31 潜行
演習地に集合したとき、空は薄く曇っていた。
ミカが、いつもの調子で軽く手を振ってやって来る。
「今日はよろしく!」
「よろしくね」
「ああ」
短い挨拶で少しの雑談を交えたあと、リネアは膝をつき革筒から地形図を取り出した。
演習が始まるまで、あまり時間はない。
紙を広げて端を石で押さえると、昨晩読み込んだ地形が頭の中と重なった。
そのまま今日の地形図の確認へと入る。
「北側の尾根は思ったより傾斜がある。人工魔物の出現位置はこの窪地――」
そこまで言ったところで、クロウがしゃがみ込むと、地図の一点を指した。
「ここだ」
「うん」
「尾根を取る。俺はこの岩陰から射る」
「風は西寄りだから少し流れるね」
ミカは二人のやり取りを黙って聞いている。
視線は地図ではなく、ほんのわずかにずれてリネアの指先に向いていた。
「……ミカ?大丈夫?」
「うわ、ごめん。ぼんやりしてた。
さすがうちのクラスの秀才ペア。展開早いね」
「秀才ペア……?」
「あれ、言われてるの知らなかった?」
目を瞬かせて驚くリネアに、いたずらっぽく笑う。
「まあ、俺は補助枠だからさ。空気読んでた」
「空気を読む前に、地形を読め」
「はいはい。じゃあ、真面目に」
ため息を吐くクロウを尻目に、ミカもようやくしゃがんで地形図を覗き込む。
真剣な表情で、等高線を指でなぞっていく。
「俺は後衛ってことでいいんだよね?」
「うん、私とミカはここ。クロウとも近いけど高低差がある」
「了解。じゃあ、傾斜と木を利用しながら遮蔽して援護しよう」
話し始めると、ミカの理解も早い。
そのまま、三人の演習前の確認は問題なく進んだ。
◇
演習がはじまると、この日はクロウの独壇場だった。
人工魔物が射程に入った瞬間、恩寵の矢が放たれる。
光が一直線に走り、一体の核を穿つ。
もう一体が岩陰に回り込もうとするも、その進路を読み切っていた。
制圧が早い。
魔力の乱れも少ない。
今日は地形と人工魔物の性質が、弓手にとって有利に働いている。
リネアは恩寵を使うこともなく、魔術の補助で事足りていた。
ミカも、ほとんど動く必要がない。
少しだけ口を尖らせる。
「……俺、存在感ないなあ」
「クロウ、今日はすごく調子いいみたい」
リネアが少し前方を見据えながら、小さく苦笑する。
誰にも見えない位置で、ミカは心底つまらなさそうな顔をした。
(それじゃ、困るんだけど)
後衛に恩寵を使わせない、補助枠は必要ないってことか。
なかなか、やってくれる。
少し高い位置で弓を構える、クロウの姿に隙はない。
◇
第二波の人工魔物が出現したとき、戦況はわずかに崩れた。
数が増えたわけではない。
ただ、核の位置が一体だけ予測より深い。
「右、早い」
リネアが短く告げる。
クロウの弓が鳴った。
矢は空気を裂き、一直線に核へと吸い込まれる。
一体、沈む。
もう一体が跳躍する。
「上!」
リネアの声と同時に、二射目。
魔物の身体が弾ける。核が砕け、人工構成の外殻が崩れ落ちた。
砕けた破片が、想定外の角度で弾け飛ぶ。
金属質の破片が光を反射し、一直線に後衛へ――。
その瞬間、ミカが踏み込むと、鈍い音が聞こえた。
「……っ」
破片は頬を鋭く裂いた。
血が伝って顎へと滴る。
「ミカ!」
リネアが駆け寄る。
「大丈夫」
ミカは軽く笑う。
けれど、切創は浅くない。
頬の中央で目立つ位置だ。血も止まらない。
「深いよ」
リネアの声が低くなる。
「男だし、別に残っても――」
「だめ」
リネアの本気で心配している顔に、観念する。
「じゃあ、お願いしようかな」
ミカはリネアの両手を取り、自分の頬へと導く。
温かい血と、ひやりとした皮膚。
「その代わり、少し手伝うよ」
「え?」
「魔力の流れを調整する。集中してみて」
リネアは頷いて、深く息を吸う。
魔力回路を開く。
いつも通り流そうとするのを、ぐっと抑えた。
『魔力そのものの密度を変えられれば、同じ総量でも伝達の速度は変わる』
セイルとの言葉を思い出す。
細くするだけではない、流れる“質”を変える。
そのとき。
回路の揺らぎが、わずかに整う。
「そこだよ」
ミカの声が響く。
リネアは魔力の密度を一点に集める。
深く、速く。
光が頬に染み込む。
血が止まり、裂けた皮膚が滑らかに閉じていく。
数秒。
光が消えて手を離すと、そこに傷は残っていなかった。
「……すごい!」
思わず、リネアが呟く。
いつもより魔力の抜けが少ない。
回路の奥で、流れが一点にまとまって通った感覚がある。
「大成功!」
一緒にはしゃぐ、ミカの傷のない頬にほっとする。
そのやりとりの一方で、クロウが残る魔物を射抜くと、演習は終わった。
クロウが二人に歩み寄る。
リネアの掌に残る血を確認してから、ミカと目を合わせた。
「……エルヴェイン、悪かった」
ミカは一瞬きょとんとして、それから笑う。
「いや、あれは避けられないよ」
けれどクロウは頷かない。
風向きも、角度も、射線も読んでいた。
だけど、破片までは拾いきれなかった。
「次は、計算に入れる」
それは謝罪というより、誓いだった。
ミカもそれ以上は触れずに、にやりと笑う。
「それよりも、今日は俺の見せ場がなさすぎだよ。謝って」
「それは、謝らない」
リネアは苦笑しながらも、二人の距離を見て少しだけ安堵する。
◇
演習が終わって寮に戻ると、ミカは鏡を覗き込んで、指先で自分の頬をなぞった。
完璧だ。
痕はまったくない。
「わざと怪我までしてみたのにな」
ため息をつきながら、ベッドに仰向けに倒れ込む。
学生寮のベッドは白く清潔で、ふっくらとしている。
学院に入学してからミカが気に入ってるものの一つだった。
昨日の図書棟でも。
今日の演習でも。
“入って”みた。
だけど――届かない。
普通の干渉の恩寵では見えないものも、ミカには見えてしまう。
それでも、
「起きてる時は、意識が強すぎるのか」
けれど、確かに。
一瞬だけ、白い揺らぎが見えた。
輪郭もおぼろげな、微かな光。
瞼の裏で光を追いかけてみても、捕まらない。
ただ、それとは別に。
リネア・フォレストの魔力回路には、はっきりとした違和感があった。
不自然に焼き切れた、瓦礫が重なるように入り組んで複雑に壊れた箇所。
これは収穫だった。
やがて開いたミカの赤い眼は、どこも見ていないように空虚だった。
「……もう少し、深く潜ってみるか」




