第四十話:癒しの微光
《予知》の制御訓練は、扉の向こうの微細な日常動作を読み取ろうとしたものの、すぐに限界を迎えていた。ギルドの扉の向こうに存在する日常的な出来事だけでは、俺の力はほとんど反応せず、未来予知は失敗の連続だった。やはり、微細な感情の波がなければ、俺の時属性の力は眠ったままなのだ。
「アルト、このまま日常的な動作だけを読み続けても、あなたの力の本質には届かなそうね。感情の波紋の閾値を意図的に下げる必要があるかもしれない」
ルナさんの声は事務的な口調だったが、その視線は俺から一瞬たりとも逸れない。普段は冷静で事務的な彼女だが、その奥底には、俺の成長を案じる深い優しさが隠されていることを、俺は無意識のうちに感じ取っていた。彼女の過去の失敗から生まれた「感情からの独立」という理論を、今、俺が実践する番だった。
「今回は、あなた自身の魔法を使えないかしら?癒しのスキルで微細な感情の揺れを感知し、それをトリガーとして《エピタフ》を発動させるの。大きな恐怖や絶望ではない、小さな不安や緊張、焦燥――その微細な感情を読み取るの」
俺は深く息を吸い、右手に魔力を集中させた。手のひらに展開されるのは、初級癒し魔法――《心の微光》だ。この魔法は対象の感情の揺れを、魔力的な光の波として感じ取り、意識的に脳内に反映させることができる。
(恐怖や絶望という強烈なトリガーに頼らず、微細な感情で未来予知を誘発する……これが、制御への最初の一歩だ)
「まずは私の動きを感じて。私はあなたに実戦に近い緊張感を与える。あなたは光の揺らぎと私の呼吸のリズムを感じ取り、未来の断片を意識的に掴むの」
ルナさんは魔法を使わず、俺の前でゆっくりと歩き始めた。まるで組み手を行うかのように、彼女の存在自体がプレッシャーとなってのしかかる。微妙な呼吸、体重移動、視線の変化――それらは、癒しのスキルで読み取ることのできる微細な感情の波となる。
無表情の中にわずかに宿る緊張、次の一歩への予備動作による焦燥。それらを右手のひらの光が敏感に反応し、俺の意識に届ける。
俺の瞳が細くなり、右手の掌に光が集まった。微光が空気に揺らぎ、わずかな温度の変化や気流の動きと共鳴する。俺の体が魔力を通して情報を読み取り、意識と感覚が一体となる瞬間だった。
(光の揺らぎが、ルナさんの『次の動作』を求めている……!)
「今だ……!」
小さな感情の波が意識的なトリガーとなり、《予知》が発動する。脳内に断片的な未来映像が流れ込み、ルナさんが次に踏み込む瞬間――その軌道が鮮明に浮かんだ。未来の全体像ではなく、一瞬の断片だが、この意識的な発動が重要だった。
俺はすぐに単独魔法を補助として展開する。これは、無闇に《エピタフ》を連続発動させて魔力を消耗させ、他の時魔法の暴発を招くのを防ぐためだ。
「風――《微風》!
光――《光の残像》!」
風魔法で空気の微妙な流れを感じ取り、光魔法で残像を鋭く捉える。未来の断片と現在の情報を複合魔法で組み合わせることで、予知の精度を高める。ルナさんは冷静に距離を詰めてくるが、その無機質な動きの中にも、かすかな緊張や体の準備動作が存在する。それが癒しのスキルによって俺に伝わり、《エピタフ》の意識的な発動に繋がる。
「よくやったわ」
ルナさんの声は静かで、しかし瞳の奥に安堵が滲んでいた。
「微細な感情の波を捉え、それをトリガーとして未来の断片を読み取った。魔力消耗を避けるため、単独魔法で補完し、未来予知を実行に移す。これが、恐怖や絶望といった暴走を誘発するトリガーではなく、あなたの意志で《エピタフ》を使うための制御の第一歩よ」
俺は肩で息をし、汗を拭いながら小さな達成感を味わった。恐怖や絶望によらず、微細な感情の揺れを通じて未来を読む――それが、初めて意識的に《予知》を制御できた瞬間だった。無意識の連鎖の恐怖から、一歩踏み出せた感覚があった。
「うまくいったようね。じゃあ次の課題は、さらに小さな感情、より短い未来を読み取ること。感情の波を作り出すのは、もう運や危機ではない。理性と意思で未来を読み、制御する。それがあなたの《エピタフ》を完全に制御する鍵になる」
俺は深く息を吸い、右手に魔力を集中させた。焦燥と緊張の間で、理性と魔力を駆使し、癒しのスキルで微細な感情を感知しつつ、《予知》を自らの意思で使用する。その第一歩を、俺は確かに踏み出したのだった。
俺の戦いはまだ始まったばかりである。しかし今回の成功は、理性・感情・魔力・意思が初めて一体となった、時属性制御の確かな光明となった。この小さな成功の連鎖こそが、禁忌を断つ道だと信じられた。




