02 夢は名を呼ぶ
神殿で初めて恩寵を使った日から、リネア・フォレストには、繰り返し見る夢がある。
知らない場所。
知らない人。
そして――自分は登場しない。
それは、誰かの物語のかけらのようだった。
最初は意味がわからなかった。
なぜ、こんな夢を見るのか。
なぜ、こんなにも胸が苦しくなるのか。
ただひとつ確かなのは、この夢が夜ごとに形を変えることなく、いつも同じ結末へと辿り着くということだった。
――今日も、あの夢を見る。
理由のない確信があった。
まぶたが重い。
寝返りをうとうとしても身体が動かない。
白い光が、ゆらりと揺れた。
それが合図みたいに、意識が沈む。
◇
空が、歪んでいる。
夜でも昼でもない、濁った色。
その中心には、暗く澱みを吐き出し続ける裂け目がある。
歪な空間から、瘴気と魔物が生み出されては人を襲う。
大地が震え、瓦礫が舞い上がる。
悲鳴と怒号、金属がぶつかる音。
"星蝕"だ。
現実で見たことはなくても、感覚が理解していた。
これは世界の綻びが、現実に滲み出た光景だ。
星蝕と相対する最前線に、ひときわ目を引く人物がいる。
金色の髪が、乱れながらも陽光のように輝いていた。
碧い瞳の青年は、真っ直ぐ前を見据え、長剣を大きく振り抜くたび、星蝕から湧き出る魔物を押し返していく。
服は破け、血に濡れている。それでも一歩も退かず、前に立ち続けていた。
背後には、多くの人がいる。
倒れた者、庇われる者、必死に立ち上がろうとする者。
学生なのだろう。皆一様に同じ制服を着ている。
そのすぐ隣で、柔らかな光が広がった。
白く、あたたかな、癒しの光。
土埃でくすんでしまった、淡い桃色の髪が揺れる。大きな瞳を必死に必死に見開いた少女が放つ光が届くたび、倒れる者の命が繋ぎ止められていく。
そして、その少し離れた先に、人影があった。
黒髪の青年。
細身の身体に、張り詰めた静けさ。
手にしているのは、弓だ。
弓を引き絞る腕と、鋭く戦場を見渡す金の目には無駄がない。
弦にかけた指先は、ただ一瞬の好機を待っている。
その時。
空が、さらに深く裂けた。
世界そのものが、軋む。
これまでとは明らかに違う、圧倒的な“何か”が、降りてくる。
――大星蝕。
金髪の青年の動きが、一瞬、鈍った。
衝撃音とともに、身体が弾かれる。
すぐに体制を立て直そうとする青年。
その瞬間、口から血を吐き出し、膝から崩れ落ちた。
少女の悲鳴が上がる。
駆け寄って、癒しの光が注がれると、青年の顔に正気が戻っていく。
助かった。
そう思った、次の瞬間。
歪みが、方向を変えた。
狙いは、癒しの光。
同時に、弓を構えていた青年が、動いた。
弓を捨てて、一足飛びに距離を詰める。
少女を抱き寄せ、覆いかぶさるように庇った。
そして、いとも簡単にその身体は貫かれる。
「クロウ――っ!!」
ひどく切実で、恐怖に濡れた叫び。
名だけが、はっきりと響いた。
少女は血に濡れた青年の身体を抱き起こし、必死に名を呼び続けるも、返事はない。
その瞬間――
少女を起点に世界が、白く染まる。
これまでよりももっと大きく、もっと暴力的で、それでいて圧倒的に清らかな光だった。
大星蝕の時に必ず現れるという、"聖女"。
時を巻き戻し、大星蝕から世界の歪みを正せる唯一の存在。
星蝕が、瘴気が、魔物が、消えていく。
崩れていた大地が静まり、空の裂け目が縫い合わされる。
倒れていた者たちが、次々と起き上がった。
まるで時計の針を戻すように、元通りになっていく。
――ただ、一人を除いて。
少女の腕の中で、クロウと呼ばれた青年の体温だけが、ゆっくりと失われていた。
光は、彼にだけ届かなかった。
少女は、なおも名を呼び続ける。
縋るように、祈るように。
クロウ。
クロウ。
最後に、青年の瞳は再び少女を映すことなく、静かに閉じられたまま。
彼だけを除いて、世界は救われた。
夢は、いつもそこで途切れる。
◇
目を覚ましたリネアは、泣いていた。
――黒髪に金色の瞳。
――弓を持つ、助からなかった青年
神殿で助けてくれた少年と、夢の中の青年の面影が重なる。
あの日、少年の名前は聞けないまま、気づいたときにはもういなかった。
それでも、後になってすぐに噂が耳に入った。
ノクエル伯爵家の嫡男が、儀式の日に倒れた少女を背負って運んでいた、と。
ノクエル家は代々、軍務参謀卿を務める名家だ。
その子息の挙動は、常に注目の的だった。
クロウ・ノクエル。
その名を聞いた時、リネアの胸の中で、何かが静かに繋がった。
どうして、こんな夢を見るのか。
どうして、自分だけが知っているのか。
今もわからず、ただ、予感だけがあった。
――同じことが、起こるかもしれない。
夢は、恩寵の力とは明らかに違う。
でももし、この夢を見る意味があるのだとしたら……。
結末は、変えられる?
夢を初めてみた日から。
リネアの人生は、その問いを中心にずっと回り続けている。
ゆっくりと身体を起こす。
答えは、まだ、わからない。
ただひとつ。
あの名だけは、忘れられないまま。
昨日、学院で見た背中が、リネアの脳裏をよぎった。




