第六話:複雑に入り組んだ紋章と日常の不思議
俺の右手の甲には、生まれた時から奇妙な紋様が刻まれている。
普通の魔法使いが持つ紋章は、属性に応じて一つの形を持つと聞いていた。火なら火の紋、風なら風の紋。二つ持つ者は稀にいるらしいが、それでも紋章は二つが並ぶだけだ。
けれど俺の右手にあるのは、それらとはまったく違う。
八つの魔法系統の紋章が互いに絡み合い、迷路のように入り組んだ複雑な模様――まるで意味不明な落書きのようにも、神秘的な儀式の刻印のようにも見える、不思議な青い線の集積だった。
普段は薄く、ほとんど見えないほど皮膚に馴染んでいる。けれど魔力が流れた瞬間、その線は血管のように青く脈動し、淡い光を帯びて浮かび上がる。
幼い頃の俺は、その異質さに気づくはずもなく、ただ「ちょっと変な模様があるな」と思うくらいだった。
しかし母のフィーナは、ある日ふと俺の右手を覗き込み、眉をひそめた。
「アルト、この紋章……やっぱり、普通の紋章と違うわよね」
「うーん……そうなのかな?」
俺は右手を眺めながら、幼いながらに少しだけ首を傾げる。模様は俺にとって自然なもので、特別な意識はなかった。ただ、時々ぽうっと光るのがきれいだと思うくらいだ。
そこへ父のゲラルトがやってきて、俺と母の会話を耳にしながら笑った。
「はは、確かにぐちゃぐちゃだな。でもそれがお前の力の証なんだろうよ。普通の枠に収まりきらないってことさ」
「あなたは……本当に心配しないのね」
「心配したところで変わるもんでもないだろ。それに、悪い力じゃない。アルトは人を傷つけるために使っちゃいない」
父はそう言って、俺の頭を優しく撫でた。
村の人たちも、この紋章を恐れることはなかった。俺が村の仕事や日常を少し手伝う程度の、不思議で便利な子どもだと思っているだけだ。
例えば、朝の散歩。
村の小川沿いの道を歩くとき、霧が濃いと少し周りが見えにくい。そこで俺は手のひらにちいさな火の玉を浮かべた。
「わぁっ、アルトの火だ!」
「今日も明るいね!」
子どもたちは目を輝かせ、ただ楽しそうに笑った。
俺も思わず嬉しくなる。魔法というより、ただの遊びの延長だった。
母が肩を痛めたときは、自然と手を当てただけで痛みが和らいだ。
「……不思議ね。本当に楽になるわ」
「うん。なんか、こう……あったかい感じがするんだ」
癒しの力も、俺にとっては自然なことだった。
父が農具を壊したときは、錬金補助の魔法が発動し、金属片が吸い寄せられるようにくっついて元の形を取り戻した。
「おお……これは助かる!」
父は驚きながらも喜んでくれた。
火、水、風、土、光、闇、癒し、錬金補助――
本当は、これら八つすべてを使えるのは世界でも異常らしい。だけど村の人は誰もそこまで深く考えない。
「アルトは不思議だが、悪さはしない」
「むしろ助かってるくらいだしな」
そんな声がよく聞こえた。
右手の紋章のことも、恐れられなかった。
俺自身も、そこに危険な意味があるなんて考えもしなかった。
けれど、時々脈打つ青い光――それだけは、幼い俺の胸にほんの少しだけ「よくわからない不安」と「わくわく」を残していった。
◆
ある日の夕暮れ。
俺は庭の小道に座り込み、右手の甲をじっと見つめていた。傾く陽の光に紋章が反射し、線のひとつがゆっくり青く輝いた。
「……きれいだな」
自分でも説明できないけれど、胸の奥が少しだけ高鳴る。
特別な力とか、異常な才能とか、そんなことはわからない。ただ、右手の紋章が、これから先のどこかへ導いてくれる――そんな気がした。
もちろん、まだ幼い自分が理解できるわけもない。
紋章の意味も、八つの魔法をすべて扱える異質さも、誰にも説明できない。
ただひとつだけ確かなのは、この紋章が“日常のための力”では終わらないということ。
村の穏やかな日々の先に、もっと広い世界がある。
そして――その扉を開く鍵が、この右手に刻まれている。
青く脈動する紋章は、言葉を持たないまま、ただ静かに未来を予告していた。
俺がまだ知らない世界と、まだ気づいていない運命を。




