第1話 無能の鑑定士
本作は「追放×成り上がり」の王道ファンタジーですが、
主人公は即座に無双したり、感情的に復讐したりしません。
数値で評価される世界で、
数値にできない力を持つ者が、
どんな判断をし、何を失い、何を背負うのか。
静かに積み上がる“遅効性ざまぁ”と、
判断する側の覚悟を描く物語です。
合わなければ、ここでそっと閉じてください。
合いそうなら、ぜひ最後までお付き合いください。
刃が肉を裂く音は、意外なほど乾いている。
洞窟の奥、濡れた岩肌に反響するその音を、レイン・アルクスは少し離れた場所で聞いていた。前に出ない。剣も槍も振るわない。代わりに彼の両手には、細い銀の針金で縁取られた水晶板がある。ギルドが支給する簡易の鑑定具だ。光が揺らめくたび、水晶板の表面に薄い文字が浮かんでは消える。
――個体名:洞窟狼
――状態:飢餓(中)/警戒(高)
――群れ数:六
――縄張り行動:入口側へ誘導
レインは目を細めた。六、か。奥に潜む親個体の気配が濃い。しかも飢えている。短期決戦なら押し切れるが、入口に向けて誘導されると面倒になる。洞窟狼は狭所での連携に長け、後方を突く。
「ガルド、右壁際。天井の裂け目に二匹いる」
レインの声は大きくない。しかし、戦場で必要な分だけの強さを持っていた。前方で大剣を構えるリーダー、ガルド・バルクスが鼻で笑う。
「天井? 見えねえよ。鑑定の当てずっぽうか?」
「当てずっぽうなら言わない。裂け目の湿り気が違う。息が溜まってる」
「湿り気で魔物がわかるって? 相変わらず面倒くせえな」
ガルドはそう言いながらも、半歩だけ位置をずらした。レインの“面倒くさい”言葉が、過去に何度も仲間の命を守ってきたことを、彼自身がいちばん知っている。知っているのに、口にしない。
「前を塞げ! 取り巻きから削る!」
号令と同時に、洞窟狼が躍り出た。黒い毛並みが岩と同化し、目だけが燐光のように光る。狭い通路を利用して、二、二、二の隊列で来る。計算された動きだ。
レインは一歩下がり、壁に背を預けた。前衛の剣士と盾役が受け、回復役が詠唱を開始する。いつもの陣形。いつもの勝ち方。――ただし、いつも“誰の勝ち”として語られるかは決まっている。
「リーナ、回復は温存。先に麻痺毒に備えて解毒の準備」
回復役のリーナ・ミセルがちらりとレインを見る。柔らかな顔立ち、穏やかな声。けれど彼女の視線には、迷いと、僅かな苛立ちが混じる。
「……そんなに警戒しなくても、洞窟狼よ? 毒なんて——」
「親個体がいる。牙の色が違う。毒袋持ちだ」
言い切ると、リーナは唇を結んだ。反論したいのだろう。でも、レインの言葉が当たることを、彼女も知っている。知っているのに、素直に頷けない。
次の瞬間、前衛の盾役が狼の一撃を受け止め、金属音が洞窟に弾けた。狼が牙を剥き、さらに奥から低い唸り声が響く。親個体の合図だ。
「来るぞ。天井の二匹、三拍あとに落ちる」
「へっ、何が三拍だ——」
ガルドが言い終える前に、レインの言ったとおり、天井の裂け目から二匹の狼が落ちた。狙いは回復役。リーナの首筋へ一直線だ。
盾役が間に合わない。ガルドも前を支えていて振り向けない。レインは迷わず、水晶板を床へ落とした。割れる音が洞窟に響く。同時に、腰の革袋から投げナイフを抜く。
投げる。一本目が狼の目を穿ち、二本目が喉を裂く。狼は床に転がり、爪が岩を掻いた。
「きゃっ……!」
リーナが小さく声を上げる。レインはすぐ視線を前に戻した。感謝を待つ間もない。洞窟狼は六。今倒したのは二。残り四に親個体。
「左奥、親個体が動く。前衛の背を狙う。ガルド、今のうちに踏み込め。足首を切れ。首は硬い」
「指図すんな!」
怒鳴りながら、ガルドは踏み込んだ。彼の大剣が横薙ぎに走り、狼の足首の腱を断つ。親個体が体勢を崩した。そこへ槍が突き刺さる。盾役が押し込み、隙間を作った。
「今だ。二段目の連携、右から——」
レインの声に導かれるように、パーティは流れるように動く。討伐は、いつもこうだ。誰かが勝手に突出して、誰かが慌てて穴埋めするのではなく、最初から“勝つ順番”を決めて動く。それができるのは、レインが常に先を読んでいるからだ。
しかし、誰もそれを口にしない。勝ちの順番は、ガルドの手柄になる。危険の予告は、“面倒くさい鑑定”として煙たがられる。
