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リネアの選択  作者: とたか たか


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17 幻想

 それから数日、演習は順調に進んでいた。

 リネアの体調は安定していて、恩寵の使い方も無理がない。回路の調整も上手くできるようになってきた。

 クロウとの連携も噛み合い、危うい場面はほとんどなかった。


 その代わり――


「……増えてない?」


 昼の座学前、セラフィナがクロウの腕に視線を落とす。


 包帯はないが、制服の隙間から薄い傷跡がいくつか覗いている。

 どれも浅く、すでに治りかけているものばかりだ。


「気のせいだ」

「絶対気のせいじゃないでしょ」


 セラフィナが呆れたように、でも面白そうに言う。


「治そうかって聞いても、いらないらしいのよ。この人」

「……別に、支障はない」


 クロウはノートを閉じながら答えた。

 本当に、気にしていない様子だった。


 リネアは、いたたまれない気持ちで目を伏せた。


「……ごめん」

「謝るな」


 短く、即座に返る。


「残らない程度には治ってる」

「だから問題ない」


 それを聞いて、レオニスが軽く肩をすくめた。


「随分、信頼してるじゃないか」


 レオニスの声音には、からかうような含みがある。

 無視を決め込んだクロウは涼しい顔のまま。

 その隣でリネアだけが居心地が悪そうに姿勢を正した。





 その日の放課後。

 クロウが一人で教室を出ると、すぐ背後に気配があった。


 ――視線。


 何度か、同じものを感じている。

 最近の演習後や座学の合間。


 振り返ると、一人の女子生徒が立っていた。


 手入れされた淡い金の巻き髪。

 明るい紫の大きな瞳に、柔らかな笑み。


 アメリア・ロズウェル。

 同じクラスの、子爵家の令嬢だった。


 回復の恩寵を持ち、後方支援に回ることが多い。あまり交流のない生徒だ。


「クロウ様」


 呼びかけは、穏やかだった。


「少し、お話よろしいでしょうか」


 距離は、三歩ほど。

 近すぎず、遠すぎず。


 ただ、その視線は――クロウの腕へと落ちて痛まし気に歪められる。


「最近、お怪我が増えていますよね?」


 断定ではない。

 確認するような口調だった。


「演習のたびに。

 きちんと処置はされているようですが……」


 一拍置いて、続ける。


「完全には、治していない」


 クロウは、表情を変えなかった。


「それが、何だ」

「……いえ」


 アメリアは、少しだけ首をかしげる。


「前線に立つ方としては、非効率だと思いまして」


 善意のようだ。

 少なくとも、本人の中では。


「差し出がましいとは承知しています。

 ですが、もし必要であれば」


 そこで、初めて視線が合う。


「私が、治します」

「必要ない」


 声は低く、迷いがなかった。

 アメリアは、ほんの一瞬だけ言葉を失った。


「……ですが。あなたほどの方が、その状態というのは――」

「問題ない」


 余分な温度のない声だった。


「了承している。連携にも、支障は出ていない」


 アメリアは、指先をきゅっと握る。


「……リネア・フォレスト、ですね」


 名前を口にするときだけ、声がわずかに硬くなる。


「正直に申し上げますと、セラフィナ様や、イリス様と比べると……」


 言葉を選びながらも、目は逸らさない。


「彼女の回復は、合理的とは言えません。あなたには、もっと――」

「やめろ」


 クロウの声が、初めて鋭さを帯びた。


「誰が、誰にふさわしいか。

 それを決めるのは、お前じゃない」


 一歩、距離を取る。


「今のやり方で、俺は困ってない」


 アメリアは、息を呑む。


「……これ以上、口を出すな」


 それだけ言って、クロウは踵を返した。





 1人残されたアメリアは、しばらくその場を動けなかった。


 その頬は薔薇色に染まって、目は潤んで輝いている。

 拒まれたはずなのに、嫌な気持ちにはならなかった。


(……近かったわ)


 あんな風に、すぐ側で見つめ合ったのは初めてだった。


 声も。

 視線も。


 子供の頃、夜会の隅から遠巻きに見ていた姿が重なる。


 ――まだ幼かった頃。


 広間はきらきらしていて、音楽も大人たちの声も、全部が遠くて。

 背の低い自分は、母の影に隠れるようにして立っていた。


 そのとき、視線の先にいた人。


 同じくらいの年頃の少年が、少し離れた場所に立っていた。

 誰かと楽しそうに話すわけでもなく、

 無理に笑うわけでもなく。

 ただ、静かにそこにいるだけ。


(……あの子、とってもきれい)


 子供心にも、はっきり思った。


 そこに佇んでいるだけで、目を引く。

 触れたら壊れてしまいそうなくらい、整っていて、遠い。


 名前を知ったのは、そのあとだった。


 クロウ・ノクエル。

 伯爵家の嫡子。


 胸が高鳴った。


(王子様みたい)


 物語の中に出てくる人みたいだと、本気で思った。


 それからずっと。


 学院に入って、

 星約を結んで、

 一緒に戦って。


 傷ついた彼を、後ろから支える。

 そんな未来を、何度も思い描いた。

 王子様とお姫様の運命的な恋物語のように。


 だから。


 今日の言葉も、拒絶だなんて思えなかった。


(……今は、気づいてないだけ)


 あの方は、きっと分かっていない。


 誰が一番、彼を支えられるのか。

 物語にふさわしいのかを。


 アメリアは、そっと胸に手を当てた。

 まだ少し、どきどきしている。


(……きっと分かってくれるわ)


 悪いことなんて、何も考えていない。


 ただ、助けたいだけ。

 守るだけだもの。


 アメリアは、静かに微笑んだ。

 この想いを疑う理由は、どこにもない。

 なぜだか強くそう思えた。


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