第9話 見えなかった答え
朝は、容赦なくやってきた。
薄いカーテン越しに差し込む光が、レインの瞼を刺激する。目を開けると、見慣れない天井があった。安宿の、低くて染みのある天井だ。
一瞬、状況を思い出せずに瞬きをする。
次の瞬間、すべてが胸に落ちてきた。
――契約終了。
――ギルド離脱。
――無職。
レインは静かに起き上がった。頭は冴えている。昨日の夜の空虚さは、まだ残っているが、思考を止めるほどではない。
洗面桶の水で顔を洗い、簡単に身支度を整える。鏡に映る自分は、いつもと変わらない。だが、肩にあったはずの重みが消えていることに、少し遅れて気づいた。
――鑑定士としての役割。
それが、もうない。
宿を出ると、街はすでに動き始めていた。荷を運ぶ労働者、店を開ける商人、早朝の訓練をする冒険者。誰もが、自分の居場所に向かって歩いている。
レインだけが、行き先を持たない。
ふと、足がギルドの方角へ向きかけて、止まった。
無意識の癖だ。
彼は小さく息を吐き、方向を変えた。
代わりに向かったのは、街外れの静かな区画だった。古い倉庫や、使われなくなった施設が並ぶ場所。人は少ないが、落ち着く。
そこで、レインは立ち止まった。
――考えよう。
これからどうするか。
何ができるか。
冒険者に戻る?
無理だ。ギルドを通さずに依頼を受けることはできない。
鑑定士として雇われる?
能力証明がない以上、同じことの繰り返しだ。
なら、何が残っている。
レインは、革袋から例の帳面を取り出した。鑑定ログ。昨夜、見返したものだ。
ページをめくる。
一つ一つの記録を、今度は違う視点で読み直す。
――洞窟狼:毒袋あり。親個体の出現率、高。
結果:回避成功。被害軽微。
――湿地帯:足場崩落の危険。
結果:進路変更。戦闘回避。
――新規加入剣士:成長限界低。連携不安。
結果:的中。連携崩壊。
どれも、結果は出ている。
しかも一度や二度ではない。
レインの手が、止まった。
――なぜ、誰も評価しなかった?
答えは、分かりきっている。
証明できないから。
水晶に出ないから。
再現性がないと思われているから。
だが、本当にそうだろうか。
レインは、帳面の余白に視線を落とした。そこには、彼自身の癖で書き込まれた小さな注釈がある。
「※肺の状態良好」
「※魔力流動、微細だが安定」
「※精神集中度、高」
鑑定結果そのものではない。
自分自身の状態のメモだ。
――ああ。
そこで、ようやく気づいた。
自分は、“何を使って鑑定しているのか”を、他人に説明しようとしたことがなかった。
水晶ではない。
数値でもない。
自分の感覚。
経験。
観察。
そして――声に出さず、頭の中で組み立てている思考。
それは、技能として定義されていない。
だから、測れない。
測れないが、再現性はある。
自分の中では。
レインは、ゆっくりと息を吸った。
――評価されなかったんじゃない。
――評価できなかったんだ。
ギルドも、王都も、自分の鑑定を“理解する前提”を持っていなかった。ただそれだけだ。
ならば。
理解できる場所へ行けばいい。
あるいは、理解できる人間のもとへ。
そのとき、不意に声がかかった。
「兄ちゃん」
振り返ると、年若い男が立っていた。粗末な装備、使い込まれた剣。傭兵だろう。顔には疲労の色が濃い。
「悪いが、ちょっと見てほしい」
「……何を?」
「仲間がな。原因不明で動けなくなった」
レインは一瞬、迷った。
もう鑑定士ではない。
だが、体は自然に動いていた。
「案内してくれ」
倉庫の裏手。簡易の野営地で、一人の剣士が地面に横たわっていた。顔色が悪い。息が浅い。
レインは膝をつき、じっと観察する。
呼吸。
脈。
筋肉の硬直。
「……毒じゃない。魔力の過負荷だ」
「え?」
「無理な強化魔法を使ったな」
剣士の装備を見る。粗悪な魔力増幅具。耐久限界を超えている。
「魔力を抜けば動ける。だが、今すぐ休ませろ。三日は無理をするな」
傭兵は目を見開いた。
「治るのか?」
「死にはしない」
それだけ言って、レインは立ち上がった。
傭兵は、深く頭を下げた。
「助かった……! 礼は?」
「いらない」
レインは首を振る。
歩き出しながら、胸の奥が、わずかに温かくなるのを感じた。
ここでは、数値は求められない。
理解できなくても、結果があればいい。
それでいい。
レインは空を見上げた。
朝の光が、はっきりと差し込んでいる。
――もう一度、始めよう。
今度は、自分を測れない場所ではなく。
評価できる場所で。
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