第十九話:初級魔法と火炎旋風
森の奥へと踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気が肌にまとわりついた。今日は前回より少し難易度の高い採取依頼だ。だが、胸の奥にはあのときのような震えるほどの恐怖はなかった。
――工夫すれば戦える。
そんな、ほんの小さな自信が芽生えたからだ。
もちろん油断はできない。むしろ、前回の経験が、ぼんやり歩く危険を教えてくれた。俺は風魔法で周囲の微かな気流の乱れを探り、土の気配、森の生き物たちの動きを読み取りながら、慎重に森を進んだ。
しかし、森という場所は、どれほど警戒しても想定外が起きる。
――ドンッ。
地面を蹴る重い音。前回のコボルトのかすかな足音とは比べ物にならない。空気を震わせ、心臓に直接響くような強い衝撃だった。
(まずい……速い!)
反射的に振り返った俺の目に飛び込んできたのは、灰褐色の獣。
いや、“魔物”だった。
四足を大きく広げ、しなやかな筋肉を躍動させながら地面を蹴り、鋭い牙を剥き出しにした肉食獣――《グリムファング》。
中級冒険者でさえ油断すれば喰い殺される危険魔物だ。
(本気で…死ぬかもしれない!)
体が震えた。しかし、足は逃げなかった。恐怖よりも前に、頭が動いていた。
「……土っ!」
まず左手で地面を押し上げる。土魔法で作り出した壁は、胸の高さまで瞬時に隆起した。だが、ただの土壁では意味がない。こいつの突進力なら、一撃で吹き飛ばされる。
「錬金……硬化!」
土壁の表面に魔力を通し、金属の組成へ“寄せる”。
初級錬金魔法の応用だ。
バチッと空気が震え、壁は黒く変色し、鉄と石の中間のような質感に変わった。
――《鋼鉄の壁》。
「来いっ……!」
その瞬間、グリムファングの巨体が土煙を撒き散らしながら突っ込んできた。
ドォオォンッ!!
凄まじい衝突音。鋭い牙がアイアン・ウォールに食い込み、ひびが走る。壁越しでも圧力が伝わり、腕が震える。
だが、止めた。
初級魔法の組み合わせで、確かに止めた。
(防げた……! なら次は――)
「火っ……そして風!」
右手に炎を灯し、すぐに風魔法を重ねて螺旋状に流し込む。
風は炎を包み込み、渦を生み、熱と炎が一点に集束していく。
ゴォォッ――!
まるで呼吸しているように膨らむ炎の渦。
初級魔法同士の複合、錬金的思考で運動エネルギーを調整して作り出した、俺だけの“中級未満初級以上”の技。
――《火炎旋風》。
「喰らえっ!」
アイアン・ウォールに食らいつく魔物に向け、渦巻く炎を叩きつけた。
轟、と空気が焼ける音。
炎の竜巻がグリムファングの体にまとわりつき、一気に燃え広がる。
ギャアアアアッ!!
硬い毛皮が焼け、魔物の悲鳴が森に響く。グリムファングは慌てて壁から離れようと暴れるが、火炎旋風は離れた瞬間、風の流れを変えて追尾するように熱を集中させた。
「よし……距離は維持!」
俺は後退しながら、土魔法で壁を補強し続ける。
風と火の渦は魔物の動きを鈍らせ続け、焦げた毛皮の匂いが鼻をついた。
(前回の戦闘とは比べ物にならない……でも、これなら――)
数分の攻防。
やがて、グリムファングの動きが止まった。
ぐったりと地面に倒れこみ、焦げた体を震わせている。
もう戦闘力は残っていない。
「はぁ……はぁ……っ……」
膝が震え、ようやく自分が極限状態だったことに気づく。
だが、倒れ込まずに済んだ。
勝ったからだ。
初級魔法だけでも――いや、初級魔法“だからこそ”できる組み合わせがある。
「俺の力は……これなんだな……」
火、水、土、風。それぞれは初級でも、組み合わせれば別物になる。
八系統を扱えるという秘密は胸の奥にしまっておける。
だが、その可能性だけは、誰にも奪えない。
(この世界では誰もが一つ、稀に二つの属性しか持たない。だから工夫しようがない。でも俺は――できる。)
死にかけながらも、この戦いで俺は確かに“見つけた”。
――八系統の“複合魔法”という、俺だけの最強の武器を。
深呼吸し、アイアン・ウォールを崩し、火炎旋風を消す。
燃えた草の匂いの中で、俺はただ一人、静かに立ち尽くす。
初級でも、最弱と笑われる威力でも、工夫し続ければ――。
「……俺は、生き残れる」
その確信が胸に灯った。
焦げた地面を見下ろしながら、俺は小さく拳を握った。




