第四十八話:完全制御の兆し
夕暮れの街は温かな色に染まり、建物の影がゆっくりと伸びていく。
俺は細い裏路地を抜けながら、胸の奥に満ちていく安定した魔力の流れを確かめていた。
今日の市場での任務は、小さなトラブルの解決ばかりだった。壊れかけた荷車の補助、逃げた家畜の誘導、落下しそうな瓦の予知回避。危険は少なく、難易度も低い。けれど、確かな実戦だった。
未来予知を使った。時魔法もほんの少しだけ使った。それでも魔力は乱れず、体力も削れない。
「……大丈夫だ。もう本当に、暴走なんてしそうにない」
自分でつぶやく声に、確かな自信がにじんでいた。足取りは軽い。すぐにでもルナさんに伝えたくなるほどの成果だった。
ギルドの扉を静かに開けると、夕方の受付は冒険者たちの声で賑わっている。そんな喧騒を抜け、俺は裏の訓練室へ向かった。いつものように、ルナさんが机に向かって書類を整理していた。
「ルナさん、ただいま戻りました」
俺が声をかけると、ルナさんは顔を上げた。驚いたように一瞬目を丸くし、すぐに柔らかな表情を浮かべる。
「おかえり、アルト。……何だか、顔つきが変わったね。安定してる」
「はい。今日の依頼、問題なく終わらせられました」
俺は訓練室に入り、今日の任務で起きた事を丁寧に話した。
複合未来予知で瓦が落ちるわずか前に感知したこと。荷車の軸が折れかけていた未来を読み取り、《デセレーション》の微細制御だけで、力加減を調整して補強できたこと。ほとんど魔力を使わずに解決できたこと。
そして――時魔法の補助を使っても、魔力の暴走は起きなかったこと。
ルナさんは黙って聞き、最後にゆっくり息を吐いた。
「……見せなさい」
「え? 何を?」
「あなたの魔力の流れ。手を出して」
言われるまま手を差し出すと、ルナさんは指先をそっと俺の手首に触れた。微弱な魔力が流れ込み、脈のように内側の気配を探ってくる。
「……静か。驚くほど、穏やかね」
ルナさんの声は、ほっとしたように、安堵を滲ませていた。
「本当に、暴走の兆候がほとんどない。魔力の底も綺麗で、濁りもない。これなら、もう無意識で魔力が溢れ出すことはないでしょう」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
ずっと、不安だった。訓練でうまくいっても、次も大丈夫かという恐怖は、どこかに残っていた。それは、俺をずっと支配してきた力の根源的な性質だったからだ。
だがルナさんは、はっきりと、問題ない、と言ってくれた。
「それは……嬉しいです。本当に」
自然と笑みがこぼれる。ルナさんもつられて微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。
「でもね、アルト。今はまだ完全に治ったわけじゃないの。あくまでも——悪化していない。落ち着いているという段階」
「……はい。油断しません」
「よろしい」
ルナさんは資料を片付けながら告げる。
「これからしばらくは、Fランク依頼だけに絞るわ。危険が少なく、魔力消耗も最小で済む。あなたの魔力は今、回復の途上にある。だから——まずは全回復を最優先にしなさい」
俺は素直にうなずいた。実際、まだ長期戦をすればどこかで無理が出ることを感じていた。完治するまで慎重に進みたい――ルナさんの方針はまさにその通りだった。
「それから、魔法の使い方についてもルールを決めるわ」
ルナさんは指を一本立てる。
「まず、基本魔法のみ使用可。風、火、補助の軽いものだけ。複合魔法は禁止。時魔法も補助レベルに抑えること。全力で《アクセラレーション》を使うのはまだ禁止よ」
「分かりました。……あまり使いすぎないようにします」
「うん。それでいい」
ルナさんは椅子から立ち上がり、歩み寄ってくる。その瞳には深い優しさが宿っていた。
「あなたがね、今日みたいに楽しそうに帰ってくるのを見ると……安心するの。昔みたいに倒れ込んで、意識を失うあなたをもう見たくない。だから、焦らずいきましょう。歩幅はゆっくりでいいんだから」
俺の胸はじんわりと温かくなる。ルナさんの本音はいつだって簡単に顔に出る。厳しいのはいつも、強くあれと言っているわけではなく――ただ、俺のことを、純粋に心配しているからだ。
「大丈夫です。もう無茶はしません。……ちゃんと、自分の力と向き合いますから」
「ふふ……なら、いいわ」
ルナさんはくるりと背を向けて机に戻りながら言った。その声には、確かな期待が込められていた。
「今日のあなたを見て、確信できたの。もう少しで——完全制御の段階に入れる。ここまで来れたあなたなら、きっとできるわ」
その言葉は、これまでのどんな訓練の成果よりも重く響いた。ルナさんからの信頼。それが何よりも嬉しかった。
ギルドを出るころには、空には無数の星が瞬いていた。
俺は夜風を深く吸い込み、ゆっくり吐き出す。
痛みも、恐怖も、暴走の影もない。ただ、穏やかな魔力の流れと、温かい期待だけが胸に残っている。
——焦らず、一歩ずつ。
《完全制御》までの道は、確かに見え始めていた。
その未来へ向かって、俺は静かに、しかし力強い足取りで歩き出した。




