00 プロローグ
王立星辰学院の正門が見えたとき、リネア・フォレストは小さく息を吐いた。
白い石で築かれた正門は、朝の光を受けて淡く輝いている。過剰な装飾はないが荘厳な佇まい。
周りでは自分と同じ新入生たちが、期待を胸に声を弾ませている。反して、リネアの表情は固い。
学院に近づくほどに、ついにここに来てしまったという気持ちが心を占めていた。
――今日から、ここで三年間。
胸の内でそう反芻しながら、リネアは制服の襟元を指で整える。白を基調とした制服は、貴族の令息令嬢のためのものだけあって質が良い。
けれど、袖を通したからといって、自分がこの場所にふさわしいという実感は、湧かなかった。
「緊張してる?」
隣を歩く従兄のセイル・フォレストが、声で問いかけてくる。癖のある自分よりも濃いブラウンの髪に、若葉のような浅い緑の目が穏やかに向けられる。
「少しだけ」
正直に答えると、セイルは小さく笑った。
「今日は話を聞いて、雰囲気を知るだけだよ。
僕は二日目の方が緊張したかな。……明日は星約の発表がある」
星約――対星の約定。
生徒たちが神から授かった恩寵の相性を基準に、学院が定める半ば公的なペア制度だ。
十六歳から十八歳の間。
学院に在学中は演習や座学も、生徒たちは基本的には星約と行動を共にする。
そしてそれは、将来の進路や配属、異性であれば、ときには縁談にまで影響した。相手次第で学院での生活は大きく変わるはずだ。
「大丈夫だよ。君なら、どんな相手でもきちんとやれる」
励ますように言われて、リネアは曖昧に頷いた。
どんな相手でも、という言葉が、少しだけ胸に引っかかる。
本当にそうだろうか、と。
――自分は、どこまでやれるのだろう……。
納得がいっていない従妹の様子に、セイルは何も言わずに苦笑した。
魔術と、恩寵。
魔力自体は平民も含めて、多かれ少なかれすべての国民が持っていた。術式や理論を正しく学んだり、補助的な道具を介せば魔術は誰でも使うことができるものだ。
だけど、恩寵は違う。
魔術とは理の異なる、神から与えられた異能。
この国の貴族に、生まれたときから発現する特別な力だった。
そして、この国では恩寵の力には義務が課せられている。
フォレスト男爵家も例外ではなく、分析や観測に長けた恩寵を持つ者を多く輩出してきた。
家系の中では国の機関に勤める、研究者や文官が多い。
その中で、リネアだけが回復の恩寵を持って生まれた。
それも、少し人とは違う困った問題も抱えて。
――五歳の時、封じられていた恩寵の封印が解かれる日。
子供たちの恩寵が正式に記録された日から、家族は口を揃えて言った。
「無理に使わなくていい」
「前に出る必要はない」
「"あのこと"は家族以外の誰にも知られてはいけない」
両親や兄もセイルも、家族はみんな温かい人たちだ。
だからそれが優しさだと、リネアも分かっている。
それは同時に、「守られる側でいろ」という宣告でもあった。
――けれど。
リネアは知っている。
この学院で起こるかもしれない災厄を、何度も繰り返し"見て"きた。
見覚えのある建物、同じ制服。
それは、学院の門をくぐってから確信に変わる。
もし、そのときが来たら。
星約が誰になっても、リネアにはやるべきことがある。
◇
「僕はここまでだけど、何かあったらすぐ相談して。無理はしないこと」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、また」
短く手を振って、セイルは校舎の方へ消えていった。
大講堂に入ると、新入生たちの影が整然と並び、静かな緊張が満ちていた。
ほどなく最前列の壇上に立ったのは、学院長だった。
白髪混じりの髪を後ろに撫でつけ、年齢を感じさせない澄んだ眼差しで場を見渡す。高い天井の講堂内に反響するように、低くよく通る声が響いた。
「神は等しく人を愛さぬ。ゆえに恩寵もまた平等ではない」
ざわめきが、すっと引いた。
神学と現実を同時に語るような出だしだった。
「諸君がここに集められた理由は、ひとつだ」
学院長は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「この国に生まれ、恩寵を授かった者として、生きるため。恩寵とは、神より与えられた祝福である。
しかし同時に、それは力であり、責任だ。持つだけでは意味をなさない。
使い、判断することで初めて、国を守る力となる」
静まり返った講堂に、声が重く落ちる。
「諸君もすでに知っているだろう。この世界には――星蝕が存在する」
その言葉に、リネアを含め、何人かの新入生が息を呑んだ。
「星蝕とは、世界に生じる歪みだ。
魔力の流れが乱れ、魔物が発生し、人の命を脅かす。
自然災害のように語られることもあるが、それは誤りだ」
学院長の目が、わずかに鋭くなる。
「星蝕は“対価”の一つだ。
我々が神に愛され、その力を用いてきた――その報いとして、世界に歪みが生じる」
ひと息。
「だが諸君。対価は恐れるためだけにあるのではない。
正しい知識と訓練、そして――連携があれば、必ず対処できる」
壇上の緞帳に刻まれた学院章へ、一瞬だけ学院長の視線が向いた。
「この学院は、恩寵を持つ者が孤立せず、暴走せず、力を力として扱えるようにするための場所だ。
来るべき星蝕に備えるために。豊かな未来をもたらすために。
そこに必要なのは、才能の優劣ではなく学びである。
諸君の中には、素晴らしい恩寵を持つことを誇りに思っている者もいるだろう。あるいは、その重さに戸惑っている者もいるかもしれない。
学び、迷い、そして、選びながら。
この学院で過ごす日々が、諸君にとって“力を使う者”としての答えを見つける時間となることを願っている」
学院長は最後に小さく頷き、一拍の沈黙のあと、ゆっくりと拍手が広がった。
”神は等しく人を愛さない”
これからの学院生活で、自身に重くのしかかるであろう言葉に、リネアはそっと目を伏せた。
◇
「星蝕か……。小規模な観測はされてるが、大星蝕はもうずっと起こってないな」
大講堂を出ると、ひときわよく通る声が聞こえて、リネアは視線を前方に向けた。
声の主は背の高い、太陽の光を溶かしたような眩い金髪の男子生徒だった。隣の長い薄桃色の髪をなびかせる女生徒に話しかけている。
顔はよく見えない。
けれど、目を引く、そして既視感のある色合いにリネアは目を見張った。
「大星蝕の時には聖女が必ず現れるんでしょ?」
「らしい。だが、一番新しい記録でも二百年前だ」
「……神話みたいで現実感がないよね。ねえ、クロウはどう思う?」
少女が鈴のような声で問いかけた瞬間。
一瞬、リネアから音が遠のいた。
――クロウ。
並ぶ二人の、ほんの少し後ろ。
一瞬、黒髪にまっすぐな背筋が見えた。
少女が当然のように呼んだ、その名には聞き覚えがある。
胸の奥が、静かに震えた。
ああ、と思う。
もう、物語は始まってしまったのだろうか。
そして自分も、すでにその中にいるのか。
人の波に飲まれた彼の背中はもう見えない。
リネアはしばらく立ち尽くしたまま、動けないでいた。
ストックがあるので、明日以降から一日一話更新できたらと思っています。
長めの話になりますが、気が向いた時にお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




