第四十一話:微光の連鎖と残心読解
《予知》の制御訓練は、日々少しずつ成果を見せ始めていた。ルナさんとの実戦形式の組み手によって、俺は微細な感情の揺れをトリガーに未来を読み取る糸口を掴んでいた。俺の持つ初級癒し魔法《心の微光》が、その小さなトリガーを感知するセンサーとなったのだ。しかし、ルナさんはすぐに組み手を中断させた。
「今のあなたは、まだ私の動きという『感情を伴う情報』に依存している。これでは、本当の意味で《エピタフ》を制御しているとは言えないわ」
ルナさんの声は静かだが、言葉の一つひとつに確かな重みがあった。俺は息を整え、改めて修行部屋の中央に座り込む。昨日の訓練の疲労はまだ残っているものの、意識は鋭く研ぎ澄まされていた。
「次の訓練は、静物を対象にするわ」
ルナさんは修行部屋に置かれた古い道具や家具を指差した。木製の椅子、金属製の火かき棒、そして積み上げられた古文書の山――これら全てが、俺にとっての新たな修行対象だった。
「アルト。あなたは《心の微光》を使い、この部屋全体の重心の微細な変化、物質の膨張や収縮、そして時間の流れが生み出す微々たる情報の揺らぎを感じ取るの。次にそれがどんな動きに繋がるか、予知するのよ。たとえば、この古文書の山が次にどの方向へ崩れるか――それを、《エピタフ》で読み取るの」
俺は一瞬、言葉を失った。これまでの訓練は、他者の感情という強いトリガーが存在していた。だが今、対象は無機物だ。感情の波紋は存在せず、微細な情報の揺らぎのみが手がかりとなる。
「……でも、ルナさん、物質には感情がない……」
俺の声は、かすかに震えていた。
「その通り。だからこそ、この訓練が必要なのよ。感情に頼らず、あなた自身の意志で未来を読み取る力を身につけるために」
ルナさんの言葉は冷静だが、俺には確かな愛情と信頼が伝わってきた。彼女が目指しているのは、恐怖を伴わない、純粋な理性の制御だ。
俺は深く息を吸い込み、右手に《心の微光》を展開する。微かな青白い光が掌を包み、ゆっくりと意識を広げる。その時、俺は同時に、自分のもう一つの初級スキルを試した。
「闇――《残心読解》」
俺の体から発せられた闇属性の魔力が、部屋の隅々へと微かに広がる。この魔法は、物体に残された魔力や情報の残滓を読み取るものだ。感情はなくても、物質には過去の動きや力の痕跡が残っている。その痕跡を《レムナント・センス》で読み取り、それを補助線として《エピタフ》で未来へと繋げる。
(《微光》で現在の微細な変化を、《残心読解》で過去の情報を読み取る……そして、その連鎖の先に、未来の揺らぎがあるはずだ!)
数分が経過しても、脳内には何も映らなかった。古文書の山は静かに積まれ、椅子も火かき棒も、ただそこに在るだけだ。
「だめだ……何も感じない……ただの静寂だ」
焦燥が胸を締め付け、魔力の流れは乱れ始めた。手のひらの微光も小刻みに揺れる。ルナさんは厳しい視線を送りながらも、決して口を挟まなかった。
「焦らないで。あなたの魔力は無限かもしれない。でも、精神の摩耗は致命的よ。焦燥は、あなたの《エピタフ》の制御を遠ざけるだけ」
俺は目を閉じ、再び呼吸に意識を集中する。吸って、吐いて、吸って、吐いて――彼の胸と腹は一定のリズムで上下し、心拍も次第に安定していった。
その瞬間、微細な変化に気付く自分自身の感覚があった。部屋の温度、空気の微かな流れ、古文書の紙の僅かな膨張……すべてが呼吸のリズムと共鳴している。俺はゆっくりと右手に微光を宿したまま、部屋の中心に意識を集中させる。
(過去の残心と、現在の揺らぎの交差点……)
「……来る……」
脳裏に、断片的な未来映像が浮かんだ。古文書の山の左側が、三秒後にわずかに崩れ始める。意識は明確で、混乱はない。俺の呼吸と微光のリズムは、情報の揺らぎと完全に同期していた。
俺はすぐに複合魔法を補助として展開する。
「風――《微風》! 土――《土の支柱》!」
右手から放たれた微細な風が、崩れかけた古文書をわずかに押し戻し、同時に極小の土の魔力で崩落の中心を支える。三秒後、予知通りに山は崩れ始めたが、俺の制御された力によって方向は右奥へと変わり、大きな崩落は免れた。
「成功……!」ルナさんの声が、静かな部屋に初めての歓喜として響く。
俺は肩で息をし、掌の光を見つめた。恐怖や焦燥に頼らず、意志と呼吸によって未来を読み取り、複合魔法を組み合わせて力を制御できた――それを実感する瞬間だった。
「自分の呼吸と魔力の流れを一致させることで、感情に頼らず《エピタフ》を使える……そして、他の魔法をセンサーとして組み合わせることで、精度が飛躍的に上がる」
ルナさんは近づき、静かに俺の肩に手を置いた。
「アルト。あなたは、自分の力を制御する鍵を見つけたのよ。魔力を制御する唯一の制約は、あなたの精神の安定。呼吸と意志のリズムを常に維持すれば、無意識の連鎖や暴走を防げる」
俺は深く頷く。疲労は深いが、恐怖は希望に変わっていた。俺の心は、無意識の連鎖を断ち切り、時を操る資格を掴むための新たな戦いの始まりを告げていた。
静寂の修行部屋で、俺は再び呼吸の練習を始めた。掌の微光は揺るがず、俺の意思と完全に同期している。これが、意志による《予知》の制御――孤独で苛烈な挑戦の第一歩だった。




