第三十三話 思考加速の真相と激励
戦いの終わった森は、まるで世界から音が消えたみたいに静かだった。
焦げた匂いと湿った土の匂いが混ざり、蒸気が地表にゆらゆら漂っている。その中で、俺は膝から崩れるように座り込んだ。
全身に疲労がまとわりついているのに、頭だけは妙に冴えている。さっき放った《蒸気の破滅》の余韻がまだ抜けていない。
――そして、あの奇妙な感覚。
世界の動きだけが遅くなるのに、俺の思考だけがとんでもない速度で回転していた、あの瞬間。
まるで時間の流れが伸びたようだった。
「……アルト」
肩に触れる手があって、顔を上げる。そこには、息を少しだけ乱したルナが立っていた。
「無事でよかった。本当に……」
その声を聞いた瞬間、さっきまで張り詰めていた神経がふっと緩んだ。
ルナは俺の様子を確かめるみたいにしゃがみ込み、ゆっくりと目線を合わせてくる。
「あなたがいなければ、街は確実に被害を受けていたわ。胸を張りなさい」
「そんな……俺はただ必死で……」
「必死だからこそ、結果が出たのよ」
そう言って、ルナは微笑んだ。その柔らかな笑みだけで、胸に重く沈んでいた不安が少し溶ける。
けれど――どうしても聞きたいことがあった。
「ルナさん……俺、戦ってる最中、変な感覚があって。世界がスローモーションみたいに見えて……」
言葉にすると、急に現実味が増す。
ルナの瞳がゆっくりと揺れた。
驚きじゃない。
迷いでもない。
“知っている人間の目”だ。
「……気づいてしまったのね。アルト」
「気づいた、というか……勝手に、体が……」
「ええ。説明するわね」
ルナは少しだけ息を吸い、いつもの穏やかな声で続けた。
「あなたが感じた現象は、《思考加速》と呼ばれるものよ」
「アクセラ……?」
「時属性……といっても、正式な魔法じゃないわ。“時属性の適性を持つ人間だけが、ごく稀に発現させる初期現象”よ」
初期現象。
魔法というより、本能的な反応に近いのだろうか。
ルナは指を立て、淡々と説明していく。
「《思考加速》は、周囲の時間を操作するわけじゃない。あなた自身の“思考速度だけ”を一時的に上昇させるものなの。だから、外から見れば何も起きていないように見える」
「でも、俺には……」
「世界がゆっくりに見えたでしょう? あなたの思考が速くなったからよ。図書館で高速でページをめくると、内容が一瞬で頭に入るでしょう? あれと同じよ」
言われてみれば、確かにそんな感じだった。
けれど。
「……俺、時属性なんですか?」
尋ねた俺に、ルナははっきりと首を振った。
「今の段階では“まだ断定できない”わ」
「そうなんですか?」
「ええ。時属性は特別で、不完全な発現が多いの。今回の現象は、あなたの生命の危機と極度の集中が偶発的に引き出した“片鱗”にすぎないわ」
つまり――
本当の意味で時属性を扱えるのか、まだ判断できないということだ。
ルナはそっと俺の手を取った。彼女の手は温かくて、少しだけ震えているようにも感じた。
「けれどね、アルト。あなたにはその素質がある。だからこそ……私はあなたを放っておけない」
その言葉は、胸の奥にまっすぐ響いた。
「俺……そんな大層な人間じゃ……」
「あなたがどう思おうと、事実は変わらないわ」
ルナは優しく微笑みながらも、どこか悲しげに目を伏せる。
「時に選ばれるということは、同時に“試される”ということでもあるの。……これは、私もよく知っていることなのだけれど」
その一言には、言外に多くの意味が詰まっていた。
追及しようと思ったが、やめた。
まだ、聞いてはいけない気がしたからだ。
森の木々の隙間から、夕陽が差し込んできた。赤い光がルナの横顔を照らし、まるで炎のように輝いている。
不思議と心が軽い。
あの恐ろしい魔族の影も、街を覆った恐怖も、今は少し遠く感じた。
ルナがいるなら――きっと大丈夫だ。
「ルナさん。……ありがとう。俺、もっと強くなりたい」
「ええ。あなたならできるわ。ゆっくりでいいから、自分を信じて」
彼女はそう言って立ち上がり、俺に手を差し伸べた。
その手を握り返すだけで、胸の奥に小さな灯が灯るような気がした。
俺は立ち上がり、深く息を吐いた。
――時が伸びるあの感覚。
あれが何であれ、逃げずに向き合おう。
未来を変えるために。
そして、守るために。
俺は、また一歩を踏み出した。




