第十七話:戦闘後の反省と学び
コボルトとの初めての戦闘を終えたあと、僕は森の小道脇にある苔むした岩へそっと腰を下ろした。安堵が一瞬で抜けたせいか、さっきまで張っていた全身の緊張が急にほどけ、体が小刻みに震え始める。心臓はまだ、戦闘の最中と同じ速度でドクドクと打ち続けていた。
「……はぁ……」
大きく息を吐くと、胸の奥がじん、と熱くなる。無事だったという事実が、ゆっくりと現実味を帯びてきて、ようやく「生き延びた」ことを実感できた。
破れた左腕の袖を捲り、初級癒し魔法で止血した傷を確認する。赤く薄い線が残っているが、痛みはほとんどない。大した傷ではなかったはずなのに、その傷跡は、今さっき味わったあの鋭い恐怖を鮮明に思い出させた。
右手を握りしめる。手袋越しに、紋章がじんわりと熱を帯びている。魔法を立て続けに使ったあとにいつも感じる、微かな余韻だ。
「……怖かったな」
素直な言葉が口から漏れた。勝てたらしい勝ちはした。でも、あのとき、コボルトがまっすぐこちらに突っ込んできた瞬間の本能的な恐怖は、今でも体に貼りついたままだ。魔法を上手く制御できなかった悔しさも混じり、胸の奥はまだざわついている。
しばらく深呼吸を続けていると、いつもの癖が頭をもたげてきた。僕の悪い癖――いや、良い癖でもある、戦闘後の「事後解析」だ。前世でシステムエンジニアをしていたとき、原因究明と改善策の洗い出しを繰り返していた習慣が、こういうとき自然と働く。
「……振り返らなきゃ。あのままじゃ、次も危ない」
まずは敗因から整理する。今回の戦闘は、運良く勝てただけ。実力で圧倒したわけじゃない。
一番の反省は、初動の判断ミスだ。
威嚇のために火魔法を使ったけれど、あの小さな火はコボルトの注意を引くだけで、脅しにはならなかった。火魔法は初級しか使えないんだから、炎の壁を作ったり、敵を焼き払ったりなんてことはできない。僕の火魔法は、焚き火の代わりにしかならないくらい弱い。
(本来の役割は……そう、環境への干渉だ)
直接攻撃じゃなく、視界を暗くしたり、蒸気を作ったり、小さな変化を生み出すこと。僕の火魔法でできるのはその程度なんだから、開幕で正面からぶつけるのは悪手だった。
「視界を奪うなら、風魔法のほうが良かったな……」
コボルトの鼻先に風をぶつけて、まず動きを止めるべきだった。そこから土魔法で足元を不安定にし、距離を稼いで安全圏に逃げる。これが最善手だ。
今回の戦闘を、頭の中でフローチャートのように並べる。
まず防御。
傷を負った直後に癒し魔法で止血して痛みを軽減。
次に距離を取るために、土魔法で小さな障害物を作り、足止め。
攪乱に移り、水魔法で刺激のある水滴を飛ばして注意を逸らし、
火魔法をほんの少し重ねて、視界を乱す蒸気を作った。
最後は、全てのタイミングが奇跡的に揃って、風魔法の突風がコボルトの横側に当たり、バランスを崩してくれた。あれは正直、運が良かっただけだ。相手が一瞬でも踏み込みの角度を変えていたら、突風は外れていた。
(僕は、たまたま勝てただけ……)
だが、同時にひとつだけ確かなものもあった。
初級魔法でも、八系統を組み合わせれば、ちゃんと戦える。
一つ一つは弱くても、足し算ではなく掛け算のように、連携で効果を増幅させられる。コボルトに勝ったのは、魔力の強さでも、攻撃の威力でもなく、工夫と制御だった。
「……これが、僕に与えられた力なんだな」
まだ不器用で、制御も粗くて、精度も低い。それでも、やりよう次第で強さになる。
今回の戦闘では焦りのせいで魔力を無駄に使いすぎた。特に風魔法の突風はあまりにも力を込めすぎてしまった。魔力が無限だとしても、制御が荒ければ敵にも自分にも危険が及ぶ。あれでは、狙っただけで別方向に吹き飛ばす可能性もある。
(もっと冷静になれれば……攻撃せずに逃がすだけで十分だったな)
森の中で、ひとり静かに反省を続けながら、自然と次の課題が浮かんできた。
制御を磨くこと。
精度を上げること。
そして、判断力を鍛えること。
薬草採取と同じだ。敵を倒そうとするんじゃなく、環境を把握し、危険を避け、安全に仕事を完了させる。そのための魔法の運用。それこそが、僕に合った戦い方だ。
「次はもっと上手くやる……無駄な魔力は使わずに、確実に」
小さく呟くと、不思議と胸の奥が温かくなる。恐怖も悔しさもある。それでも、ちゃんと次に繋がる何かを得られた気がした。
これが、初級魔法しか使えない僕の冒険者としての第一歩なんだ。
立ち上がり、ゆっくりと手袋を引き上げる。右手の紋章はまだ微かに熱く、内側で脈のように震えていた。まるで僕の成長を静かに見守っているみたいに。
街へ戻れば、ギルドでまた笑われるかもしれない。ルナにも冷たい目で見られるだろう。でも、それでいい。今日の経験は、僕の中では確かな価値になっている。
「よし……帰ろう」
小道の先に向かって歩き出す。森の静寂を背に、僕は冒険者として進むための新しい決意を胸に抱いた。




