第16話 問い返された判断
渓谷を離れたあとの道程は、重かった。
救出された人質たちは護送のために先行し、傭兵団はその後ろを歩く。命を取り留めた者たちは感謝の言葉を口にし、涙を流す者もいた。だが、その光景は、レインの胸を少しも軽くしなかった。
崖下に落ちた一人の影が、頭から離れない。
――俺が、遅れた。
その言葉だけが、何度も反芻される。
「……なあ、レイン」
沈黙を破ったのは、カイルだった。
歩調を合わせるでもなく、わざと少し後ろから声をかけてくる。
「さっきから、ずっとその顔だ」
「どんな顔だ」
「判断を間違えた奴の顔だ」
率直すぎる言葉だった。
だが、レインは否定しなかった。
「……間違えたかどうかは、分からない」
「分からない、か」
カイルは小さく息を吐く。
「俺は、分からないって言葉が一番怖い」
足を止め、レインの前に回り込む。
「俺たちは、あんたの判断に賭けてる。昨日も、今日もな」
真っ直ぐな視線。
逃げ場はない。
「それで聞きたい」
カイルは一度、言葉を選んでから続けた。
「……あんたは、あの時、本当に“それが最善”だと思ったのか?」
レインは、答えに詰まった。
交渉を選んだ理由。
人質を切り捨てたくなかった。
全員を救える可能性に、賭けたかった。
だが、それは――。
「……最善だと、思いたかった」
正直な言葉が、口をついて出た。
カイルの表情が、わずかに歪む。
「つまり、願いだ」
「そうだ」
レインは視線を落とした。
「判断じゃない」
沈黙が落ちる。
傭兵団の足音が遠ざかり、風の音だけが残った。
「……俺はな」
カイルが、低い声で言う。
「人質を切り捨てる判断も、覚悟してた」
その言葉に、レインの胸が痛む。
「それでも、あんたの言葉に従った。あんたが、いつも正しかったからだ」
カイルは一歩、近づいた。
「でも、今回は違った。あんたは、迷った」
責めているわけではない。
確認しているのだ。
「……次も、同じ迷いを見せるなら」
カイルは、言葉を区切った。
「俺は、全員に『無条件で従え』とは言えない」
それは、裏切りではない。
リーダーとして、当然の判断だった。
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「正しい」
短く、そう言った。
「俺は、判断をする側に立ちながら、責任を引き受けきれていなかった」
セレスが、少し離れた場所から二人を見ていた。
口は挟まない。
今は、レイン自身が答えを出す場面だ。
「一つ、約束する」
レインは顔を上げ、カイルを見る。
「次に同じ状況が来たら、俺は“救えない可能性”を最初に提示する」
カイルが、眉を上げる。
「……それは」
「それでも、俺の判断に従うかどうかは、お前たちが決めろ」
指揮官としては、弱い選択だ。
だが、人としては、誠実な選択だった。
カイルは、しばらく黙っていたが、やがて苦笑した。
「面倒くせえな、本当に」
「そうだな」
レインも、わずかに口元を緩めた。
「でも、それが“判断する側”の最低条件だと思っている」
カイルは肩をすくめ、前を向いた。
「……分かった。今回の件は、ここまでだ」
完全な許しではない。
だが、関係は切れていない。
むしろ、少しだけ――強くなった。
行軍が再開される。
夕暮れの空に、長い影が伸びる。
レインは歩きながら、胸の奥で静かに誓った。
もう、“願い”で判断しない。
救えない命があるなら、その現実を、最初から背負う。
それができなければ、
この力を使う資格はない。
セレスが、後ろからぽつりと呟いた。
「……やっと、同じ地平に立ったな」
レインは振り返らなかったが、その言葉の意味は、はっきりと理解していた。
これは敗北ではない。
判断者としての、最初の成長だ。
その一歩は、確かに痛みを伴っていた。
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