32 小隊編成
胸の奥が、重い。
深く息を吸うと、助骨の内側がじわりと軋む。
恩寵を使った反動だった。
昨日は上手くいった。密度の調整も成功した。魔力の抜けも少ない。
調整をすることで、恩寵を使ってすぐではなく、いつもより対価が少し遅れてくることも分かった。
それでもリネアに対価は必ず還る。
ベッドからゆっくりと上体を起こして指先を握る。冷えている。
体温も、少し低い。
リネアは掌を見つめる。
昨日、そこに触れていたのはミカの血だった。
傷を治したのは自分だ。
傷はきれいに塞がったし、魔力の流れもこれまででいちばん無駄がなかった。そう思う。
けれど。
(……なんで、こんなに落ち着かないんだろう)
密度を一点に集めた瞬間。
流れが整ったあの感覚。
その奥に、もうひとつ何かが触れた気がした。
“奪われた”わけではない。
“変えられた”わけでもない。
ただ、探られような。
ざらざらとした違和感。
成功の手応えと同じ場所に、それがリネアの中に残っている。
◇
それからも、演習は順調だった。
ミカはどの星約に入っても、相変わらず当たり前のように溶け込む。
前線では判断の迷いを削り、後衛では思考の濁りや痛みを払う。
評価は安定して高い。
リネアとクロウの補助として入って以降、ミカは以前よりも気軽に声をかけてくるようになった。
「そういえば、この間の魔力の調整。今日もやってみる?」
演習を終えたあとの他愛もない雑談の途中で、ふと、思い出したように言う。
その瞬間、リネアの胸の奥がわずがに波打った。
「……ううん。感覚はつかめたし、自分で頑張ってみる」
伸ばされかけた手を避けるように、無意識のうちにわずかにミカから距離をとる。
リネアの背中にトンッと固い感触が当たる。
「……あっ、ごめんね」
振り向くと、すぐ後ろにクロウがいた。
「いや」
波が、すっと静まる。
一瞬だけ、背中に伝わった体温は温かく、落ち着いていた。さっき感じたざらつきとは、まるで違う。
クロウは前を向いたまま言う。
「次が始まる。行くぞ」
「うん」
リネアは小さく息を整える。
別れ際もミカはいつも通りに笑った。
「リネア、手助けが必要ならいつでも声かけて」
「……ありがとう」
怖いわけじゃない。
嫌いなわけでもない。
なのに、理由を説明できない違和感がある。
リネアは、自分の反応に戸惑っていた。
◇
数日後。
図書棟の奥で、久しぶりにセイルと会った。
三年生は二学期に入ると授業より進路で忙しくなる。
王立研究所を志望しているセイルは、採用試験が迫っているらしく、珍しく疲れた顔をしていた。
「セイル、ご飯ちゃんと食べてる?」
「忙しくて……」
「顔色、悪いよ」
いつもとは立場が逆だ。
リネアは椅子を引き、向かいに座る。
「この前、密度調整がうまくいった」
「ほんと?」
「うん。干渉の補助があって、魔力回路を綺麗に通った」
「ミカ・エルヴェイン?」
「そう」
恩寵と"エルヴェイン"の姓もあり、学院内でミカはちょっとした有名人だ。
セイルもその名や噂を聞いたことがあるようだった。
「セイルは、干渉の恩寵を受けたことある?」
「あるよ。昔、一度だけ」
「違和感とか、なかった?」
「違和感?」
少し考え、首を振る。
「特に。便利だなって思ったくらい」
「どうして?」
「……なんでもない」
リネアは笑って誤魔化す。
自分が敏感になりすぎているだけかもしれない。
魔力の流れに触れられたから。
未知の感覚だったから。
それだけ、かもしれない。
はっきりした根拠がない以上、誰にも言えない。
◇
二週間の基礎確認が終わる。
小隊編成の発表日。
教室は期待と不安で静かにざわめいていた。
リネアは配られた紙に目を落とす。
最初に視界に入ったのは、見慣れた姓だった。
クロウ・ノクエル。
リネア・フォレスト
そのすぐ下に、
ガイ・ベルクマン
エマ・ハルトヴィック
ヨルン・ネーリス
ハルン・ネーリス
ミカ・エルヴェイン
最後の名前を確認して、リネアは小さく息を呑む。
「レオニスたちとは、やっぱり離れたな」
クロウが短く言う。
「うん」
それは、予想していた。
レオニスとセラフィナ恩寵の系統から、バランスを考えると別々の編成が順当だ。仕方がない。
けれど、最後に書かれた名前に引っかかりを覚える。
この間の演習の結果だけを見れば、ミカと同じ編成になるのは少し意外だった。
「よし、いい隊じゃねえか!前衛二枚だな!」
豪快に笑いながら大きな足音を立ててやってきたガイが、クロウの肩を無遠慮に叩く。
エマはその横で編成表ひらりと振った。
「増幅は配分次第ね。後方が安定してるのは助かる」
少し遅れてやってきた、ヨルンとハルンは顔を見合わせ、小さく頷いた。
「観測は任せて」
「分析も任せて」
淡々とした双子の声が重なる。
「バランスはいい。前線厚めだ」
「俺が盾やるから、クロウは好きに射てくれ」
「任せる」
短いやり取りの中に、すでに役割が収まっていく。
ガイは誰にでも気さくだし、エマの冷静さも頼りになる。
ネーリス家の双子は生まれたときから一緒にいるだけあって、連携にまったく心配がない。
空気は悪くなかった。むしろ、やりやすい顔ぶれだ。
「ようやく正式メンバー昇格、ってことでいいのかな?」
その輪に、ミカの明るい声が混じった。
「よろしくね」
軽く差し出された手を、ガイが真っ先に握る。
「補助枠じゃなくても働けよ」
「働く、働く」
力強く握手。
エマも続く。
「連携、乱さないでね」
「エマこそ爆発させないでよ」
軽口に、小さな笑いが起きる。
クロウやヨルンとハルンとも短く握手を交わす。
そして。
自然な流れの中で、リネアと目が合う。
「リネアも」
差し出された手。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ――
リネアの動きが遅れる。
自分でも理由がわからない。
けれど次の瞬間には、自分から手を重ねていた。
「……よろしく」
握手は、普通だった。
何も起きない。
変に身構えすぎていただけなのかもしれない。
少し離れた位置から、クロウはその様子を見ていた。
リネアが手を離すのを確認してから、演習資料に視線を落とす。
「これからの配置、確認するぞ」
全員の空気が、すっと切り替わる。
「前線前衛は俺とガイ。中距離と近接で分担」
「後衛はリネアとハルトヴィック。回復と増幅の同調を優先」
「後方はネーリス兄弟、観測と分析を常時回せ」
「エルヴェインは状況を見て介入」
淡々とした指示。
「えー、俺だけなんか雑!」
不満を漏らすミカに、少し場の空気がほぐれる。
編成表を折りたたみながら、リネアは視線を伏せた。
小隊は整った。
役割も、連携も、申し分ない。
それなのに、胸の奥だけが静かにざらついている。




