第十二話:森の入口、初級魔法での慎重な探索
エルトリアの街外れに広がる森へ向かう道は、昼下がりの陽光を浴びて暖かく輝いていた。石畳は途中で途切れ、そこから先は土の道へと変わる。荷馬車の車輪が刻んだ轍が続き、ところどころに小石が転がっている。
俺は依頼書を胸元で折り畳みながら歩いた。初めて受けた冒険者としての依頼――薬草『トリア草』を五十本採取する、Fランクでは最も基本的な仕事だ。
ギルドでは散々笑われたけれど、だからと言って気持ちが折れたわけじゃない。
(……初級魔法だけで、八系統全部。しかも魔力量が減らない。けれど、それを絶対に知られてはいけない)
この力は俺の強さじゃない。神様からの「変わった加護」に過ぎない。隠し続けなければ、大変なことになる。そんな予感が、村を出る前からずっと胸の奥に根を張っていた。
街灯が途切れ、視界の先に深い緑が見えてくる。
エルトリア外縁の森――地図にはほとんど描かれていないけれど、街の人々にとっては馴染み深い採取地だ。初心者の冒険者が最初に訪れる場所としても、よく知られている。
(よし……ここからが本当のスタートだ)
森の入口に立ち止まり、俺は深く息を吸い込んだ。土の匂いと湿った苔の香り、木々が吐き出す静かな息吹が、胸の奥まで染みわたっていく。エルトリアの街とはまったく違う、柔らかな空気だった。
森は、昼だというのに薄暗い。枝葉が重なって、太陽の光をほとんど遮ってしまうからだ。地面には落ち葉が積もり、踏みしめるとふかふかと沈む。鳥のさえずりは遠く、虫の羽音もほとんど聞こえない。
静かだけれど、油断は絶対にできない。
(まずは……周囲の安全確認からだ)
俺は右手にそっと意識を集中した。
「風属性……」
正式な呪文なんてものはない。初級の風魔法を“そういう使い方”に応用しているだけだ。けれど、紋章から滲む青い光は、ずっと俺に応えてくれてきた。
手袋の下で紋章が微かに熱を帯び、さらりと細い風が生まれる。落ち葉が少し舞い、周囲の空気がふわりと揺れる。
(この程度の動きなら、誰も魔法だと思わないし……森の魔物も反応しない)
風は俺の周囲に広がり、木の幹や地面に触れ、わずかな反射を返してくる。魔物や人間がいれば、もっと乱れるはずだ。しかし、風は優しく一定のまま。
(……大丈夫。近くに危険な気配はない)
心の中でそっと頷き、俺は森の中へ踏み出した。
森の空気は冷たい。さっきまで街で感じていた緊張が、逆にほぐれていくように思えた。柔らかい土を踏んで歩きながら、俺は次の魔法へと意識を切り替える。
(トリア草は湿った場所に生えるってギルドの説明にあったし……水魔法を、ほんの少しだけ)
「水属性……」
水の魔力を極小だけ流し、空気中や地面の水分に反応させる。初級魔法だから精度は低いし、普通はただの水滴を作るだけの力。でも、工夫すれば立派な“湿度探知”になる。
右手に広がる微弱な反応が、森の奥のほうへと誘うように広がっていく。
(あっちが湿ってる……ということは、トリア草もあっちにあるだろう)
森の中は静かだ。落ち葉を踏む音が、自分の足音だけをはっきり響かせる。
時折、木と木の間から光が差し込み、そこだけ地面が淡く照らされる。トリア草は日陰を好むけれど、まったく光がない場所には育たない。光と影の境目を探すため、俺は木漏れ日を追うように歩いていった。
やがて、小さな開けた場所に辿り着く。湿った地面に苔が生え、木漏れ日が柔らかく落ちている。
(あ……あれだ。きっと)
背の低い草が群生していた。葉の縁が波打ち、触るとすこし冷たく、根元がすこしくびれている――教わった特徴と同じだった。
俺は膝をつき、手袋越しにそっと触れた。
(これ、間違いない……トリア草だ)
無造作に引き抜けば根がちぎれてしまう。だから土魔法を少しだけ使って、根の周囲の土を柔らかくほぐす。
「土属性……」
初級魔法の“ほんのひとひら”だけ発動する。目で見てもわからないほどの細い力だ。それでも根元の土は少し緩み、トリア草はスッと簡単に抜けた。
(よし……一つ)
採取した草を袋に入れながら、俺はゆっくりと周囲を見渡した。まだまだここには生えている。
(焦らなくていい。魔法を派手に使えば危険を呼ぶ。ゆっくり、丁寧に……)
きっと普通の冒険者なら、こんな手間をかけたりしない。もっと勢いよく土を掘り返し、手早く抜いていくのだろう。でも、俺にとってはこの「慎重さ」こそ、冒険者として生き残るための最重要な武器だった。
風で周囲の気配を探り、湿度で生息地を読み、土の魔法で根を痛めないように採取する。初級魔法しか使えない俺だからこそのやり方。
採取を続けながら、ふと、村の両親の顔が思い浮かぶ。
(父さん、母さん……俺、本当に冒険者になれたよ)
胸が少しだけ熱くなる。この森の静けさは、俺がここまで来られた道のりを、ゆっくりと振り返らせてくれているようだった。
五本、十本、二十本――順調に数が増えていく。
そのたびに、風を流し、気配を探り、安全を確認する。戦わない代わりに、俺は徹底的に「察知」する。これが俺の生存戦略であり、魔法の使い方だった。
森の奥へ進むと、木々の間から柔らかな光が差し込んでいた。そこだけ少し暖かく、苔の匂いも濃い。
(あと十本くらいかな……よし、最後まで気を抜かずに行こう)
俺はまた膝をつき、慎重に土をほぐす。地味で、派手さの欠片もない作業だ。でも、それがなぜか心地よかった。
さまざまな魔法が世界に溢れ、人々はそれを競い合うように使う。でも、俺に与えられたものは「威力のない初級魔法」だけだ。
だからこそ――工夫すればいい。
使い方次第で、初級魔法でも世界を渡っていける。
(よし、五十本……!)
袋の重さと、自分の胸の奥に広がる達成感が、じんわりと重なっていく。
太陽はまだ高く、森の中には柔らかな風が吹いていた。今日の依頼は、これで完了。誰にも見せる必要のない、俺だけの「初級魔法による探索」が、確かに成功したのだ。
(あとは街に戻って、ルナさんに報告して……)
森の出口を振り返ると、それは大きな世界への入口のように思えた。
初級魔法だけで、どこまで行けるかはわからない。でも、この森での小さな成功が、俺の背中を優しく押してくれた。
(焦らなくていい。少しずつ、歩いて行けばいい)
俺は袋を抱えて、ゆっくりと森の外へ歩き始めた。




