12 対価
その日の演習も、リネアはなんとか問題なく終えた。
難易度は高かったが、致命的な事故はなく、教官の終わりを告げる号令が演習場に響いた。
「今日はこれで解散だ。各自、装備を解除して戻れ」
「……終わったな」
弓を下ろす。
その動作の途中で、クロウはわずかに顔をしかめた。
上腕に残る痛みは、思ったよりも鈍く、重い。
動かせないほどではないが、無視できる類でもなかった。
「クロウ、ちょっと」
声をかけられて、顔を上げる。
近づいてきたリネアからは、終盤の連携で消耗したのがはっきり見えた。
魔術も恩寵をよく使っていた分、表情に疲れが出ている。
「大したことは――」
クロウが言いかけたところで、リネアが首を振る。
終盤に現れた中距離攻撃の人工魔物。
攻撃が掠めた箇所は、クロウの演習着の下で打ち身のように浅黒く変色していた。
「動かないで」
短く制して、リネアは触れる。
恩寵の光は、いつもと変わらない。
鈍い痛みはほどけるように引いて、服の下で肌の色も元に戻っていく。
クロウは確かめるように、軽く腕を動かした。
違和感は、もうない。
「……助かった」
「うん」
それだけで、やり取りは終わった。
――はずだった。
次の瞬間。
視界が、歪んだ。
(……あ)
リネアの膝が、わずかに揺れる。
地面が遠い。
胸の内側を、鋭い針でえぐられたような痛みが走った。
声を出す前に、奥歯を噛みしめる。
(……今は、だめ)
「……フォレスト?」
「なんでも、ない。….じゃあ、また」
「おい……」
クロウの声も、やけに遠い。
リネアは誰にも気づかれないよう、ゆっくりと一歩下がった。
幸い今日の授業はこれで終わりだった。
着替える余裕は、ない。
演習着のまま、無理やり背筋を伸ばして歩く。
(……大丈夫)
何度も、心の中で繰り返す。
(帰れる。部屋まで、行ける)
◇
図書棟の裏手。
寮に戻るつもりが、人目を避けていたらここまできてしまった。
人通りの少ない通路で、よろよろと壁に手をつきながらなんとか歩く。
痛みで頭が上手く働かない。
リネアはどこに向かっているのかも、もう、よく分からなかった。
「……リネア」
足が、止まる。
「その歩き方」
振り返ると、セイルが立っていた。
「使ったね」
「……少し」
否定できなかった。
セイルは近づいて、そっと腕を取って支える。
「……っ」
堪えきれなくて、セイルに少しよりかかってしまう。
その反動で、思わず痛みに声が漏れた。
「どれくらい」
「……数回」
「今日は?」
「最後に、少し多め……」
叱責でもない。
ただ、静かな声。
「君、これ……我慢する痛みじゃない」
リネアは視線を伏せた。
「やっぱり、星約は解除しよう」
「……待って」
戸惑うような静止の声。
「今は、だめ」
「リネア」
「実技試験が終わるまで。お願い」
顔を上げる。
静かに、真っ直ぐセイルを見る。
「乗り切れる」
「……君は、昔からそう言う」
セイルの表情が、歪む。
「“大丈夫”って言って、大丈夫じゃなかった」
「今回は、違う」
言い切る。
「ちゃんと、やりきりたい……」
しばらくの沈黙。
やがて、セイルはゆっくりとリネアをその場に座らせた。
「……一学期だけだ」
「うん」
「それ以上は、許さない」
「ありがとう」
その言葉に、セイルは小さく首を振った。
「……歩けないよね?」
そう言われて、リネアは一瞬だけ言葉に詰まる。
否定しようとして、声が出ない。
「寮まで送る」
それだけ言って、迷いのない動きでセイルは背を向けた。
「……でも、」
「いいから」
短く遮られて、屈んだ背中が視界に入る。
「ほら」
もう選択肢はない。
背中に体重を預けて、腕を回した瞬間、リネアの足から力が抜けた。
立ち上がる動作は、慣れている。
歩き出す速度も一定で、揺れは最小限に。人がいない道を選んで行く。
「……嘘つきだな」
ぽつりと、背中越しにセイルの声が届く。
セイルの恩寵は常時開放型の分析だ。
普段はなるべく抑えていても、日常の目に入る情報はなんでも、目まぐるしい速さで次々と分解と整理をしてしまう。
それが、よく知るリネアなら、なおさら。
放つ言葉が本心かどうかなんて、意識しなくてもたやすぐ判別できる。
声の高さも、
言葉の間も、
視線の泳ぎ方も。
大丈夫だと言う時ほど、ほんの少しだけ息を急ぐことも。
――そんなの、すぐにわかるのに。
「昔から、僕にはわかるって言ってるだろ」
叱るでもなく、責めるでもない優しい声だった
リネアは、答えなかった。
答えられなかった。




