第四十五話:複合未来予知
意図的に感情の波を操り、《予知》を起動する訓練を成功させたことで、俺は時属性の力を、長年俺を苛んできた暴走の恐怖から完全に解放した。
呼吸のリズムは、もはや安定の調律器となっていた。魔力の流れも一定に保たれ、強力な増幅器としての感情さえも、その土台の上で自在に操れるようになったのだ。恐怖をエネルギーに変えることはできても、それに呑み込まれることはもうない。
ルナはその変化を静かに見守っていた。そして、俺が基礎段階を乗り越えたことを確信すると、修行の最終段階への移行を告げた。
「アルト。あなたは今、意図的に《エピタフ》を起動させ、断片的な未来を読み取ることができる。素晴らしい成長よ」
だが、ルナの言葉には、まだ先があるというニュアンスが含まれていた。
「しかし、実戦で求められるのは『数秒後の敵の行動の全体像』よ。あなたの予知はまだ『点』でしかない。それを『線』として繋ぎ、さらに『面』として把握する必要がある」
修行部屋の隅には、複雑に絡み合ったロープの塊が置かれていた。それを見た瞬間、俺は直感的に、それが今の俺の未来予知の断片そのものを象徴しているように感じた。
ルナは説明を続ける。
「これまでは、一瞬の未来を読み取り、それを回避行動に繋げることしかしていなかったわ。でも、それでは強大な敵には通用しない」
ルナは鋭い瞳で俺を見据える。
「これからは、複数の断片を連続して引き出し、意識的に組み合わせて、一つの流れとして再構築するの。これが、複合未来予知――コンポジット・エピタフよ」
深く息を吸い込み、呼吸を整える。
《複合未来予知》。これこそ、俺がこの力を真の意味で使いこなすために必要な技術だ。
ルナが教えてくれた、感情を増幅器として使うための準備に入る。
心の奥底に、微かに焦燥の感情を生み出す。故意に生み出したその感情の波が、心臓をわずかに速く打たせ、手に宿る《心の微光》の光を微かに揺らがせる。
俺はその感覚を受け止める。焦燥を外部のノイズとして認識し、内部の意志をぶれさせずに、微光を最大限活性化させた。
ロープの塊に視線を固定し、第一の予知を試みる。
微細な揺らぎが意識に流れ込み、脳裏に瞬時の未来が閃いた。
「左奥の結び目が、最初に緩む!」
俺は即座に声に出し、言語化することで予知を確定させた。
その瞬間、俺の意識はすでに第二の未来を探り始める。予知した結び目の緩みによって、ロープの塊にかかる力の変化。それが次の動きに繋がるはずだ。それは微細だが確実な情報の揺らぎであり、俺はそれを《残心読解》で読み取るように逃さなかった。
「重心が崩れ、手前の輪が床に落ちる!」
間髪入れずに第三段階の予知に意識を拡張する。残された部分がどう動くか。連鎖の結果として最後に起こる、最も大きな動きが浮かび上がる。
「最後に、残りのロープが右側に大きくたわむ!」
俺が言い切った直後、ロープの塊は、まさに俺の予知通りに連鎖的に崩れ落ち、部屋には小さな埃が舞った。時間の流れが俺の言葉に追いついたのだ。
ルナは目を輝かせ、静かに称賛した。
「完璧よ。あなたは断片を線として繋ぎ、意識的に全体を構築できた。これが複合未来予知よ。魔力の消耗もごくわずか」
しかし、次の課題はさらに難しいものだった。
ルナは部屋の隅に十個の小さな標的を不規則に配置し、魔力で無作為に三つを同時に動かした。
複合未来予知を駆使し、三つの標的が次にどこで交差し、どこに向かうかを瞬時に読み取り、最小限の魔力で制御する必要がある。標的の未来は、ロープよりも圧倒的に速く変化する。一つに集中すれば、残りの二つを見失う。
俺は再び深く呼吸を整え、心の増幅器を起動する。
身体と意識を未来の「中間点」として捉え、複合未来予知で全体像を掴む。三つの標的が描く、異なる三本の軌道が、脳裏でピタリと重なる交差地点が見えた。
最小限の魔力で、その交差地点に風魔法を展開した。
「風――《微風》!」
わずかな空気の抵抗が生まれ、三つの標的は予知通り交差地点で衝突し、完全に停止した。余計な魔力を一切使わない、究極の効率。
訓練は回数を増すごとに複雑化し、五つ、七つの標的が同時に動く状況へと進んだ。標的が多ければ多いほど、発生する情報のノイズも増える。
だが、俺は成長を示した。
複合未来予知の成功率は飛躍的に高まり、標的の数が増えても、俺の魔力消耗は極めて少なかった。呼吸を安定させることで、精神的な負荷はほとんどなく、かつて俺を苦しめた暴走の危険も完全に消えていた。
ルナは訓練記録を見つめ、静かに感動した。
「アルト。あなたは最も危険な壁を越えたわ。感情の波をエネルギーに変え、呼吸の安定で暴走を防ぎ、断片を繋いで全体を予知し、複合魔法で補完する――他の時属性能力者には真似できない戦術の基礎を手に入れたのよ」
俺は剣を脇に置き、手の甲に浮かぶ紋章を見つめた。
迷いも恐怖も消え去り、自分の力を完全に掌握した確信が瞳に宿る。
「俺はもう、自分の力に怯える必要はない。未来を知り、自分の意志で変える力を手に入れた……」
修行部屋の静寂の中で、夕陽が差し込み、アルトの瞳に確かな覚悟と自信が映った。彼の戦いは、もはや無意識の恐怖ではなく、未来を支配する段階へと移行したのだった。




