第十三話:森の奥での小さな発見
森の入口を慎重に越えた僕は、湿った土の感触を靴底に感じながら、ゆっくりと奥へと進んでいった。木々が密集しているせいで、昼間だというのに地面まで届く光はほとんどない。落ち葉に混ざる苔の匂いが静かに鼻をくすぐり、森の空気はひんやりとして、街中とはまるで別世界だった。
僕は歩くたびに、足元の土に初級の土魔法をそっと浸透させる。柔らかさ、湿り気、落ち葉の下にある石や根の位置まで、魔法を通して伝わってくる。普通の冒険者が見れば、明らかに歩くスピードが遅いだろう。でも、この慎重さこそが僕の武器だ。
(湿度は十分。日光が少し差し込んでる……この感じ、トリア草の好む環境に近い)
右手の手袋の下で、紋章の微かな熱が感じられた。八属性すべてを使えるといっても、どれも初級魔法。本来なら頼りないはずだ。でも「使い方」さえ間違えなければ、この森での作業には十分だった。
僕は立ち止まり、風魔法をひっそりと放つ。掌から流れ出したごく弱い風は、落ち葉をほんの少し揺らしながら周囲へ拡散する。この風は、僕にとって「気配を探るための目」のようなものだ。もし魔物や動物が近くにいれば、空気の流れが不自然に乱れるはず。
けれど、乱れはどこにもなかった。
(よし……今のところ、危険はない)
胸の奥で、ほっと息がこぼれた。
森の奥に進むほどに、光はさらに弱くなる。その分、風の流れや土の状態から得られる情報の価値は大きくなる。僕は慎重に、音を立てないように足を運び、枝や岩を避けて進んだ。こういう積み重ねが、結局は自分を守ってくれる。
やがて、前方の木々がわずかに途切れ、優しい光が地面に落ちる場所に辿り着いた。まるで森が息をつくような静かな空間。その中心に――僕が探していたものがあった。
「……見つけた」
深緑色の葉が柔らかく重なり合い、茎は適度に太く、水分をしっかり含んでいる。トリア草の群生地だ。光が少し差し込み、湿度が高い――薬効が最も高い状態で育つ絶好の環境だ。
けれど、採取を急ぐ前に、僕はまず安全確認を徹底する。光魔法をそっと展開し、葉の表面に残る露の形や輝きから、草の状態を読み取る。その後、風魔法をほんのわずかに流して、葉が揺れる角度を観察。茎の硬さや周囲の土の湿り気まで把握できる。
(これなら……傷つけずに摘める)
僕はしゃがみ込み、土魔法で根を包む土をほんの少しだけ柔らかくした。刃物を使うよりも安全で、草に負担もかからない。ゆっくりと指を伸ばし、トリア草をつまむ。
――サクリ。
小さく静かな音がして、一本目の収穫が成功した。慎重に小袋へ入れると、胸の中にじんわりとした達成感が生まれた。
(よし……あと四十九本)
作業を続けながら、僕は魔法の制御をひとつひとつ確認していく。
風魔法で周囲の空気の揺れを観察し、小動物の気配がないかを確かめる。
土魔法で地面の状態を把握し、踏んではいけない根や岩を避ける。
光魔法で葉の状態を映し出し、傷がついていないものだけを選ぶ。
こうして見ると、初級魔法でも十分すぎるほど役に立っている。
(戦うための魔法じゃなくても、使いようによっては頼れる力だ)
そう思えた瞬間、胸の奥に少しだけ自信が芽生えた。
採取を続けるうちに、僕はこの森の空気の流れや光の質に自然と意識を向けていた。風の動きがわずかに変われば、小鳥が近くの枝にとまった証拠。土の湿り気が急に増えれば、小さな沼地が近い。魔法と感覚がうまく噛み合い、まるで森が僕に語りかけてくるようだった。
作業を続けるうちに、袋の中のトリア草は徐々に増えていく。まだ全体の半分にも満たないけれど、採取は順調だった。
(これで、きっと……大丈夫だ)
ギルドで浴びた嘲笑の声が、頭の中でふと蘇る。
『火を出すにも豆粒、水を出すにも一滴の初級魔法しか使えねぇって? 器用貧乏の典型だな!』
だけど。
(――そんな言葉、気にするだけ無駄だ)
僕は自分の胸にそっと手を当てて、深呼吸をした。どれだけ笑われても、馬鹿にされても、この手の魔法は僕を裏切ったことがない。強大な力はないけれど、丁寧に扱えば、誰よりも細やかに動かせる。
慎重に、確実に。
派手な戦いはできなくても、僕なりのやり方で、依頼を成功させればいい。
(そのために……まずは目の前の一本を確実に)
気持ちを切り替え、次の株へと手を伸ばした。
森の風が静かに吹き抜け、葉が優しく揺れる。
光は柔らかく地面に落ち、僕の影を淡く伸ばす。
――十三歳の僕が、冒険者として歩き始める最初の一歩。
それは、華やかな戦闘でも大胆な探索でもなく、小さな薬草を丁寧に摘み取るという、地味で慎重な仕事だった。
けれど、
(きっとこれが……僕の“始まり”なんだろう)
そう思えるほど、この森の作業は心を落ち着かせ、確かな手応えを与えてくれた。
僕は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「よし……続けよう」
森の静寂の中、僕の声は葉に吸われるように消えていった。




