10 勉強会
入学から、一か月が過ぎた。
学院の生活にもようやく一定のリズムが生まれ、生徒たちの口から「中間試験」という言葉が自然と出るようになっていた。
一学期の丁度真ん中にある、今年最初の座学試験。
範囲は広いが、問われるのは基礎の理解と整理だと聞いている。
「ねえ、リネア」
昼休み、セラフィナが身を乗り出してきた。
「ちょっと助けてほしいんだけど」
「どうしました?」
「専門史。どうしても頭に入らなくて……」
困ったように眉を下げる。
「一人だと心折れそうだから、一緒に勉強しない?」
「はい、もちろんです」
笑ってそう答えると、セラフィナの顔がぱっと明るくなった。
「ほんと?ありがとう!」
最近、セラフィナとは学院で話したり寮で夕食を一緒に摂ることも増えている。
それでも、リネアの言葉遣いはまだどこか慎重だった。
リネアはあの夢を変わらず繰り返し見ていた。
朝を迎えて不安や暗い感情に押しつぶされそうになる日もある。
その中で、セラフィナの存在にリネアは少し救われていた。
セラフィナの明るさに何気なく触れていると、気持ちが自然と前を向くのだ。
「それなら、俺も入ろうか」
耳ざとく聞いていた、レオニスが加わる。
「いいの?」
「専門史は繋がりが多いからな。整理して覚えた方が楽だぞ」
セラフィナが即座に頷いた。
「ありがとう!レオニスの説明、わかりやすいから助かる」
「クロウも来るよな?」
レオニスの誘いに一拍遅れて、クロウが視線を上げる。
「……参加してもいい」
「お!来るか」
「座学は嫌いじゃない」
誘われて断る理由がない、という口調だった。
セラフィナと二人のつもりが随分と華やかなメンバーになってしまった。
リネアは内心で少し緊張する。
こうして、試験までの四人の勉強会が始まった。
◇
場所は、図書棟の自習室。
一般閲覧室とは隔てられた静かなガラス張りの個室空間で、予約者以外はあまり立ち入らない。
リネアたちが何度か日を分けて集まるうちに、勉強会は"特別な予定"ではなく、日課のようになっていった。
「リネア、この本どこで見つけたの?」
セラフィナが手に取ったのは、星蝕史の補遺資料だった。
「本科棟の図書室。専門資料の方」
「そっち、全然人がいないよね」
「整理が追いついてないから」
レオニスはそれを聞いて、少しだけ眉を上げた。
「本科棟まで行ってるのか」
「必要な資料が、そっちに多くて」
クロウは黙ったまま、リネアのノートを横目で見ていた。
項目の整理が独特だ。
戦術論と歴史、魔力理論が、ひと続きの流れとして並んでいる。
(……偏ってるな)
雑ではない。
興味のある部分だけを、徹底的に掘り下げている。
「リネア、ここは?」
「そこは捨ててる」
「捨ててる?」
「試験には出るけど、今は優先度が低いかなって」
言い切ると、セラフィナが目を丸くした。
「割り切りがすごいね」
「全部は無理だから」
苦笑する様子には、決して不真面目さはない。
「いや、駄目だ」
レオニスが紙に簡単な図を書きながら言った。
「俺が教えるからには、取りこぼしは許さない」
「……頼もしい」
「出来事だけ覚えるな。原因と結果を線でつなげ。そうすれば、次が見える」
説明は端的で、要点を外さない。
「わかりやすい」
「ほんとだ。頭に入る」
セラフィナとリネアは感心したように頷き、クロウも静かに同意した。
◇
リネアは、少しだけ肩の力を抜いた。
(……自然だな)
勉強会が始まった日に、セラフィナは言った。
『リネアは敬語禁止!』
面食らったリネアに、彼女はにっこり笑った。
『みんな同い年なんだから、そんなに気にしなくていいよ』
身分の差以前に、リネアは領地から出ずに過ごす時間が長かった。
だから、周りにいる年が近い子どもといえば、セイルや屋敷に見習いで来る使用人だけ。同世代との距離感が掴みにくい。
最初のうちは戸惑って緊張もあった。
けれど、今は違う。
ここでは必要以上に構えなくてもいいのだと、徐々に思えてきていた。
それが、少しだけ嬉しかった。
「リネア、この辺はどう思う?」
「ここは因果が逆転してる。史料の書き方の問題で――」
言葉が、自然に出ていた。
◇
「ねえ、ちょっと休憩しよ!」
一段落したところで、セラフィナが伸びをした。
「頭いっぱい!」
「じゃあ少しだけな」
レオニスの言葉に頷くと、リネアは立ち上がる。
「少し、外に出てくるね」
「気分転換?」
「うん」
そう言って、自習室を出ていく。
その背中を、クロウはちらりと目で追っていた。
リネアが少し外の空気を吸ってから図書棟の中央ホールに戻ると、セイルと出会った。
「あれ、やっぱりここにいた」
「セイル」
並んで歩きながら、他愛のない話になる。
「試験前だろ。ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「ほんとかな」
半信半疑の視線に、リネアが笑う。
「授業はどう?」
「座学は、なんとか」
「演習の方は?」
「……恩寵は、ほとんど使ってない」
それを聞いて、セイルの表情から少し力が抜ける。
「それは、正直安心した」
「うまく回ってると思う」
「ならよかった」
声が柔らかい。
「無理に力を出さなくても、君は考えて動ける」
「評価は下がらない?」
「むしろ逆だよ。制御できてる証拠だ」
リネアは小さく息を吐いた。
「なんとか、やれてる」
「その言葉が聞ければ十分」
ふと、セイルが自習室エリアに視線を向ける。
「……いい友達に恵まれたね」
「うん」
◇
自習室越しに、三人からもその様子は見えていた。
「……あれ、誰?」
「三年のセイル・フォレスト。従兄で恩寵は分析」
「レオニス、なんで知ってるの?怖い」
「前途有望な人材は当然チェックしてるさ」
セラフィナが、じっと見つめる。
「……なんか、リネアの雰囲気が違う」
「そうか?」
「ずるい」
ぽつりとこぼす。
「私たちとも、もっと仲良くしてもらわないと」
レオニスは苦笑した。
「時間の問題だろ」
「今すぐがいい……」
クロウは、何も言わず視線だけをリネアとセイルに送っていた。
◇
自習室に戻ると、セラフィナが待ち構えていた。
「リネア!」
「……なに?」
「今度は、私とももっとおしゃべりしよ」
「してると、思うけど」
「足りない!」
強引に椅子を引き寄せる。
レオニスが笑い、クロウは小さくため息を吐いた。
「……勉強、再開するぞ」
「あ、はーい」
賑やかな声が戻る。
その輪の中で、リネアは静かに席についた。
少しずつ。
確実に。
学院での居場所が、増えていくのを感じながら。




