第四十七話:街を守る小さな任務
陽光が柔らかく街並みに差し込む、清々しい朝だった。
俺は訓練場を出たあと、ギルドの掲示板の前に立っていた。昨日の《時魔法訓練》、つまり《アクセラレーション》と《デセレーション》の制御を完全に掌握した手応えが、まだ身体の中に心地よい余韻として残っている。もう無意識に暴走する恐怖はない。自分の意思で、確かに時を動かせる――それが嬉しくて仕方がなかった。
そんな気持ちを抱えつつ、掲示板に顔を向ける。ずらりと貼られた依頼書の中で、ひときわ目に入りやすいのは、低ランクの街中依頼だ。
「……今日は、こういうのがいいかもしれないな」
大きな任務に挑む前に、まずは足元、街の小さな困りごとを解決する。その積み重ねこそが、確かな経験になる。俺はそう考えて、《市場通りの騒動対処》、《搬送馬車トラブルの予防協力》、《迷子の保護》、《店の裏口に現れる魔獣の追い払い》の依頼書を手に取った。どれも危険度は低いが、住民にとっては大切な日常の平和を守る大事な仕事だ。
「アルトくん、依頼受けるの?」
声をかけてきたのは、受付嬢のメイリスさんだ。
「はい。今日は街の依頼を中心にやってみようと思います」
「ふふ。顔つきが変わったね。なんだか――自信がついたみたい」
俺は照れくさく笑った。「ちょっとだけ、ですけど」
「じゃあ、この小さな依頼をまとめて受けても大丈夫よ。ぜんぶ同じ市場通りだから効率がいいわ」
依頼受注の印を押してもらうと、胸の奥が少し熱くなった。ただの雑用でも、今日は違う。自分の力が、誰かの役に立つ。それを、自分の意志で制御した力で確かめられる日だ。
市場通りは朝からにぎやかだった。野菜の香り、焼き菓子の甘い匂い、威勢のいい売り声。人々の生活の息づくこの場所は、俺にとっても好きな景色だ。
三軒先で、商人らしき男性と客が大声で言い争っているのが見えた。
「価格をごまかしただろ!」「ごまかすもんか! ちゃんと量も価格も言った通りだ!」
周囲の人々は気まずそうに距離を置いている。騒ぎが大きくなれば、他の店にも迷惑がかかる。
俺は深呼吸をひとつし、複合未来予知の視界をわずかに開いた。このまま放置すれば、口論はさらに大きくなり、最終的に商品が床に散乱する未来が見える。
「すみません、ギルドから派遣された者です。状況を確認させてもらえますか?」
俺の落ち着いた態度に、二人は冷静さを取り戻した。未来予知で事前に見えていた、誤解のポイントを押さえながら双方の言い分を整理し、商品の量を測って価格を照合する。結果は、互いの聞き間違いによる単純なすれ違いだった。
「つまり……ほんとにごまかしてたわけじゃなかったのか」「お互い聞き間違えてたんだな。すまねぇ」
二人は気まずそうに頭を下げ合う。周囲の店主たちや通行人が、ほっとしたように拍手を送ってくれた。こういう平和の形もあるんだと、胸が温かくなった。
騒動を収めて次に向かったのは、通りの外れで荷物を積んでいる馬車の前だ。御者の老人が困った顔をしている。「また車輪がギシギシ鳴ってな……今日も壊れそうでねぇ」
未来予知で馬車の状態をなぞる。数分後、右後輪の軸が外れて荷台が大きく傾く未来が浮かんだ。
「ちょっと確認してみます」
俺はしゃがみ込み、軸の接合部に指を触れ、《デセレーション》を極めて微細に応用した。これは、時間を遅らせるのではなく、対象の「劣化の速度」を遅らせて、物質の微細な変化を極限まで読み取る技術だ。
「ここです。ここの留め具が緩んでます。今のまま動くと外れてしまいます」
「なんと! わしじゃ気づけんかった……」
俺が手際よく工具で締め直し、土台を補強すると、車輪は静かに回転した。「これなら大丈夫です」。老人は何度も頭を下げた。その度に、俺の胸には「役に立てた」という実感が積み重なっていく。
通りを歩いていると、小さな子どもが泣いているのを見つけた。「おかあさん……どこ……?」
未来予知で数分先を覗いた瞬間、通りの反対側で必死に探す女性の姿が見えた。互いに見つけられずにすれ違おうとしている。
(時間を短縮できる)
俺は少女の前にしゃがみ込み、「お母さんを一緒に探そう。きっとすぐ見つかるよ」と優しく声をかけた。手をそっと握り、未来で見た方向へ歩き出す。ここで自分にだけ《アクセラレーション》を静かに発動させた。周囲に悟られないよう、加速をわずかなものに抑える。
数分後――「リリア! どこに行ってたの……!」
母親が駆け寄り、少女を抱きしめた。「お兄ちゃんが、いっしょに……」母親は涙を流しながら、俺に深く頭を下げた。「本当に……ありがとう。あなたがいなかったら、もっと時間がかかっていました」。少女が小さく手を振ってくる。その仕草に、俺は自然と笑みを返した。
最後の依頼は、小さな飲食店の裏路地に迷い込んだ弱い魔獣の追い払い。店主のおばちゃんが困った顔で迎えてくれた。「最近ねぇ、夜にゴソゴソ音がしてさ。お客さんも怖がってるんだよ」
未来視で確認すると、魔獣は怯えて隅に丸まっているだけで、攻撃性はほとんどない。「大丈夫です。少し驚かせれば逃げていきます」
俺は裏路地に入り、魔力をかすかに放って威圧の気配を演出した。《エピタフ》で培った精神操作と魔力制御の応用だ。魔獣はびくりと震え、尻尾を巻いて森の方向へ駆けていく。
「逃げた! 本当に追い払ってくれたんだねぇ!」「助かったよアルトちゃん、今度ごはんサービスするよ!」
店主のおばちゃんは豪快に笑い、何度も背中を叩いてきた。「はは……ありがとうございます」
夕方。市場通りを歩く俺は、不思議な充足感に包まれていた。
魔力も体力も、昨日より明らかに安定している。未来視、時加速、時減速、魔力操作――どれも実戦で「無理なく自然に」使えていた。かつては恐怖で暴発していた時魔法が、今や俺の日常の一部になっている。
そしてなにより、人々が笑い、安心してくれた。その笑顔が、こんなにも温かいものだとは思わなかった。
市場の片隅で、小さなパン屋の少女が声をかけてくる。
「おにいちゃん! 今日いろんな人助けたんでしょ? これ、お礼に!」
差し出されたのは、小さな焼きたてパン。
「えっ、いいの?」「うん! お母さんも、お兄ちゃんのおかげって言ってたよ!」
俺は胸が熱くなった。「……ありがとう。いただきます」
ひと口かじると、あたたかくて、やさしい味がした。
――今日の自分は、誰かの“役に立てた”。
――これなら、どんな任務にも、どんな強大な敵にも、きっと向き合える。
俺は夕焼け空を見上げ、静かに拳を握った。
時魔法を手にした自分は、ここからもっと――強く、優しくなれる。
この確かな自信を胸に、俺はギルドへと続く道を歩き始めた。




