第十五話:森を抜けて街へ帰還
森の奥での採取を終え、僕の小さな革袋は、依頼で求められていた量を軽く上回るトリア草で満たされていた。手応えは十分。フォーンとの遭遇にも冷静に対処できたし、誰も傷つくことなく仕事を終えられたことが、胸の奥を静かに温めていた。初級魔法だけでも、工夫次第でやれる。そう思えるだけの結果を出せた気がする。
帰り道は来た時と同じで、森の静かな空気が続いていた。頭上の木々は相変わらず陽光を遮り、森全体に薄暗い陰を落としている。けれど行きの時とは違って、僕の足取りには少しだけ余裕が生まれていた。危険な魔物が潜む場所なのに、不思議と恐れより慎重さが勝っていた。
(これで…誰にも迷惑をかけずに、ちゃんと結果を出せた)
前世のころから、僕の願いは「他人に迷惑をかけずに生きること」だった。その気持ちは転生しても変わらない。むしろこの世界の方が、自分の力の扱いに気を配る必要がある分、より強く意識するようになった。
歩いていると、頭上の枝に熟した小さな木の実がひっかかっているのを見つけた。この実は森の獣が好むもので、放置すると魔物を呼ぶ餌にもなるらしい。誰かが通ることを考えると、少し気になった。
僕は右手を軽くかざす。
「……初級の風魔法」
ふわりと指先から細い風が生まれ、実を狙ってそっと触れる。枝が小さく揺れ、コトリと音を立てて実が落ちた。手を汚すこともなく、ほとんど音も出さずに処理できる。便利だな、とつくづく思う。
森の空気が少しずつ変化していくにつれて、鳥の声が増え、葉擦れの音も大きくなってきた。そのせいで、初級の気配察知は少し難しくなる。だけど焦らずに、注意深く歩くよう心がけた。必要があれば、初級の光魔法で足元を短く照らす。ほんの一瞬だけ光を放つだけでも、落ち葉に紛れた穴や、滑りやすい苔を見つけるのには十分だ。
「……よし」
自分の安全を確認しながら進むと、今度は細い小川が道を遮った。行きでも見た場所だが、帰りの方が岩が濡れていて滑りやすいように見える。ここで転んで怪我でもしたら、せっかくの成果が台無しになる。
僕は小川の前にしゃがみ、初級の水魔法をそっと流し込んだ。水流の一部にほんの少し圧力をかけて、岩の上の余分な水を押しのける。ほんの数秒だけ、岩の表面が乾き、足場として十分に使えるようになった。
「助かった…」
息を整えて渡りきると、そこからはもう森の出口まであと少しだ。木々が疎らになり、遠くの光がやわらかく差し込んでくる。外の明るさが増すたびに、気持ちも軽くなっていった。
森の出口に立った瞬間、身体から緊張がスッと抜けていった。深呼吸をひとつすると、胸いっぱいに冷たい風が入り込む。その心地よさに、思わず笑みがこぼれた。
「これなら…初級魔法でも十分やっていける」
自分の中に芽生えた確信を噛みしめながら、街へと続く道を歩き始める。遠くに小さく街の喧騒が聞こえ、それが今はなんだか頼もしく感じた。
自然と、ギルドで浴びた冷たい視線のことが思い出された。ルナのあの突き刺すような目つきや、嘲笑混じりの空気。あの時は胸が痛んだけれど、今は少しだけ違う感情がある。
(今日のことは、誰にも言わない。言ったところで信じてもらえるとは思えないし…)
それでも、この小さな成功は、確かに僕自身のものだ。誰に認められなくても、積み重ねていけば、いつか自由に生きられる未来につながるはずだ。
右手の手袋をそっと握る。僕の秘密を隠すための大事なもの。誰にも見せられないけれど、僕の力は確かにここにある。
「……よし。帰ろう」
小さく呟いて、僕は街へ歩き出した。冒険者としての最初の一歩は、派手な戦いも大きな勝利もなかった。でも、僕にとっては確かな前進だった。初級魔法だけで、工夫を凝らし、自分の力を信じて進んだ先に掴んだ、小さな自信。
これが、僕の冒険の始まりだ。




