30 波紋
二週間にわたる、星約単位での基礎確認。その演習が始まってから一週間が経った。
リネアのクラスは表面上はいつも通りに見えながら、内側では確実に揺れていた。
揺れの中心にいるのは、星約に補助枠として加わった"ミカ・エルヴェイン"。
ミカが演習でどこの星約に入るかは、あらかじめ学院から共有されている。
後方支援から前線。
前線の後衛から前衛へ。
組み合わせる恩寵もバランスよく散らされていて平等だ。
演習自体は大きな混乱なくスムーズに進んでいる。
初日から今日まで、ミカはどの星約の補助に入っても上手く立ち回っていた。
――上手く、立ち回りすぎていた。
◇
後方支援に回れば、回復の優先順位が低く後回しにされた負傷者のそばにしゃがみ込む。
「痛いよね。少しだけ、触るよ」
「……あれ」
ほんの数秒だけ、手首に指を重ねると、顔をしかめていた生徒が、目を瞬く。
「痛みが、ない……?」
実際には痛みが消えたわけではない。感じなくさせているだけ。
呼吸が整う程度には薄まって、その間に回復が追いつく。
◇
前衛が崩れ、後衛が焦りで恩寵が上手く使えなくなったときも同じだった。
「ごちゃごちゃしてるね。少しだけ、切るよ」
背に触れる。
次の瞬間、解析の恩寵をもつ男子生徒の視界から余計なざわめきが消える。
流れが一本の線として浮かび上がった。
「……見える」
集中して的確な指示を行うことで、戦況は持ち直す。
◇
最前線に入れば、踏み込みを躊躇った瞬間を逃さない。
戦闘の恩寵を持つ女子生徒の肩に軽く触れ、低く囁く。
「怖いの、少し消すね」
目の前の人工魔物に感じていた恐怖の感情が薄まる。
震えていた女子生徒の呼吸が落ち着き、次の瞬間には踏み込んでいた。
「……いける!」
剣先が人工魔物を裂き、瞬く間に制圧した。
◇
どの班でも、自然に、さりげなく結果は出る。
連携の遅れは減り、被弾は減少し、処置時間も短縮される。
教官たちは淡々と記録を取り、評価欄に静かに印を重ねていった。
ただ、クラスの空気は別方向でも歪みは生まれていた。
演習後の空き時間。
後衛の女子生徒が、星約の隣にいながらミカの袖を引く。
「さっきの、もう一回やって。あれ、すごく楽だった」
ほんの数秒、疲労を遠のかせるような触れるだけの軽い干渉。
それだけで彼女の頬が赤みを帯びる。
「……おい、演習終わっただろ」
隣の男子生徒が低く言う。視線はミカの方を見て睨んでいた。
「別に減るものじゃないでしょ」
女子は拗ねたように返す。男子生徒を一瞥すると再び、ミカの方に熱っぽく視線を送る。
ミカは困ったように笑うだけ。
連携は良くなっているはずなのに、わずかに空気は重くなっていった。
◇
図書棟の高窓から差す光の下で、授業を終えたリネアとクロウは向かい合って座っていた。
リネアは分厚い理論書を開き、クロウは別の資料を読んでいた。机には星図と戦術図。
紙の擦れる音だけが響く。
「……明日だね」
リネアが、ぽつりと言う。
明日の演習ではミカが自分たちの連携に加わる。
他の生徒たちの評価は概ね好評のようだったけれど、リネアは干渉がどんな力なのかよく知らない。
「干渉って、実際にされるとどんな感じかな?」
「受けたことはない」
「魔術と違うって言うけど、感覚が想像つかなくて」
そのとき。
「知りたい?」
本棚の陰からミカがひょいっと出てきた。
白い髪が夕陽を受けて淡く染まっている。
「明日はよろしく。挨拶に来た」
気負いのない笑みで自然に距離を詰める。
「干渉、気になる?」
リネアは少し考えてから、頷いた。
「一緒に動くなら、知っておきたい」
「いい心構え」
にこりと笑う。
「んー……説明するより体感のほうが早いかな。ちょっとだけやってみる?」
「いいの?」
「もちろん。じゃあ、手をどうぞ」
リネアがおずおずと手を差し出すと次の瞬間、指が絡んだ。
ただ触れるのではなく、指と指が交互に噛み合う形。
自分で差し出したのに、予想外の触れ方をされて、リネアの頬が熱を持つ。
「いくよ」
「う、うん」
内側に、何かが“触れた”。
皮膚ではない。
もっと奥。
視界がわずかに明るくなる。
窓の外。
夕暮れだった空が、澄んだ昼の青へと変わる。
「……っ」
瞬きの間に、また橙色の空へ戻る。
「今、青空に」
「時間感覚と視覚の接続に触らせてもらった。ほんの数秒」
「光の質も、影の落ち方も違って見えた」
「現象は変えてない。リネアの認識だけ」
鳥肌が立つ。
「すごい……」
「ありがとう。でも、できるのはこのくらい」
だけど、
ミカは穏やかな微笑みのまま。
手も、絡んだまま。
もう何も起きていない。
それでも、指は離れない。
リネアがちら、と視線を上げても、ミカは変わらずに平然としている。
数秒。
――さらに数秒。
どうすればいいのか困惑して、リネアの顔が徐々に赤くなる。
「……いつまで握ってる」
クロウの低く、冷えた声。視線は資料から上がらない。
ミカは「あ」と小さく声を出した。
「ごめん、ごめん」
あっさりと離す。
「今日ガイたちと組んだんだけどさ、全然違うなって。リネアの手、小さいね」
「……ガイと比べたら誰でもそうだよ」
苦笑しながら、リネアの顔の熱はまだひ引かない。
「他は痛覚もいけるよ。例えば疲労感を鈍らせるとか――」
「やめておけ」
クロウは遮ると、ようやく顔を上げる。
その視線はミカではなく、リネアに向いていた。
「軽い調整だよ?」
「精神干渉は軽重の問題じゃない。
これ以上は、必要なら演習内で正式にやれ。記録が残る」
ミカは一瞬だけ赤い瞳を細め、それから肩をすくめた。
「了解、明日は真面目にやる。
じゃあ、またね」
残された二人に落ちた、しばらくの沈黙。
クロウは資料を畳んで、ため息をついた。
「軽率だ」
「……ごめん」
「好奇心で触れていい力じゃない」
淡々としているが、声音はわずかに硬い。
「そうだね……」
リネアはそっと、自分の指を握り直す。
繋いだミカの手は、思いがけずにひやりと冷たかった。
それなのに、触れられた場所だけが、熱のような違和感を残している気がした。




