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リネアの選択  作者: とたか たか


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03 星約 前編

 目が覚めたあと、リネアはそれから一睡もできなかった。


 あの夢を見た日はいつもこうだ。

 そのまま再び眠ることなく、空が白むまで魔術書や星蝕の記録を読みなぞるのが、リネアの習慣になっていた。


 学院で見た、あの背中。


 顔は見えなかったけれど、夢の青年と雰囲気がよく似ていた。

 同じ人物なのか。

 それとも、ただの偶然なのか。


 確かめたい気持ちと、確かめてしまうのが怖い気持ちが、拮抗している。


 だから――

 今日決まる星約の相手について、リネアが考える余裕は、ほとんどなかった。





 小講堂は、入学式の日の大講堂よりもずっと小さい。

 けれど、漂う緊張感は昨日とは比べものにならなかった。


 壇上を正面に、何列もの席が横に並び、すでに席はほとんど埋まっている。

 リネアは案内された最後方の席へ腰を下ろした。

 前方には人の背中が連なり、壇上も、前列の顔もあまりよく見えない。


 周りのざわめきから、前に行くほど名の知れた家の子息や令嬢たちが占めていることが知れた。

 後方に行くほど、家格もまばらで、男爵家のリネアにはちょうどいい席でもあった。


 星約――学院が定める、恩寵の相性に基づいた正式なペア。


 星蝕に備えるための演習を中心に、この先三年間で最も密接に行動を共にする相手だ。


 選定基準は公表されていない。

 ただ、過去の例から明らかなことはある。


 家の歴史や功績。

 爵位。

 恩寵の性質と実用性。

 相互補完性。

 星約は感情で決まるものではない。


 自分の持つ回復の力は戦闘に適した恩寵の者と組むことが多い。

 けれど、リネアの恩寵は高位貴族のように特別強くはない。対象に触れないと発揮できない力は、戦場の最前線では使い勝手が悪かった。


 それに、今年はセラフィナ・ロゼがいると聞く。


 幼い頃に侯爵ヴァレンティ家の血族の末席から、ロゼ伯爵家の養女となってから引き取られたという。

 恩寵に対価をまったく必要としない、規格外の存在。

 神の愛し子と名高い少女。


 リネアたちが持つ神の力には”対価”という代償がある。

 恩寵の対価は多かれ少なかれ、必ず自分に還る。

 多くは疲労の蓄積や回数や時間の制限のような形だが、個々の詳細はあまり明らかにされることはない。通常は、学院はもちろん家門の外に公にはしない、どの家にとっても秘匿事項だ。


 ただ、極端に対価がない場合は、どうしても目立って噂になってしまう。

 同世代の力を持つ者の話は、面識こそなくても、リネアの耳にも届いていた。


 そして、回復の恩寵を持つ者は、今年は他にも高位貴族の中に何人かいると聞いている。家格と力の強さは比例する場合が多い。


(もし、私が組まれるとしたら)


 自然と、答えは出ていた。


 増幅や干渉を持つ下位貴族。

 後方支援で、恩寵はあまり前に出さずに一般的な魔術で補助できる相手。


 それが、制度として最も妥当だ。

 目立つ貴族と組む可能性など、考えたこともない。





 壇上に、教師が一人進み出た。


「これより、対星の役定……星約の発表を行う」


 講堂のざわめきが、静まる。


「星約は、学院が定める公式な協働制度だ。恩寵の相性を主軸とし、戦術・学業・将来の配属を見据えて編成される」


 淡々とした口調。


「なお、星約は固定ではない。半年ごとに見直しが行われ、双方の希望を加味して、学院側が判断した成長や適性に応じて再編成する」


 その言葉に、ほっと息をつく者もいれば、逆に緊張を深める者もいる。


「本日は、一期目の組み合わせを発表する。呼ばれた者は壇上へ進み、署名を行え」





 「レオニス・ヴァレンティ」


 最初にその名が呼ばれた瞬間、講堂の空気が一段、張りつめた。


 続けて。


「――セラフィナ・ロゼ」


 抑えきれないざわめきが、あちこちに広がった。


「ヴァレンティ家の星約は、同じ侯爵家のアーヴェル家だと思ってた……」

「いや、セラフィナ嬢だろ。ヴァレンティ家がそもそも後ろ盾だ」


 壇上に上がった二人は、短く視線を交わし、慣れた様子で頷き合う。

 まるで、最初から決まっていたかのように。


 その光景を見た瞬間、リネアの喉がひくりと鳴った。


 夢の中で見た、あの配置。

 剣を振るう金髪の青年と、

 そのすぐそばで光を放っていた美しい少女。


 ――聖女。


 壇上に並んで署名する二人の姿が、

 夢の断片とも、昨日見かけた後ろ姿ともぴたりと重なる。背中に、冷たいものが走る。


(……なら、やっぱり)


 夢の中で、

 最後に名を呼ばれていた、あの青年も――


 茫然とするリネアのをよそに、次々と生徒の名前は呼ばれていく。


「ガイ・ベルクマン、エマ・ハルトヴィック」

「アメリア・ロズウェル……」


 その中で、ひときわ強いどよめきが起こった瞬間、リネアの意識は再び壇上に戻った。


「――イリス・アーヴェル」

「エドガル・ルモワン」


 宝石のように艶やかな青みがかった髪と、濃い紫の瞳。

 自信をそのまま形にしたような佇まいで、イリス・アーヴェルが壇上へ向かう。

 

