リネアは迷いなく、星蝕関連の棚へ向かった。
――現実味が、帯びてきた。
それが率直な実感だった。
神殿で起きたあの日の出来事。
夢で見てきた光景。
そして今日、星約で並んだ名前。
偶然、と切り捨てるには、重なりすぎている。
分厚い記録集を一冊引き抜き、閲覧席に腰を下ろす。
紙をめくる音だけが、静かな空間に落ちた。
(大星蝕は、いつ起きてもおかしくない)
歴史書はどれも、そう書いている。
周期性はない。
前兆も曖昧だ。
観測できたときには、すでに遅い場合も多い。
だからこそ、予兆を見逃さないこと。
小さな異変を拾い上げること。
――それが、きっと、自分の役割だ。
ずっと考えてきた。
夢は、彼らの物語だ。
剣を振るい、弓を引き、前線に立つのは彼。
リネアは、そこに登場しない。
けれど、自分に出来ることがあるなら。
クロウ・ノクエルは噂が正しければ中距離戦闘を得意とするはず。
恩寵で顕現した矢を放つ弓使いで、前線を広く見る役割だ。
相手に触れなければ回復できない自分は、彼の側につくことになるだろう。
危険な位置だ。
それは、わかっている。
だからこそ。
(対価のことは隠さないと)
リネアの恩寵には欠陥がある。
だから、使うのは必要最低限。
魔術で補助し、戦況分析で動きを先読みするしかない。
自分のせいでクロウの評価は下がらないように。
夢と、同じことが起こらないようにする。
それだけは、はっきりしていた。
◇
「……リネア?」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
ページをめくる指を止めと、閲覧席の向こうにセイルが立っていた。
少し困ったような表情をしている。
「やっぱり、ここか」
「セイル?」
「寮かと思ったけど、もしかしてと思って」
視線が、リネアの手元の本に落ちる。
「……星蝕の記録?昔からそればっかり読むね」
リネアは、本を閉じずに答えた。
「うん。必要だと思って」
セイルは小さく息を吐き、向かいの席に腰を下ろす。
「星約のことは、もう噂になってるよ」
「……もう?」
「悪い意味じゃなくてね。高位貴族は注目されてる」
言葉を選びながら、続ける。
「クロウ・ノクエルは戦闘型の恩寵だ。血統から考えても演習じゃ、必ず前線配置になる」
「……うん」
「つまり、君は必然的に彼の近くにいる」
セイルの声に、不安の色が滲む。
「正直、心配だ」
「わかってる」
即答だった。
「でも、解除は簡単じゃない」
「見直しはあるだろう?」
「今は、その時じゃない」
セイルは眉をひそめた。
「……随分はっきり言うね」
リネアは、少しだけ微笑んだ。
「迷いが、なくなっただけ」
リネアの夢のことは、セイルも誰も知らない。
一人で向き合うことに、恐怖がないわけじゃない。
それでも。
異変があれば、近くですぐ気づける星約の立場は、リネアにとって都合がいい。
後悔はしたくない。
セイルは、その言葉の重さを感じ取ったのか、しばらく黙った。
「……君が、何を見て考えてるのか。僕には時々分からないことがある」
分析の恩寵を持つ者特有の、深い心の内までうかがうようなセイルの視線。
リネアは少し俯いた。
「……卒業まで、ずっと、とは考えてないよ」
――役割を果たしたら、星約は解除する。
「今は、目の前のことをやるだけ」
セイルは、諦めたように頷いた。
「無理はしないで」
「大丈夫」
「……それが一番信用ならない」
苦笑しながら立ち上がる。
「でも、何かあったら、必ず言うこと」
「うん」
セイルが去って行く足音を聞きながら、リネアはもう一度、本へと視線を戻した。
ページをめくる。
物語は、始まったばかりだ。
その終わりを選ぶのは、まだ先でいい。