親個体が倒れた。痙攣する体を最後に大剣が貫き、洞窟に静寂が戻る。血の匂いと湿った岩の匂いが混ざり、耳鳴りだけが残った。
「終わったな」
ガルドが剣を肩に担ぎ、得意げに笑う。盾役が息を整え、槍役が狼の牙を確認する。リーナは布で汗を拭き、ほっと息を吐いた。
「さすがガルドさん! やっぱりAランクは違うわ」
リーナが言うと、ガルドは満足そうに頷いた。
「当然だ。俺がいりゃ、こんなの朝飯前だろ」
レインは黙って、床に落とした水晶板の破片を拾い集めた。支給品は高い。ギルドに報告すれば補填はされるが、理由を説明するのが面倒になる。どうせ「戦闘参加できないくせに道具を壊すな」と言われる。
破片を布で包みながら、レインは狼の死体を見た。親個体の牙は、確かに黒ずんでいる。毒袋持ち。もしリーナが油断していたら、首筋を噛まれていた。回復が間に合っても、麻痺が残れば次の戦いに響く。――言ったところで、誰も覚えていないだろう。
「レイン、お前、また水晶板壊したのか?」
槍役が咎めるように言った。
「必要だった」
「必要、ねえ……。戦えねえ奴の『必要』って、信用できねえんだよな」
軽い笑いが起きる。レインは何も言わない。反論しても空気は変わらない。変わらないと、彼は知っている。
洞窟を出ると、夕陽が眩しかった。空気は冷え、山の影が長く伸びている。ギルドへ戻れば、討伐報告と報酬の分配。ガルドが中心に立ち、皆が頷く。レインの名前は、書類の端に小さく載るだけだ。
「帰ったら酒だな!」
ガルドが肩を回して言った。仲間たちが笑う。レインは少し遅れて歩きながら、無意識に指先を擦った。水晶板の縁で、わずかに皮が裂けている。痛みはない。いつものことだ。
ギルドの建物が見える。石造りの外壁、掲げられた紋章、出入りする冒険者の喧騒。中に入れば、また“いつもの”が始まる。
――本当に、いつものままで終わるのだろうか。
そんな疑問が、ふっと胸をよぎった。最近、ガルドの苛立ちが増えている。新規加入の話を、何度もしている。貴族の後ろ盾がある剣士が入るという噂もある。数値が高ければ、誰でも歓迎される。たとえ連携を乱しても。
レインはギルドの扉を押し開けた。酒と汗と鉄の匂いが混ざり合う空間。受付の奥、掲示板の前に、人だかりができている。
「おい、見ろよ。新しい依頼だ。『王都直轄』だってさ」
「魔族絡みか? 報酬、桁が違うぞ」
ざわめきの中、ガルドが鼻息を荒くして掲示板へ向かった。レインは少し離れたところで、紙に書かれた依頼内容を遠目に読む。王都直轄。高難度。戦功があれば爵位の話もある——と、露骨な餌がぶら下がっている。
ガルドが振り返り、仲間に向けて笑った。
「決まりだ。次はこれだ。俺たちならいける。Aランクの名を、王都で見せてやる」
仲間が沸く。リーナも頷き、槍役も拳を握る。レインだけが、胸の奥で冷たいものが沈むのを感じた。依頼の条件に、小さく書かれている一文が目に入ったからだ。
――『参加条件:支援職・鑑定職の能力証明提出』
レインは思わず、掲示板を見つめた。能力証明。ギルドの水晶に表示されるランクと数値で判断される。レインの数値は低い。ほとんどゼロに近い。真域鑑定は表示されない。
ガルドがこちらをちらりと見た。目が合う。ガルドはすぐ逸らし、何でもない顔で笑ったまま言う。
「……まあ、なんとかなるだろ。証明っていっても形式だ。な?」
その言葉に、妙な軽さがあった。周囲も頷く。誰も“なんとかならない場合”を口にしない。レインは、包んだ水晶板の破片を指先で押さえた。
割れた水晶の冷たさが、布越しに伝わる。
嫌な予感が、確かに形になっていく。
レインは息を吸い、何も言わずに受付へ向かった。報告書を書き、討伐の証拠を提出し、帰る。それが彼の仕事だ。今日もまた、同じように。
ただ、扉の外へ出る瞬間、背中に投げつけられた槍役の声だけが、妙に耳に残った。
「なあレイン。次の依頼、足引っ張るなよ? 王都相手に恥かくのはごめんだ」
レインは振り返らず、扉を閉めた。
夕暮れの冷気が頬を撫でる。遠くで鐘が鳴った。王都行き。能力証明。形式。なんとかなる。
その全部が、薄い氷の上に立っているみたいだった。
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