第二十九話:疲弊と援軍
森の境界線――そこは、もはや“森”と呼べる風景ではなかった。泥が飛び、炎が渦を巻き、魔物の咆哮と衝撃音が空気ごと震わせる。
土と血の匂いが混ざり、息をするだけで肺が焼けつきそうだった。
その中心で、僕とシエラさんは黙々と、しかし確かな連携で魔物の群れを押し止めていた。
(……止めるんだ。ここを抜かれたら街が消える)
自分に言い聞かせるように、泥に足を取られながら魔力の制御をさらに強める。
「土・水――《泥濘化》!」
地面がぐずりと沈み、魔物たちの足が取られていく。
その一瞬を逃さず、僕はすぐ次の魔法を叩き込んだ。
「木・闇――《影縛りの茨》!」
影の中から黒い蔦が伸び、泥に沈みかけた魔物の四肢を引きずり、絡みつき、動きを強制的に止めていく。
そこに――
「燃え上がれッ!!」
烈火のような赤い髪を揺らしながら、シエラさんが飛び込んでいった。
炎を纏った大剣が振るわれるたび、視界に閃光が走り、拘束された魔物が次々と焼かれ、倒れていく。
僕は泥の中で踏ん張りながら、連鎖する魔法を繋ぎ続けた。
「水・風――《嵐の静電》!」
空気に混ざる微細な水粒が電気を帯び、空中の魔物が羽ばたきを乱す。
飛びかかろうとする翼竜型が、ビクリと痙攣して地面へ落下した瞬間――
「遅ぇ!」
シエラさんの大剣が赤い軌跡を描き、その魔物を斬り裂いた。
「坊主、足止めは完璧だ! その調子で行け!」
荒事に慣れた豪快な声が、今の僕には何よりの支えだった。
だが――身体は正直だ。無限の魔力に反して、肉体と精神は確実に限界へ近づいている。
足は泥濘で滑り、指先は痙攣し、額から流れる汗が視界に入りそうになる。
呼吸が荒れ、胸が痛い。
精密な制御を維持し続けるせいで、頭が割れそうだった。
(……それでも止められない。止めた瞬間に街が死ぬんだ)
僕は震えそうになる手を握り、もう一度、魔法陣を頭の中で描いた。
「炎・風――《火炎旋風》!」
赤い旋風が巻き上がり、シエラさんの周囲を熱風で守るように広がる。
魔物たちは熱に怯み、突進の速度が鈍っていく。
(……あと、ほんの少し……!)
そう思った矢先――シエラさんの剣先が、わずかに鈍った気がした。
彼女の肩が上下し、呼吸が荒くなっている。
「はぁ……っ、はぁ……っ……くそ、数が減らねぇ……!」
魔物は止まらない。
僕が拘束しても、切っても、倒しても、奥から次々と湧いて出る。
森が“押し寄せる黒い波”にでもなっているかのようだった。
(……だめだ。シエラさんも限界だ。僕も――)
膝が沈みかけたその時。
――ドドドドッ。
森の奥から、規則的な足音が響いた。
魔物の足音とは違う、人の足音。
整った鼓動のように地面を揺らし、複数の声が交錯する。
「エルトリア支援隊! ダンジョン攻略組より、応援に来た!」
その声は、まるで天から降る水のように、僕の乾いた胸を潤した。
「……援軍だ……!」
喉からこぼれた声は、震えていた。
限界を越えかけた腕と脚が、まるで生き返るように軽く感じられた。
シエラさんも剣を握り直し、疲労の色が一気に消えた。
「来やがった! 坊主、あとひと押しだ! ここで踏ん張るぞ!」
「はい……ッ!」
僕は泥を蹴り、再び魔法を展開した。
「土・錬金――《鋼鉄の壁》!」
崩れかけていた前線に、巨大な鋼鉄の壁が再び立ち上がる。
森から飛び出した魔物が衝突し、空気が震えた。
「これで……少しは……!」
呼吸が荒くても、立ち続けることができた。
援軍が来た。
たったそれだけで、重く沈みかけた心が確かに支えられる。
シエラさんが炎の剣を振るい、援軍の冒険者たちが側面から突入する。
戦局が一気に変わるのがわかった。
(守れる……この街は、まだ守れる……!)
僕は泥と血と炎の中で、もう一度だけ拳を握った。
「終わらせない……まだ、戦える……!」
森の奥で光る援軍の松明。
その光を見つめながら、僕は再び、魔法の陣式を描き始めた。
――戦いは、まだ終わらない。
でも、確かに未来への一歩は、この瞬間に刻まれた。




