第14話 選べない正解
渓谷は、嫌な静けさに満ちていた。
切り立った岩壁が音を吸い込み、風の流れも不規則だ。朝霧がまだ残り、視界は決して良くない。ここでの戦闘は、力よりも判断を誤った者から脱落する。
――盗賊団の本拠地。
レインは岩陰から渓谷を見下ろし、呼吸を整えていた。
「敵数は?」
カイルが小声で聞く。
「二十前後。だが、戦えるのは十五。残りは見張りと非戦闘員」
「……多いな」
「問題はそこじゃない」
レインは、視線を一点に留めた。
「人質がいる」
その言葉に、空気が変わった。
傭兵たちが息を呑む。セレスも、初めて眉を動かした。
「確定か?」
「可能性が高い。動線が不自然だ。守るような配置になっている」
カイルが歯を食いしばる。
「……奪われた商人か」
「だろうな」
人質がいる戦場は、まったく別物だ。
殲滅では終わらない。
セレスが静かに言った。
「正面攻撃は論外。包囲も時間がかかる」
「時間は使えない」
レインは即答した。
「夜明け前に動く。夜が明ければ、人質は移動させられる」
カイルは拳を握った。
「じゃあ、どうする」
レインは答えなかった。
――正解が、一つじゃない。
奇襲で主力を叩けば、人質が殺される可能性がある。
交渉を試みれば、時間切れになる。
分断すれば、救える数と犠牲が天秤にかかる。
どれも“間違い”ではない。
だが、“全員を救う”道はない。
レインの脳裏に、これまでの成功がよぎる。
即断即決。
被害ゼロ。
だが、今回は違う。
「……レイン」
カイルの声が低くなる。
「俺たちは、あんたの判断に従う。だが——」
言葉が、途中で止まる。
「全員、救えるのか?」
レインは、答えられなかった。
沈黙が落ちる。
セレスが、一歩前に出た。
「選択肢を整理しよう」
彼女は淡々と告げる。
「一、人質の一部を切り捨て、戦力を最小損害で排除する」
「二、戦力分断を狙い、救出率を上げるが、味方の負傷率が跳ね上がる」
「三、交渉。成功率は低い。時間切れの可能性が高い」
冷酷だが、正確な整理だった。
傭兵たちの表情が硬くなる。
「……あんたは、どれだと思う」
カイルが、レインを見る。
全員の視線が集まる。
レインは、ゆっくりと息を吸った。
これまでの戦場では、
“最善”は常に一つだった。
だが、今回は違う。
どの選択も、誰かを切り捨てる。
「……まだ、決められない」
その言葉に、カイルの目が見開かれた。
「レイン?」
「もう少し、情報が要る」
それは逃げではない。
だが、即断でもない。
セレスは、その答えを否定しなかった。
「いい。だが時間はない」
「分かっている」
夜明けまで、あと一刻。
レインは渓谷を見下ろしながら、必死に思考を巡らせる。
音。
風。
人の動き。
感情。
――救えない命が、あるかもしれない。
その事実が、胸に重くのしかかる。
初めてだった。
自分の判断が、誰かの“生死”を選ぶ形で迫ってきたのは。
成功ではない。
失敗でもない。
ただ、選択。
そして、その責任。
夜明けの気配が、空を薄く染め始めていた。
選べない正解が、
確実に、時間切れへと近づいている。




