第五話:幼少期に芽生えた八系統の力
俺が三歳になったばかりの頃のことだ。
当時の俺は、まだ“魔法”というものの概念すらろくに知らなかった。ただ、手を伸ばして触れたものが思い通りに動いたり、形を変えたり、光ったりするのは、小さな子どもにとっては遊びの延長でしかなかった。
最初にそれを不思議だと気づいたのは、母さんだった。
ある朝、母さんが小川へ水を汲みに行くというので、俺もついていった。冷たい水の流れが好きで、川面に手を伸ばして遊んでいたときのことだ。母さんが鍋を抱えて、「帰るわよ」と声をかけた瞬間、俺の手のひらから一滴、また一滴と水が落ちた。
ぽちゃん。
ぽちゃん。
気づけば、鍋の中は満たされていた。
「……え? アルト、それ……どうやったの?」
母さんは驚いていたけれど、俺はただ首を傾げるだけだった。
どうやったも何も、ただ“出て”きただけだったからだ。
俺にとって、それは呼吸みたいなものだった。
魔法だなんて考えが浮かぶはずもなく、ただ「便利だな」と思っただけだった。
父さんもまた、俺の奇妙な“便利さ”を目撃することになる。
ある日、村で伐った丸太を運ぶ手伝いをしていたときだ。もちろん三歳の俺に丸太が持てるわけがない。ただ横で見ていただけなのに、父さんが丸太を持ち上げようとした瞬間、地面がふわっと盛り上がり、丸太が勝手に転がった。
「おおっ!? い、今の……アルトか?」
父さんが笑いながら言うと、俺はまた首を傾げた。
「うーん……わかんない」
別に驚きもしなかった。ただ、丸太が動いた。それだけ。
そんな調子で、俺の“日常”は少しずつ不思議なものへと変わっていった。
◇◇◇
四歳になる頃には、その力はさらに広がっていった。
母さんの畑仕事を手伝っていると、触れた土が柔らかくほぐれ、種を埋めると小さな芽が顔を出す。
手のひらから落ちる雫は小さな畑を潤してくれた。
俺自身もなんとなく気づき始めていた。
――これ、他の人にはできないことなんじゃないか?
でも、村の大人たちは優しかった。
「アルト坊ちゃんは、不思議だけど悪さはしないからなあ」
「ちょっとした神様の贈り物かもしれないよ」
誰も怖がらない。
誰も避けない。
俺の右手の甲に浮かぶ紋章を見ても、「珍しい模様だね」で済ませてくれた。
だからこそ、俺も深く考えないまま育っていった。
◇◇◇
六歳のある日、俺は小さな冒険をすることにした。
夕暮れ前、ちょっと森の奥まで行って帰るつもりだった。それが、思った以上に奥へと歩いてしまっていた。
気づいたときには霧が立ち込め、道がわからなくなっていた。
胸がじわりと冷える。
泣きそうになった瞬間、右手の甲がぬくっと温かくなった。
光が生まれた。
俺の小さな手のひらに、淡い金色の光球がふわりと浮かんだのだ。
暖かくて、優しくて、触れるとくすぐったい。
光は足元を照らし、森の中の影を柔らかく追い払っていった。
「……これ、俺の……?」
胸の奥で何かがざわめいた。
初めて自覚して“使った”魔法だった。
光に導かれて歩くと、森の出口はすぐそこだった。
家に戻ると母さんに怒られたけれど、俺はずっと自分の手を見ていた。
紋章が微かに光っている気がした。
◇◇◇
その頃になると、俺の力は、八つの属性へと自然に枝を伸ばしていた。
火は手のひらで小さな灯のように揺れ、
風は俺の髪をそっと撫で、
水は思い通りに滴り落ち、
土は穏やかに形を変え、
光は夜道を照らし、
闇は木々の影を優しく整え、
癒しは傷ついた小鳥の痛みを和らげ、
錬金補助は木の枝を小さな玩具の形に整えてくれた。
どれも、ほんの初級レベルのものばかりだ。
爆発したり、炎が天井を越えたり、地震が起こったりなんてことは一度もなかった。
ただ日常を少し便利にするだけの、静かな魔法たち。
村人にも親にも、恐れられるようなことはなかった。
父さんは笑いながら言った。
「アルト、その紋章……天才の証なんじゃないか?」
母さんは、右手の甲を撫でながら小声で呟いた。
「何かの兆しかもしれないけれど……この子が笑っていられるなら、それでいいわ」
俺は二人の言葉の意味をよく理解してなかった。
ただ、右手に宿る温かさが好きだった。
◇◇◇
もちろん、この頃の俺は知らない。
八つの属性すべてを使えることが、どれほど異常なのかも。
それが“奇跡”なのか、“選ばれた何か”なのかも。
ただ――
俺の魔力量が、まったく減っていないという事実も。
その意味に気づくのは、もう少し先の話だ。
この頃の俺は、ただ森を駆け回り、光を灯し、水を遊ばせ、風で遊び、土をいじっていただけだった。
そのすべてが、俺の日常であり、村の平和な空気に溶け込んでいた。
けれど、右手の甲の紋章は確かに脈打っていた。
まるで、ここから続く未来を静かに告げるように。
――この無邪気な魔法の芽生えが、俺の運命の始まりだったと気づいたのは、もっとずっと後のことだ。