 幼いころから社交界で注目されてきた、華やかなる宰相家の令嬢。彼女も回復の恩寵を持っていたはずだ。

 その顔には、明らかな不満が滲み出ていた。


 続けて呼ばれた相手に、ひそひそと声が走る。

「あのアーヴェル侯爵家がエドガル子爵家の次男と?」

「いや、最近、陞爵されて伯爵になったよな?」

「……大した功績はないけど、急に名前を聞くようになったよな」

「確かに宰相派ではあるけど……」


 青年は明るく笑い、壇上に上がると、慣れた仕草でイリスの前に立った。


「よろしく、イリス嬢。君と組めるなんて光栄です」


 そう言って、恭しく手を差し出す。

 次の瞬間。


 乾いた音が、講堂に響いた。

 イリスの手が、差し出された手を容赦なく打ち払ったのだ。


「――触らないでちょうだい」


 低く、鋭い声。

 紫の瞳が、氷のように冷たく細まる。


 一瞬、青年――エドガルの表情が凍る。

 周囲に緊張が、波のように広がった。


「……あ、あはは。冗談ですよ、冗談」


 取り繕うように笑うが、その声は、どこか浮ついている。

 イリスはそれ以上、視線すら向けなかった。





 イリスとエドガルが署名を終えて壇上を降りると、講堂の空気は落ち着きを取り戻した。


 残っているのは、新興貴族や、子爵家、男爵家、準貴族――

 いわゆる“想定内”の組み合わせがほとんどだ。


 前方の席では、すでに肩の力を抜いている者もいる。高位貴族はほぼ出揃った、という安堵と失望が入り混じった空気。

 名前が呼ばれるたびに、壇上へ向かう背中を、淡々と見送る。


 だけど、まだ、彼が呼ばれてない。


「……まだ、残ってるよな」

「ノクエル家が、呼ばれてない」


 囁きが、後ろへと伝わってくる。

 そして一瞬、間が空いた。

 教師が名簿をめくる音が、やけに大きく響く。


 その沈黙に、前列のざわめきが、わずかに揺れた。


 次の瞬間。


「――クロウ・ノクエル」


 講堂が静まり返って、空気が、一段沈む。

 前方の席から、一人の男子生徒が立ち上がると、リネアは息を止めた。


 黒髪。

 すらりと伸びた背。

 無駄のない動き。


 後ろ姿しか見えないはずなのに、わかる。

 夢の中で、弓を引いていた青年と、


 ――同じだ。


 足音が、壇上へ向かっていく。

 そして、教師の声が続いた。


「――リネア・フォレスト」


 一瞬、理解が追いつかなかった。


 自分の名が呼ばれた、という事実だけが、遅れて胸に落ちる。

 周囲が、ざわつく。


「フォレスト?」

「男爵家だろ?」

「フォレストなら分析か……え、回復……?」


 リネアは、ゆっくりと立ち上がった。

 膝が、わずかに震える。


 (……どうして)


 考えようとした思考は、途中で止まった。

 壇上に立つ彼が、初めて振り向いたからだ。

 黒髪の奥から、視線がこちらを真っ直ぐに向いていた。


 壇上に上がり、数歩の距離まで近づいて、初めてはっきりと顔が見えた。

 記憶や夢の中よりも、整っている。


 丁寧な作りの目鼻立ちが、ひとつひとつ過不足なく収まっていて、静かな存在感がある。

 長い睫毛に縁取られた切れ長の金の瞳は、感情が読めないまま。

 ただ、こちらを正確に捉えて離さなかった。


 少し長めの黒髪は、夢とは違い今日は整えられている。

 制服に身を包んだ姿は、軍政を担ってきた名門一家の人間らしく、無駄のない緊張感を纏っていた。


(……やっぱり、)


 そしてどこか、幼い頃の面影が残っている。


 神殿で自分を背負ってくれた少年。

 あの時より背は伸び、輪郭は大人びているのに、目の奥の落ち着きだけは変わっていない。


 不思議だった。


 もっと動揺すると思っていた。

 もっと息が詰まると思っていた。


 けれど、実際に向かい合ってみると、心は意外なほど静かだった。


 怖さよりも、納得が先に来る。


(この人だった)


 夢の中で、必死に弓を射ていた人。

 名を呼ばれていた人。

 そして、助からなかった人。


 クロウ・ノクエル。


 彼が、ほんのわずかに首をかしげる。


「……大丈夫か?」


 低く、落ち着いた声。


 夢の中では、最後まで聞こえなかった声。

 現実で聞くそれは、思っていたよりも穏やかだった。


「……はい」


 自分でも驚くほど、返事は落ち着いている。


 その瞬間、胸の奥で、何かがすとんと収まった。

 あなたが、なぜいつも夢に出てきたのか。

 星約が、なぜこの組み合わせなのか。


 ――それらに、意味があるのなら。

 

 夢を見るたびに、幼い頃からずっと、考えてきた。


 届かなかった光。

 間に合わなかった命。


 もし、本当に起きるなら、私は。


 リネアは、静かに背筋を伸ばした。

 署名台へ向かう足取りは、不思議なほど迷いがなかった。

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