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この世界は少しだけズレている  作者: 名雪 琳


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2. 昼休みと、既視感

 昼休みが中頃に差しかかった頃。

 教室にはカップ麺のにおいと弁当のにおいが混ざり合って、昼のけだるい空気が広がっていた。

 窓の外からは、グラウンドの歓声が風にのって届く。

 

 五月の日差しはまぶしくて、ブラインドの隙間から細い線になって差し込んでいた。教室の中は少し暑い。エアコンを入れるほどではない。窓際のほうは、風が通ってちょうどよかった。

  

 クラスの三分の二を占める寮生が、昼食をとりに寮へ戻っているので、教室の大半の席は空いている。残っているのは通学生だけ。購買やコンビニで昼食を買ってきた学生は、パンやおにぎりをようやく机に広げてランチを始めたところだった。弁当持参組の通学生は、まだ食べている者もいれば、食べ終えて机に突っ伏し、昼寝を始めている者もいる。


 颯太は透が購買から戻ってくるのを待っていたので、まだ食べていなかった。自席で暇つぶしにスマホゲームをしていた。

 隣の席では、戻ってきた透が購買の袋を机の上に置いていた。袋の中にはサンドイッチと牛乳。

 颯太はリュックから弁当を取り出すと、ゆっくり弁当箱のふたを開けた。母が作ってくれるいつもの甘い卵焼きに、ウィンナー、それからブロッコリー畑。大盛りのごはんの上には照り焼きチキンがひとつ、どん、と乗っている。


 前方に座っているグループが机をくっつけて、スマホで動画を見ながら笑っている。

「今の見た?」「やばい」「何回見ても神プレイ」――笑い声に混じり、そんな会話が聞こえてくる。

 

 昼休みは、放課後とは違う独特の雰囲気がある。自由なようで、終わりのチャイムがすぐそこにある。その限られた時間の中で、みんなそれぞれのいつも通りを過ごしている。


 天井では換気扇が静かに回っていた。涼しい風が入ってきて、風に揺られたブラインドが窓枠に当たって、カンカンと小さな音を立てている。

 廊下を通る生徒たちの足音が響く。遊びに出る者、部室に忘れ物を取りに行く者。行き交う声が一瞬だけ近づいて、すぐ遠ざかる。

 春の終わりと初夏の入り混じるこの季節。制服で過ごすには少し汗ばむ。


 「もう、夏だね」

 透はそう言うと、ブレザーを脱いで背もたれにかけた。ブレザーの中はTシャツで、日焼けしていない腕があらわになる。

 颯太は透の動作に少しだけ目を奪われた。

 意識を戻して弁当を食べようとしたところで、箸を忘れたことに気づき、机の中から置き割り箸を取り出した。


 黒板横の壁に貼られたプリントがふわりと揺れる。透がちらりとそちらに目をやる。

「テープ、取れかけてんな」

「テープじゃなくて、画鋲にしたらいいのに」

 

 そんな何気ない会話をしながら、颯太は割り箸を割って弁当を食べ始めた。

 

 透はというと、購買のレシートを丸めかけて、手をふと止めた。

「時間、ズレてる」

 透が丸めたレシートを広げて見せてくる。受け取ったレシートの打刻は12時27分。壁の時計は12時25分を指していた。購買まで片道5分はかかるのに。

 透はもうレシートへの興味を失ったようで、購買で買ってきたたまごサンドを取り出すと、包装フィルムを慎重に引き剥がした。


 マヨネーズとパンの甘い匂いが少しだけ広がる。透はたまごサンドをじっと見つめている。

 

「……これ、前にも食べた気がする」

「前って? 昨日、はおにぎりだったか。一昨日は“春は揚げ物”って言って、から揚げ弁当買ってたよね」

「もっと前。けっこう前」

「しょっちゅう買っとらん?たまごサンド」

「いや、そうじゃなくて。具がさ、黄身多めが左で、白身多めが右で、また黄身多め。あの日と同じなんよ」

「細かっ」


 颯太は笑いながら、卵焼きを食べる。うん、甘い。

 透はまだ、サンドイッチを手にしたまま考えている。

「パンの形も同じ気がする」

「機械が一緒だからじゃん?」

「でも、耳の残り具合が、前と同じだと変な感じしない? ほらここ」

「よく分かんない。デジャヴってやつ?」

「うん。そんな感じそんな感じ」


 言語化して満足したのか、透はようやくたまごサンドを一口かじる。

「……同じ味だ」

「そりゃ、購買のいつものたまごサンドだし」

「いや、記憶の中の味まで一致してる」

「そこまでは俺にはわからん」

 そう言いながら、颯太は思わず笑ってしまう。透が真面目に話すときほど、ふざけてるように見えてずるい。


「前も颯太が“わからん”って言って、わかってくれなかった」

「俺、そんなに語彙少ない?」

 

 透は笑って、ブラインドが開けられた窓を顎でさした。

「じゃ、次はあそこでボールが落ちる」

その瞬間、「うわっ!」。窓からボールが落ちるのが見え、自転車置き場の屋根にバウンドしたあと通行人に当たりかけた。

 上階の窓からボールをうっかり落とした人がいるようだ。


「……タイミングやば」

「前と同じだった」

 透はあっけらかんと笑って、たまごサンドイッチをかじる。


「透、仕込んでた?」

「ドッキリでした!って、誰も来ん来ん。あはは」

「偶然にしてはエスパーすぎる」

「偶然って、案外よくできてるんだよ」

「どういうこと?」

「知らん」


 透の適当さに、颯太は思わず笑ってしまう。

 

