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リネアの選択  作者: とたか たか


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01 神殿

 学院の夜は静かだった。

 学生寮は、正門を出た先の校舎から少し離れた場所にある。寮をぐるりと囲む木々を春風が柔らかく揺らし、葉と葉が触れ合う音が、遠くでさざめく。


 入学式を終えたリネアは、自室のベッドに背を預けて、天井をぼんやりと眺めていた。

 視線は遠く、記憶の先にある。

 ここよりももっと高い、神話が鮮やかに描かれた神殿の天井画を見ていた。





 この国特有の白い石で造られた回廊。

 磨かれすぎて冷たい床。

 香の匂いと、微かに聞こえる祈りの声。


 五歳。

 数え年で同じ歳の子どもたちが集められ、生まれてからすぐに封じられていた恩寵が一斉に解かれる日。


 リネアは、そこにいた。

 小さな手で、母の指をぎゅっと握りしめながら。


 ――戦闘、観測、分析、回復、増幅、干渉。


 神殿の最奥の至聖所では神官が、神から与えられ、そして人間が分類した恩寵の名を子どもたちに次々と告げていく。


 怖かったわけではない。

 けれど、何が起こるのかよくわからない場所で、知らない大人たちに囲まれるのは、落ち着かない。


「大丈夫だ」


 父が宥めるように背中に手を添えてくれて、母が優しく微笑んだ。


 ほどなくリネアの番が来て、儀式は滞りなく進んだ。


 神官が名前を呼び、額に触れ、封印を解く。

 神体に手をかざすと身体が淡い光が瞬き、恩寵が記録されていく。


 痛みはなかった。

 ただ、胸の奥に、何かが“通った”感覚が残った。


 リネア・フォレスト。回復する者。


 そう告げられたとき、頭上の空気がわずかに揺れる。よく分からないまま、両親がほんの一瞬だけ線を交わしたことが印象に残った。


 儀式が終わると、子どもたちは解放された。

 神殿の説明を受ける大人たちと合流するまでの、ほんの短い時間だった。


 神殿の裏手。

 中庭のよく手入れされた花壇の隅で、リネアは小さな鳥が動かなくなっているのを見つけた。


 病気か、どこか痛めたのか。

 ただ、か細い存在感で、今にも消えそうだった。


 ――かわいそう。


 その感情が先に立った。

 "対価"という言葉を、まだ知らなかったリネアは本能的に手を伸ばした。


 胸の奥で、何かが熱を帯びる。

 神官が触れたときと同じ、あの感覚。


 光が、淡く滲んだ。


 ――その直後。


 世界が、ひっくり返った。


 胸が、締めつけられる。

 呼吸がうまくできない。

 腕も脚も、鉛のように重い。


 その場に崩れ落ちて、初めて理解した。


 ――痛い。


 涙も、声も出ない。

 視界が白く滲む。


 そのとき。


「……大丈夫か?」


 誰かの声がした。


 覗き込んできたのは、同じ年頃の子どもだった。

 儀式を終えたばかりの、まだ幼さの残る顔。黒い髪からのぞく金色の眼だけが妙に落ち着いていた。


「立てるか?」


 リネアは何も言えなかった。

 言葉を紡ぐ余裕が、なかった。

 少年は、少し困ったように眉を寄せてから、何も言わずにしゃがみ込んだ。


 そして、ふっと身体が浮いた。


 背中に回された腕。

 どこにそんな力があったのか、小さな背にそのまま、背負われた。


 背丈の変わらない子どもの背中だ。安定感はあまりない。

 それでも、わけの分からない苦しさの中で背中越しに伝わる体温に、リネアは安心した。


「落ちるな」


 目を瞑り、意識を手放しそうになると短く言われる。

 リネアは、少年の無意識に服をぎゅっと掴んでいた。


 一歩一歩、小さいのに着実に歩む足音。

 遠くから両親の驚いた声が聞こえる。


 そこで、リネアの意識は完全に途切れた。



 ◇



 次に目を覚ましたとき、リネアはベッドの上にいた。


 全身が、焼けるように痛かった。

 数日、熱が下がらなかった。


「どうしてこの子だけが……」


 母の泣き声混じりの声も現実かどうか判断がつかない。


 ――恩寵の対価。


 あれが、自分の力に対する”対価”だと知ったのは、もう少し後のこと。


 痛みと熱に浮かされて、おぼろげな意識の夜の中。

 枕元にぼんやりとした白い光を放つ鳥を見た気がした。


 それから、リネアは何度も繰り返し、同じ夢を見ることになる。


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