24 薄明
――夢を見る。
見覚えのある場所。
知っている人。
そして――自分は登場しない。
歪んで裂けた空の向こうで、濁りが渦を巻く。
地面が抉れる。
石畳が浮き、反転し、砕ける。
校舎の壁面が紙のように裂ける。
瓦礫の中で、レオニスが膝をついている。
血に濡れた金の髪が、土に汚れている。
肩口の服は破れ、赤く染まっている。
――あの人は、あんな顔をしない。
いつも悠然と、ときには軽口を言って、
大きな背中で立っているのに。
今は、歯を食いしばっている。
立ち上がろうとして、脚が震えている。
背後から、空間が歪む。
見えない刃のような裂け目が走り、
制服ごと皮膚が裂ける。
セラフィナが光を放つ。
震えながら、泣きそうな顔で。
――あんなに明るく笑う子なのに。
彼女の光は確かに強い。
けれど、何人も、何人も倒れていく。
追いつかない。
声が枯れていく。
その少し離れた先で、クロウが動いた。
静かに、無駄なく。
矢が放たれる。
空間の裂け目を正確に射抜き、魔物は消滅する。
だが、歪みから魔物は増え続ける。
魔力の奔流が地面を這い、触れたものを焼き、削り、崩した。
それでも、彼の視線は、常にセラフィナにある。
彼女がふらつけば距離を詰める。
彼女の背後に影が生まれれば、光の矢で祓う。
――彼の想いがどこにあるのか、夢の中でも痛いほどに伝わった。
そうして、世界が、軋んだ瞬間。
もう、クロウは躊躇わなかった。
弓を捨てる。
距離を詰める。
身体を投げ出す。
「クロウ!」
その声は前よりもはっきり聞こえる。
そして、これから先もよく知っていた。
何度も、何度も、見てきた同じ結末。
世界が白く染まる。
星蝕は消える。
瓦礫は止まる。
倒れた者は立ち上がる。
――救われる。
レオニスも。
他の生徒も。
ただ。
クロウだけが、動かない。
固く瞳を閉じた表情は穏やかで、もう、十分だという安堵が浮かんでいた。
何度見ても、変わらない。
リネアだけがこの物語には、いない。
◇
息が、うまく吸えなかった。
見開いた目の奥に、まだあの白い光が残っている。
頬に冷たいものが伝っている。指で触れて、ようやく涙だと分かった。
寝具は汗で湿っている。
心臓が、異様な速さで脈打っていた。
以前より、つらい。
夢は、リネアにとって学院に入るまでは知らない人たちの物語だった。
痛みはあったけれど、どこか遠かった。
今は違う。
レオニスの笑い方を知っている。
セラフィナの些細な癖も知っている。
クロウが、ほんの少しだけ目を緩める瞬間も。
だから。
夢の中で壊れていく姿が、ただの“未来の可能性”とは、もうリネアは思えなくなっていた。
現実の延長線。
このままでは駄目だ、という焦り。
ベッドから身体を起こす。
リネアは制服ではなく私服に着替え、音を立てないよう寮の外に出た。
◇
休暇の初日。
薄く空が明るみ始めたばかりの学院内に、人影はまったくない。
夢の中でクロウたちは制服を着ていた。
星蝕が起こるのは、学院のどこかである可能性は高い。
けれど。
(違う。……どこも違う)
校舎の位置。
崩れた壁。
空の裂け目の角度。
夢で見た景色は、思い出そうとするほどに、砂のようにこぼれていく。
それなのに、セラフィナの叫びだけは、消えない。
クロウの倒れた姿も、消えない。
結局、今日も夢が起こる場所の手がかりは掴めないままだった。
◇
日が昇ると、学院の正門前には、すでに数台の馬車が並んでいた。
紋章入りの立派なものから、実務的な簡素なものまでさまざまだが、どれも休暇の始まりらしい軽やかな空気をまとっている。
「忘れ物はないか?」
レオニスが自分の荷を確認しながら言う。
「大丈夫!三回は確認したもん」
セラフィナは胸を張った。
その足元には、三回も見るのには大変な量の荷物が置かれている。
「それ、半分は菓子だろ」
「違うよ。お土産候補の研究!」
「研究って言えば何でも通ると思うなよ」
レオニスが呆れたように笑う。
そのやり取りを、リネアは少し離れた場所から見ていた。
夢の中で瓦礫に膝をついていた金髪は、今は陽光を受けて眩しいくらいだ。
血に濡れていて破れた制服の代わりに、仕立てのいいシャツを羽織っている。
――ちゃんと、いる。
その当たり前の事実が、胸にじんわりと安堵として広がった。
「リネア!」
セラフィナが駆け寄ってくる。
「次の休みは絶対来てね? 約束だからね?」
「うん。……王都の本屋、楽しみにしてる」
「任せて!案内するから!」
ぱっと花が咲くように。
夢の中で、泣きながら名を呼んでいた顔
とは重ならない。
ここにあるのは、よく知ってる明るい笑顔だ。
「寮が静かになるな」
レオニスが軽く伸びをする。
「寂しくなったら、手紙をくれ」
「そんなに寂しがりに見える?」
「見えるな」
リネアが苦笑すると、レオニスは鷹揚に頷く。
その隣で、クロウが静かにこちらを見ていた。
何かを、言いかけて、やめる。
ほんのわずかに視線が逸れて、それから戻る。
「……行ってくる」
いつもの調子のようで、どこか焦点が定まらない声だった。
「うん」
本当は別のことを言いたかったのかもしれない。
だけど、踏み込んで確かめるほどの勇気は、どちらにもなかった。
馬車に乗る直前、クロウは一瞬だけ足を止めた。
振り返らない。
「……無理はするなよ」
短い一言。
何に対しての言葉かは、はっきりしない。
けれど、今朝の夢がまだ胸にあるせいか、その声音がやけに近く感じられた。
「うん。いってらっしゃい」
それ以上は言わない。
言えば、余計なものまで零れそうだった。
御者が合図を送る。
馬が鼻を鳴らして車輪が軋む。
「じゃあな」
「またね!」
手を振るセラフィナとレオニス。その奥にいるクロウは見えない。
馬車がゆっくりと動き出した。
風に溶ける笑い声も、
温かい空気も、
すべてが確かにここにある。
星蝕がどこから来るのかも、何をすれば止められるのかも、まだわからない。
それでも。
物語の外側から伸ばしたこの手を、必ず届かせる。
どれほど難しくても。
やがて、馬車が見えなくなった。
静けさが戻った正門前で、リネアは空を仰ぎ見る。
薄明は、いつの間にか青へ変わっていた。




