27 夜会にて
王都の夏は、夜になっても熱を残す。
ヴァレンティ家のタウンハウスは、中心街から少し外れた、大きな屋敷が立ち並ぶ区画にある。
豪奢で格式ある外観は、長い歴史を誇る侯爵家らしい佇まいだった。
今夜は若手の貴族や後継者である子息子女を中心とした、小規模な夜会。
大広間には優雅な音楽が流れ、質の高い料理と酒が並ぶ。
情報交換と顔つなぎを主目的とした集まりだ。
その中央で応対しているのは、レオニスだった。
濃紺の正装に身を包み、背筋を伸ばし、朗らかに笑う。
声はよく通り、相手の目を正面から捉える。威圧はせず、それでいて一歩も引かない。
侯爵家の嫡男として、十分すぎる姿だった。
その隣では、セラフィナが茶色がかった濃灰の瞳を細めて、優雅に微笑んでいる。
桃色の髪は丁寧にまとめられ、首元には意匠を凝らした真珠の首飾りが輝いていた。
学院で見せる明るさとは違い、所作は洗練され、言葉遣いも丁寧。
誰かが話しかければ、相手の言葉を一度受け止め、自然な間を置いて返す。
まわりの貴族令息達は、うっとりと魅了されていた。
そして、少し離れた位置にクロウ。
黒の装いは飾り気がないが、毅然とした立ち姿が目を引く。
必要な挨拶は欠かさない。
余計なことは言わなくても、聞くべき情報は確実に拾っている。
来年の叙勲人事、
王立研究所の新設部署、
神殿と王宮の儀式日程の調整。
こういう場は、ただの社交ではない。
「クロウ?」
セラフィナが近づき、小さく首をかしげた。
「少し、顔が固いよ」
「そうか?」
「うん。疲れてる?」
レオニスが横で笑う。
「休暇に入ってから、随分と忙しくしていたみたいだな?」
「してない」
「へえ?」
即答するも、面白がるような視線を送られる。最近、幼馴染たちとはこういうやりとりが増えた。
まともに取り合っても形勢は良くならない。
クロウは意識を広間の窓の外へ逃がして、別の情景を思い出す。
――学院、図書棟、遅くまで灯りが残る場所。
「明日の夕方、戻ることにした」
唐突に言った。
「最終日に帰る予定じゃなかった?」
「やることは終わった」
終わらせた、と言うほうが正確だ。
家の書類、報告、必要な顔合わせ。
嫡男としてやるべきことは、予定より数日早く片付けた。
「……無理をしている気がする」
誰、とは言わない。
だけど二人には伝わっている。
「星約だもんな」
レオニスは肩をすくめた。
クロウはそれを肯定も否定もしない。
「今夜も、これで失礼する」
「もう?」
「十分だ」
挨拶を済ませ、静かに広間を抜ける。
背中はいつも通りだが、歩調はわずかに速かった。
◇
夜会も半ばを過ぎた頃。
レオニスとセラフィナがグラスを傾けながら談笑していると、落ち着いた低い声がかかった。
「レオニス殿」
振り返ると、堂々とした体格の青年が立っている。
薄い栗色の髪に緑の瞳。派手ではないが整った顔立ち。
そして、肩幅と腕には文官らしからぬ厚みがある。
「遅参、失礼しました。ローウェン・フォレストです」
丁寧な一礼。
王宮穀倉庁監督官。男爵家の嫡男。
名前は知っていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだ。
「レオニス・ヴァレンティです。こちらはセラフィナ・ロゼ。
ご足労いただき感謝します。お忙しいと伺っていました」
「いえ。ご招待、光栄です」
声は穏やかだが、視線は真っ直ぐだ。
「ヴァレンティ家からのお声がけとあって、軍への備蓄配分の話でも、と身構えていたのですが」
ローウェンはにこやかに続ける。
視線は揺れず声音は軽いが、探るような色がある。
「国の穀倉を預かる身としては、どうしても食糧備蓄の優先を考えてしまうもので」
ローウェン・フォレストは、穀倉は民のためにあり、という考えの持ち主だと聞いている。
ここは軍務卿家の夜会。
内心に警戒があるのは当然だった。
レオニスもまた、真っ直ぐ応じた。
「当然です。軍も、兵站なくしては成り立ちません」
「戦わずに済むなら、それが最善だ。けれど備えがなければ守れない」
短い言葉の中に、未来の軍務卿としての思想がある。
ローウェンも強く頷く。
「同感です。飢えぬことも、防がれることも、どちらも民にとっては同じ“安心”ですから」
「……そのような話は、またぜひとも別の席で。
今夜は純粋に若手同士の交流ですから」
ようやく相手の肩の力が抜けた気配に、レオニスも空気を変える。
「それに、フォレスト家とは縁があります」
「……ほう?」
「妹君は、我々の友人です」
「リネアと?」
相好を崩して、一気に警戒が解けるのが目に見えて分かった。
「ええ。良き学友です。優しくて、少々頑固な」
「ははは!どちらも否定しませんな。
ですが、目に入れても痛くないほどかわいい妹です」
ローウェンが嬉しそうに笑った。
「……学院では、ちゃんとやれておりますか?」
「優秀ですよ。次の休暇には、ぜひこちらにお招きしたいと思っていました。
本日は、そのご挨拶も兼ねて」
「それはありがたい」
雰囲気がやわらぐ。
先ほどまでの慎重な文官の顔ではなく、ただの兄の顔だった。
「そういえば」
ふと、辺りを見回す。
「妹の星約であるクロウ・ノクエル殿もおられるはずだが……?」
レオニスはわざとらしく眉を下げて答える。
「ローウェン殿がいらっしゃるまで、引き止めておければよかったのですが……」
レオニスとセラフィナが、顔を見合わせて、わずかに笑う。
「大事な用事があるそうで、先に戻りました」
◇
翌日、ほとんど日が沈みかけた夕刻。
王都を発った馬車が、学院の正門前より少し前で止まった。
「ここでいい」
クロウは短く告げ、最小限の荷を受け取る。残りは寮に運ぶように伝えて御者を下がらせる。
正門から寮へ向かう道は――選ばない。
迷いもなく、その足は真っ直ぐに図書棟に向かって行った。