「そういや入学式の日も、透が教室の位置を教えてくれたよね」

 透は肩をすくめる。

 

「まあ、たまたまだけどさ」

「たまたまで片づけんなよ」

「そういう日もあるんだよ。昨日も今日も明日も」

「そのまとめ方、無理矢理過ぎじゃね?」

「ばれた?」


 颯太は吹き出して、お茶をこぼしそうになった。

 透は相変わらずマイペースにサンドイッチを食べている。

 何気ない昼の光景が、どうしてか少しだけ違って見え始めていた。


――

 

 颯太は、水筒の茶を飲もうとして、箸の置き場がないと気づいた。割り箸の袋を無意識に折り始めていた。

 置き割り箸の世話になるなんて、うっかりしていた。まあ、こういう時のための、置き割り箸なんだけど、やるせない。

 袋を三つ折りにして、両端を内側に折り込み、形を作っていく。


「なにそれ、おっちゃんみたい」

「箸を置くところがないだろ」

「ふふ。颯太って、わりと几帳面だよね」

「ちげーよ。割り箸で弁当を食うための儀式だよ」

「そんなの、聞いたことない。……おっと」


 透が笑った拍子に牛乳パックを倒しかける。

 そこをちょうど、ロッカーへ向かうクラスメイトが横の席を通りかかった。

 かからなくて良かった、と透がつぶやいた。

 日焼けした大柄な彼は、半袖のシャツに部活のジャージを腰に巻いている。

「何それ、箸置き?」

「そう」

「へえー、俺、折り方知らない」

 そう言って笑いながら、通り過ぎていく。ガタンと個人ロッカーの戸を開ける音がしたあと、彼は教科書をドア近くにいた誰かに渡して、廊下へ出ていった。


「颯太、この箸置き、前にも作ってたよね」

「割り箸のときは作ってるよ」

「あー、デジャヴ感が伝わらん!」


 颯太は苦笑する。

 前に箸を忘れたのがいつだったかは思い出せない。いつも作っているシンプルな箸置きだから、颯太にはデジャヴも感じない。


 風が入ってきて、箸置きが机の上をわずかに動いた。

「……進んだ」

「偶然」

「その“偶然”の言い方も、同じ同じ」

「なんか全部経験済みみたいに言うなよ」

「初めてはもう、経験済みなの♡」


 透はそう言って、いたずらっぽく笑った。

「うわ」

 陽の光がブラインドの隙間から差し込み、透の髪に反射する。まぶしくて颯太は思わず目を閉じる。

 差し込んだ光は、颯太の机の上でゆらゆらと動いていた。颯太は箸置きをひっくり返して箸を置き、水筒の茶を飲んだ。

 カランという氷の音、よく冷えた麦茶の味が、やけに現実的だった。


 ――

 

「なあ、颯太。本当にあの日と同じなら、そろそろ強い風が――」

 5月の風が教室にゆるく入ってきて、机の上のプリントをふわりと動かした。

 透の髪が揺れる。

「……ほら、風が吹いた」

「え、なにこわい」

「まあ、でもこういうのって、だいたい偶然だよね、うん。また二度目であってたまるか」

「お前、理屈っぽいのかスピリチュアルなのか、分かんねえな」

「スピってないけど、見たものを話すのは好き」

 透は残りのサンドイッチを一口で口に入れる。目元は笑っていた。

「でも本当に、こんな昼だった」

 颯太はため息をついて、お茶をひと口。

「俺は覚えてないけど、いろいろよく覚えてんなぁ」

「うん。――でも、こういうのも悪くない」

「は?」

「同じことが続いてる感じが」

「どういうこと?」

「このくらいなら、起きることが分かってて、ちょっと安心」

 

 風がまた入って、ブラインドが壁にぶつかり、カチャカチャと小さく鳴った。

 透は食べ終わったサンドイッチの包装紙を買ってきた袋に入れ、別のサンドイッチを取り出す。

「ツナか、ハムか……あの時はどっちだったっけ」

 呟きながら、ハムサンドのフィルムを剥がし始めた。どこか満足そうな仕草だった。

「ばあちゃんも、黄身が左だと『今日はいい日』って言ってたし」

 それ以上、透は説明しない。

 

 外からは、バイクが走る音。

 戻ってきた寮生か誰かの笑い声。

 日直が黒板をきれいにし始め、チョークの粉がキラキラ舞うのが見えた。


 颯太には、透が言う事の意味が分からなかった。

 透の顔を見て、詳しく聞くべきかどうか悩み、でも何故か言葉が出なかった。

 誤魔化すように、ウィンナーを箸で掴もうとして、あやうく落としかける。

 颯太も、どこか既視感を覚えた。

 

 ――前にも、こうしたことがある気がする。


 昼の光がゆらいで、颯太には教室の喧騒がすこしだけ静まったように感じた。

 

  グラウンドからまた歓声が聞こえた。もうすぐ寮生が戻ってくる時間だ。また教室はにぎやかになる。

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