第13話 数値にできない思考
セレス・ハイムは、眠らない。
正確には、眠る時間を極端に短く切り詰めていた。軍にいた頃からの癖だ。判断を担う者は、常に状況の外側に立っていなければならない。休息は必要だが、思考を止める理由にはならない。
夜明け前、傭兵団の野営地は静まり返っていた。
焚き火は落とされ、見張りだけが一定の間隔で配置されている。雑談も無駄な動きもない。短期間で、明らかに“質”が変わっていた。
原因は一つしかない。
――レイン・アルクス。
セレスは簡易天幕の中で、魔導具の記録板を開いた。軍で使われていた分析用のものだ。表には、簡潔な箇条書きが並んでいる。
・敵数予測:誤差±1
・地形利用率:高
・判断速度:平均より遅い(意図的)
・結果:被害ゼロ
数値化できる部分だけを抜き出しても、異常だ。
だが、問題はそこではない。
セレスは、別のページを開いた。
・判断前の沈黙:平均3〜5秒
・視線移動:地形→人→音
・発話量:最小限
・修正指示:ほぼなし
――指示が少なすぎる。
軍の参謀であれば、逐一、命令を出す。確認し、修正し、統制する。だがレインは違う。最初に“正解に近い形”を提示し、あとは動かさない。
それは、部下を信じているというより――。
「……状況を、丸ごと掴んでいる」
セレスは、思わず声に出していた。
数値評価部門にいた頃、彼女は何百、何千という戦闘記録を見てきた。優秀な指揮官は多い。だが、彼らは必ずどこかで“迷う”。だからこそ、部下に命令を重ねる。
レインは、迷っていないように見える。
だが、実際には違う。
迷っている。
それを、外に出さないだけだ。
セレスは、昼間のやり取りを思い出す。
『迷いはなかったか?』
『……なかったと言えば、嘘になる』
あの一瞬の間。
あれは、判断に必要な時間ではない。
――責任を引き受ける覚悟の時間だ。
セレスは、背筋に微かな寒気を覚えた。
これは、才能ではない。
勘でもない。
**思考体系だ。**
膨大な観察。
経験の蓄積。
失敗を前提に組み上げられた仮説。
そして、それを瞬時に統合する訓練。
それは、軍が欲しながら、決して育てられなかったもの。
だから、排除した。
「……皮肉だな」
セレスは、記録板を閉じた。
軍では、こうした人間は“危険”と判断される。数値化できず、代替が効かない。属人性が高すぎる。組織にとっては、管理不能な存在だ。
だが同時に、こうも思う。
――戦場で、本当に必要なのは、こういう人間だ。
外が、わずかに明るくなり始めた。
セレスは天幕を出る。冷たい空気が肺に入る。野営地の端で、レインが一人、地形図を見ていた。
声はかけない。
今は、観察の時間だ。
レインは、紙に何かを書き込み、線を引き、また消す。渓谷の地形。水の流れ。風向き。敵の補給線。
――次の戦いを、もう組み立てている。
セレスは、確信した。
この男は、危険だ。
だがそれ以上に――。
**放置すれば、必ず別の形で世界を変える。**
その変化が、破壊か、再構築か。
それを決めるのは、彼自身だ。
だからこそ、目を離せない。
「……見ているぞ、レイン・アルクス」
小さく呟き、セレスは歩き出した。
次の任務。
次の判断。
次の迷い。
それらすべてが、この男の“価値”を証明することになる。
数値ではなく、
結果でもなく、
――思考そのものによって。




