28 欠けた星
二学期初日。
中庭の掲示の前には、朝から人だかりができていた。
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アメリア・ロズウェル:無期休学
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それだけの簡潔な文面。
理由は記されていない。
「急すぎない?」
「体調不良?家の事情かな」
「北部に変な動きなんて、あったか……」
曖昧な憶測が囁きが交わされる。
一人の生徒の星約が不在になったという事実だけが、静かに波紋を広げていた。
◇
教室に入ると、空気はさらに落ち着かない。
「大丈夫なの?」
「困ったことがあれば、いつでも相談に――」
主に下級貴族の令息令嬢たちが、ある男子生徒のまわりを囲んでいた。
アメリア・ロズウェルの星約。
――ミカ・エルヴェイン
パートナーを失い、実質的に単独行動となる彼が、一人でどう立ち回るのか注目されないはずがない。
"エルヴェイン"は神殿に連なる姓だ。
この国では稀に、平民でも恩寵を持つ者が生まれることがある。
その存在が知らされた段階で、彼らを神殿が引き取り、同じ姓を与えて神官見習いとして育てていた。
神殿に属する他の貴族の子女とも違う、特殊な立ち位置。
それでも、神官見習いの学院生は少ない。神職の高位に上がる可能性がある存在だ。
今のうちに繋がっておく価値は、一部の生徒にとっては十分にある。
何より、彼の目立つ恩寵や容姿も皆の好奇心を余計に煽っていた。
ハーフアップにゆるく結われた、肩口より少し短い白い髪が灯りを柔らかく弾く。
艶のあるその髪の下には、鮮やかな赤い瞳と、男女の境界を曖昧にする中性的で整った顔立ち。
教室の灯りの下でも現実味が薄く、どこか神像めいていた。
「ありがと。でも大丈夫」
ミカはその見た目に反して、口を開けば誰に対しても気さくな振る舞いをする。
「俺、案外ひとりでもなんとかなるタイプなんだよね」
軽口を叩いて笑いが起きる輪の中から、ふと視線を外す。
少し離れた場所に立つ、リネアへ。
「リネア」
囲みをすり抜け、自然な足取りで近づく。
「ミカ、どうしたの?」
「一学期の終わりに、アメリアが言ったこと」
声は抑えめだが、真面目だった。
「謝らせるつもりだった。でも、休暇に入ったら連絡が取れなくてさ。
休学になっちゃったから……代わりに。ごめん」
自分の星約の無礼を、正式に詫びる。
リネアは小さく首を振った。
「気にしてないよ」
「なら、良かった」
「それより……星約がいなくなると、大変だね」
「一年の二学期からは複数星約での連携演習が多いらしい。
学院側から詳しい説明が改めてあるって。だから、なんとかなるよ」
ミカはあっけらかんと肩をすくめる。
本当に困っている様子はない。
「俺さ、回復の恩寵とは結構相性いいと思う。演習で一緒になったら、よろしく」
「こちらこそ」
神学書の挿絵から抜け出してきたような笑顔に、リネアは素直に頷いた。
◇
喧騒から離れた回廊。
柱と壁の隙間から差し込む光を避けるように、ミカ・エルヴェインは、影の中を歩いていた。
先ほどまで教室で浮かべていた明るい笑みは、もうない。
口元はわずかに緩んでいるが、そこに意味はなく、ただ形だけが残っている。
コツリ、と。
前方でヒールが石を叩く音がした。
「半年も待てないだなんて。随分と、我慢がきかないのね」
冷えた声が落ちる。
柱の陰から現れたのは、イリス・アーヴェルだった。
高く結い上げた青い髪が揺れ、整えられた所作には一切の無駄がない。
その濃い紫の瞳は、まるで値踏みするようにミカを見据えていた。
「なんのこと?」
ミカはわずかに首を傾げる。
口元には、いつもの笑みを貼り付ける。
だが、その瞳の奥にあるものは一切動かない
「あの子にはやってもらいたいことが、あったのだけれど」
イリスは歩みを進める。
ヒールの音が一定の間隔で響く。
「勝手をしてくれたわね」
その言葉には、露骨な不快が含まれていた。
計画を乱された側の、苛立ち。
「神衣の裾に隠れてこそこそと……卑しい者が、煩わしいこと」
空気が、ぴたりと張り詰めた。
ミカは大袈裟に目を見開いた。
「侯爵家のご令嬢が気にかけるほどのことだった?」
わざとらしいほどに軽い声音。
場の温度を意図的にずらす。
――どうせ、本気で困っているわけじゃない。
そう言外に含ませる。
「"俺"は何もしてないよ」
肩をすくめる。
事実としては、嘘ではない。ミカはただ、恋する少女の背中を押しただけだ。
ほんのわずかに、恩寵を添えて。
イリスは鼻で笑う。
「はぐらかすなら、それでもいいわ」
さらに距離を詰める。視線を外さないまま、真っ直ぐに。
すれ違う瞬間、イリスは忌まわしげに顔を寄せた。
「あまり、やりすぎないことね」
それは警告というより、どこまでが許されるかを暗に示す線引きだった。
背を向け合う。
数歩進んでから、ミカが足を止めた。
「ああ、そうそう」
軽く振り返る。
「俺の星約、空いたけど――イリスはどう?」
赤い瞳が、細く弧を描く。
試すような視線。
「星約発表の日、気に入ってなかったでしょ。エドガルのこと」
踏み込めば嫌がると分かっている部分に、わざと触れる。
一瞬だけ、空気が凍る。
イリスは振り返らない。
「結構よ」
間を置かない拒絶。
「他の者の首輪がついた犬は、可愛げがないもの」
声音は変わらない。
だが、その言葉には明確な選別の意志があった。
価値のあるものと、そうでないもの。
最初から、同じ土俵にはいない。
足音が遠ざかる。
残された静寂の中で、ミカは小さく息を吐いた。
「ひどい言われようだなあ」
そう呟いて、口元が緩む。
今度は、作ったものではない。
どこか愉快そうに、心底楽しんでいるような笑みだった。




