第二十話:森の勝利と次なる決意
グリムファングとの死闘を終えたあと、僕はすぐには足が動かなかった。全身の力が抜けて地面に腰を下ろし、近くの古木の幹に背中を預ける。大きく息を吐き出した瞬間、ようやく「生きている」という実感がじわじわと湧き上がってきた。
手袋越しに右手の甲を撫でると、魔力を大量に制御したあとの、じんわりとした熱がまだ残っている。魔力そのものが減っていないのはありがたいけれど、そのぶん制御にかかる負荷が肉体へ跳ね返ってくるのだと、今回の戦いで強く思い知った。
「……ふぅ。危なかった」
そう呟くと、さっきまでの戦いが脳裏に蘇った。獣臭をまとわせ、重い足音を響かせ迫ってくる巨大な影。四足獣型の魔物――グリムファング。コボルトなんて比較にならない獰猛さ。あの突進力は、もし直撃していたら、僕の身体は粉々になっていたかもしれない。
けれど、僕は生きている。初級魔法だけで、なんとか生き延びた。
だからこそ、今は一瞬一瞬を細かく分析する必要がある――そう思い、呼吸を整えながら頭の中で戦闘の流れを順番に追っていった。
まず最初に使ったのは、土と錬金を組み合わせた《鋼鉄の壁》だった。
(あれが無かったら終わってた……)
ただの土壁では、グリムファングの突進力には到底耐えられない。だから僕は、錬金魔法で土の表面だけを「硬質化」させた。初級錬金魔法の強みは、物質の構造を一時的に補助する能力だ。破壊とか強化といった派手なことはできないけれど、必要最低限の効果をピンポイントで与えるのなら十分だった。
実際、壁は破壊されかけたものの、突進の勢いを削ぐには十分だった。あの一瞬があったからこそ、僕は次の対処法を考える余裕を得られた。
そして、次に使ったのが――火と風の複合魔法。《火炎旋風》。
掌に生じさせた炎を、風の渦で包み込み、熱と旋回速度を最大まで引き上げる。初級魔法同士の組み合わせとは思えない威力が出せたのは、僕が八系統の魔法を全て扱えるからこその芸当だと思う。ただし、扱えるとはいっても初級魔法だけだし、複合魔法の制御は本当に難しい。魔力が減らないぶん、制御ミスのリスクが相対的に重くなる。
それでも、フレイム・ストームは決定打として十分すぎるほどの効果をあげた。グリムファングの全身の毛皮を焼き、視界と動きを奪い、追撃の力を削ぎ落とした。
「初級魔法でも……工夫さえすれば、戦えるんだよな」
そう呟いた瞬間、胸の奥からじわっと自信のようなものが湧き上がってきた。ただし、それは驕りではない。むしろ、危うい橋を渡ったあとの慎重さのほうが強い。
(いや、もっと精密に制御しないと危険だ。火力を抑えたバージョンも作らないと)
魔物を倒すためだけじゃなく、逃がすためにも使える魔法を目指すべきだ。過度の殺傷力は、僕の目的とは違う方向へ行ってしまう。
身体の疲労は、肉体というより頭脳の酷使から来ていた。複合魔法はただ魔力を流すだけではなく、属性同士の出力バランス、効果範囲、密度、回転速度など、複数の要素を同時に監視しなければ暴走しかねない。八系統の魔法を同時に扱えるという大きな利点は、裏を返せば「同時に八つの挙動を監視する必要がある」という地獄のような作業でもあった。
「魔力が無限でも、身体と頭が限界じゃ意味がない……」
僕は深く息を吐きながら、初級の癒し魔法を使って筋肉の緊張をほぐし、血行を整える。すると、疲労が少しずつ軽くなっていった。魔力が減らないという特性は、戦闘以外のこういう場面でもとても便利だ。
ひと息ついたところで、僕は足元に視線を向ける。
さっきの戦いの余韻がまだ地面に残っていた。グリムファングが突進して抉れた跡、焦げた土、燃え残った草木。異様な光景だ。それを見ていたら、自分が強くなり始めていることを、否応なく実感させられた。
けれど、同時に思う。
(僕はまだまだだ。怖かったし、判断も完璧じゃなかった。もっと研ぎ澄ませないと)
初級魔法しか使えないという弱点は、一生変わらない。だからこそ、工夫と知恵が必要だ。魔力が減らないという特異体質も、制御次第では命取りになりかねない。
この世界では、僕の力は必ずしも歓迎されるとは限らない。だから八属性を扱えることは絶対に隠す。複合魔法も同様だ。あくまで初級魔法を工夫しただけ――そう見えるようにしなければならない。
「……よし、行こう」
重い身体を立ち上がらせると、僕は小さく首を回し、固まった肩をほぐした。まだ採取すべきトリア草は残っている。グリムファングのような危険な魔物と出会う可能性もある。だが、恐怖だけで足がすくむことはもうなかった。
風魔法で足跡を消し、魔物が匂いを辿れないよう周囲の空気を撹拌しつつ、慎重に森の奥へと歩みを進める。
一歩踏み出すごとに、さっきまで感じていた恐怖は薄れ、代わりに静かで確かな決意だけが残った。僕はまだ弱い。でも、弱いなりに戦える道がある。工夫して、考えて、積み重ねていけば、きっともっと先へ進める。
それが、僕に与えられた力の価値なのだと、今ようやく理解できた。
「慎重に、確実に。一歩ずつだ」
呟いた声は、森の奥へと消えていく。
手袋の下の青い紋章が、脈を打つたびに淡い熱を宿す。それはまるで、小さな灯火のようだった。まだ弱くても、消えない光。これが僕の、生き抜くための唯一の武器であり、道標だ。
こうして僕は、戦いの余韻を胸に抱きながら、次の一歩へと向かっていった。森の影は何を見せるのかはわからない。でも、もう怯えるだけの子供ではない。初級魔法と知恵、工夫で切り開く未来が、静かに――確かに広がり始めていた。




