14 休養日
昨日の不調から、一夜が明けた。
今日は週末ごとに1日割り当てられる休養日だ。
そう思っただけで、リネアの胸の奥が少し軽くなる。
学院の朝はいつも規則正しく、鐘の音と足音で始まるのに、今日はその音が少し遠い。
窓越しに差し込む光も昨日より角度が低く、部屋の中に広がっている。
リネアはベッドの上で、ゆっくりと瞬きをした。
(……よかった)
今日が休みで。
昨日のままだったら、きっと対価のことを誤魔化しきれなかった。
そう思ったところで、控えめなノックがあった。
「リネア?」
扉の向こうから、聞き慣れたセラフィナの小さな声。
「起きてる?」
リネアは一瞬迷ってから、扉は開けず、なるべく明るく聞こえる声で答えた。
「うん、起きてる」
返事をすると、すぐにセラフィナの声が弾んだ。
「よかった!昨日、演習のあと姿が見えなくて心配したんだから」
扉越しに、彼女の気配が近づく。
「体調、悪いの?」
瞬間、言葉を選んだ。
正直に言えば、まだ胸の奥に鈍い痛みが残っている。でも、立ち上がれないほどではない。
「ほんの少し、対価の疲労が溜まっただけ」
「ほんとに?怪我とかしてないよね?」
「うん。ちょっとタイミングが悪かったみたい」
なんでもないふうに、軽く言う。
「昨日はそのまま寝ちゃって……今も、ほら、ひどい格好で……」
「ええ?」
セラフィナが、困ったように笑う。
扉の把手にかけた手が離れる気配がした。
「……まあ、確かに。女の子だもんね」
「ごめんね」
「今日少し休めば大丈夫そう。だから、心配しないで」
扉越しの沈黙。
リネアは昨日、着替えもせず、演習着のまま戻っていた。
それで“ほんの少し?”
違和感は、確かにあった。
けれど、セラフィナ自身は、対価による疲労を経験したことがない。
回復の光が触れずに広がる自分の恩寵は、負荷をまったく残さない。
それでも、特に女性は体調や月経周期によって、対価の受け取り方にも波が出ることがある――
学院ではそう教わってきた。
「……まあ、そういう日もあるよね」
納得したように、声の調子が戻る。
「わかった。今日はしっかり休んでね!」
「ありがとう」
扉の向こうで足音が遠ざかる。
リネアは、そっと背中を扉に預けた。
明るく振る舞った分だけ、胸の奥が少しだけ重くなった。
◇
夕方。
少し歩けそうだと判断して、リネアは予備の制服に着替えた。
昨日、学院に置きっぱなしにしてしまった荷物を取りに行くためだ。
足取りは慎重だった。無理をすれば歩けるが、万全とは言えない。
廊下に出ると、週末の学院は平日より静かだ。
足音が石床に反響する間隔も、どこか間延びしている。
(……少し、休憩しよう)
教室で荷物を回収してから、自然と足が本科棟へ向かっていた。
今日は休養日で、時間も夕方だ。
司書のほかに、図書室に人影はなかった。
座るだけでは手持ち無沙汰で、近くの棚から魔術理論の本を一冊抜き取る。
奥まった席に腰を下ろし、ぱらぱらとページをめくる。
文字を追ううちに、リネアの意識はゆっくりと緩んでいく。
気づけばそのまま、眠ってしまった。
◇
一方、練習棟では、弓の乾いた音が一定の間隔で響いていた。
百発百中。動く標的が滑るように移動するたび、矢が正確に射抜いていく。
「……すごいな、もう何時間も外してない」
「さすがノクエル」
周囲から感嘆の声が上がる。
学院の生徒は勤勉だ。
休日でも、自主練や自習をする者は多い。
クロウの集中は、その中でも際立っていた。
最後の矢を放ち、弓を下ろす。
その先に、見覚えのある姿を見つけた。
ゆっくりとした足取り。
どこか慎重で、迷いのない方向。
(……フォレスト)
昨日の演習終盤の様子が、脳裏をよぎる。
本科棟へ向かう回廊を歩いている。
なら、図書室だろう。
クロウは、特に理由をつけることもなく、迷わず後を追った。
◇
図書室の奥で見つけたとき、リネアは眠っていた。
力の抜けた肩が、呼吸にあわせて規則正しく上下している。
(……起こすべきか)
一瞬考えたが、顔色がよくない。
唇の色も、少し薄い。
クロウは静かに、斜め向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
寝顔を、じっと見る。
光を吸って柔らかそうな、少し癖のある薄い栗色の髪が、いつもより無造作に広がっている。
瞼を閉じている姿は、起きているときよりずっと幼かった。
リネアとは星約を結んだ頃より、お互いの口調も気安くなった。
意思の疎通も、演習を重ねるごとに自然になっている、とも思っている。
それでも、クロウが学院の中でリネアのこんな無防備な姿を見るのは、初めてのことだった。
枕にしている本に視線を落とす。
(相変わらずだな)
そう思ったとき、自分の口元がわずかに緩んでいることに、クロウは気づかなかった。
専門的な魔術理論書。
レオニスやセラフィナが好む分野とは、明らかに違う。こういう本の話を、対等にできる相手は多くない。
リネアは、その数少ない存在になっていた。
クロウの世界は、長い間、幼馴染二人で完結していた。
レオニスとは生まれた時から一緒。
セラフィナは強い光で、周囲を照らし続ける。
ヴァレンティ家に迎えられ、出会ったその日から、いつも彼女はクロウの中心にいた。
セラフィナの持つ輝きへの憧れを、恋と符号していいのかはわからないまま、ずっと持ってきた。
——レオニスとセラフィナ。
二人が並んでいるのは、最初から当たり前のことだった。
お互いに向ける視線の意味にも気づけないわけがない。
自分は一歩引いた位置から、それを見守り続ける。
どちらも大切で、幸せになってほしい。
それ以上は望まず、十分だった。
だからこそ、リネアの存在は不思議だった。
星約として出会い、学院に入ってから、ほとんどの時間を共にしている。
いつの間にか、近くにいるのが当たり前になっていた。
幼馴染以外の誰かが、そうやって近くにいること。
不快に思わず、ごく自然に受け入れている自分。
それを、少し意外に思っている。
時々――
自分を見るときだけ、彼女が見せる、遠い視線。
恋でも、打算でもない。
どこか別の場所を見ている。
理由は、まだわからない。
(……いつかは、話してくれるのか)
星約だから。
友人、だから。
もっと信頼してくれれば、嬉しいと思う。だから、静かに待つ。
それが、今できる最善だと思えた。
クロウはリネアが目を覚ますまで、ずっとその場を離れなかった。




