アレックス Side1
「姫よ……我らは姫を歓迎する。三人の王子は、誰も結婚してはいない。よって配偶者はアレクサンダーに限らず、姫が選んでよい。こちらの大きいのが第一王子で、小柄なのが第三王子だ。どうだ」
先王の言葉に驚愕する。爺様……あなただけは、俺の気持ちがわかると……いや、わかるからこそなのか。
他の選択肢がある中で、あえて俺を選んでくれるなんて、そんな事……あるわけない。
正直他の兄弟を選んでも仕方ないと……その方がフローラにとって幸せなら……
嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだ…………
あの瞬間に、俺の頭の中では様々な思いや考えが一瞬にして、嵐のように吹き荒れる。
そのくせ、身体はフローラを失うかもしれない恐怖で震えて動く事もままならない。
「私はアレクサンダー様がいいです」
信じられないフローラの一言で、辺りは水を打ったような静寂に包まれた。
その数秒後、大歓声と共に──山の向こうから、朝日が差し込んでくるのが見えた。
永遠の様な暗闇に差し込む光が──俺だけでなく、このバルバドスに輝いた瞬間だった。
俺は声もなく、ただフローラを抱きしめる。両目から溢れる涙を止める事は出来ないままに。
フローラは最初から全く私の容姿を気にする事なく、ただの王子として……いや、ただ一人の人間として接してくれていた。
そうか……普通に接するというのは、こういう感じなんだなと、しみじみ思った。
初対面であれば恐怖で叫ばれる事も多いし、何度か顔を合わせても皆一様に顔色が悪い。
目が合えば目の奥に浮かぶ恐怖心も、無意識であろうが確認される黒髪も、人の視線がどこを見ているかなんてすぐにわかる。
この魔物の色を持つ俺を、ここまで普通に接する人は祖父以外では初めてかもしれない。
嬉しい。フローラの前ではただの普通の男でいられるのだ。
そっと袖を掴んできたり、手を握ってきたりこの子は俺をどうしたいんだ。
袖と共に俺の心も鷲掴みにされた気がする。
この子が欲しい。
それから、まさかのフローラから嫁に迎えてほしいと懇願されるなんて……願ったり叶ったりだ。年の差はあれど、今までを考えればいくらでも待てる。
叔父と共にあらゆる手段を講じて、フローラを迎え入れるべく働く毎日だった。
国内の魔物の討伐を意図的にキュプラ側に逃げ込み易くしてみたり、そちらに追いやったりと……フローラに話せない事もたくさんあるが、話すつもりもない。とにかく交渉も上手くいき、フローラと食料支援を手に入れた。
この数年は手紙のやり取りだけだが、交流を深めてきた。
毒や暗殺、嫌がらせの類に関しても、直接は関与出来ないため、解毒薬や体力回復薬なども使者を経由して送る。
それに偵察部隊を数人送り込んで、身の回りの安全を確保した。
お礼に、と乳母が定期的に成長した絵姿を送ってくれる様になったのは嬉しい誤算だ。これは純粋にありがたかった。まだ子供のフローラがどんどん成長していく姿が見られる。
もちろん当初、子供相手に恋情があった訳ではない。
でも俺を普通の人としてしか見ないフローラには、特別な感情があったのは確かだった。
手紙のやり取りも、心温まるものばかりだ。
呪われたこの身は、身体も強い。風邪はおろか、熱を出した事も咳すらした事なんてない。そんな俺に、寒くなってきたから風邪に気を付けてほしいや、暑くなってきたから体調をくずしていないか、などと身体を気遣ってくれる言葉の数々。
家族にすら言われた事のない、俺を心配する言葉と気持ち……十七歳になったばかりのあの頃の俺は、あっという間にあの子が好きだったと思う。
彼女を迎えに行く日取りが決まり、キュプラ王国の慣例に基づき、盛大なお迎えを決行する事にした。
宰相経由で『殿下を恐れない可憐な姫様』という情報が広がっていて、俺の部隊だけではなく、他の部隊からもお迎えの軍に参列したいという希望者が殺到した。
兄弟達も参加したいと苛烈な争いがあったが、フローラが女性だということを考慮して姉が権利を獲得した。さすがに国内をおろそかにするほどの兵力は割けないので、俺と姉だけが迎えの軍に参加する。
兄も弟もかなり悔しそうに、俺の副官であるトラビスに八つ当たりをしていた。トラビスは慣れたもので、軽く躱して余計に兄と弟を悔しがらせていた。
さすが乳兄弟だ。
俺一人でもかなりの軍事力だが、軍隊や竜を連れた方が見た目でも力を示せるだろうと逸る気持ちを抑え軍を連れて行進する。
それもこれもフローラのためと思えば、我慢も出来る。一刻も速く連れ出したいが、フローラが求められていると示さなければならない。
キュプラ王族の前に兜を外して立てば、次々と恐怖で人が倒れていく。
そう、俺の容姿に慣れていなければこんなものだ。
それでも、かなり顔色は悪く声も出ないが倒れないのは、一国の王としての矜持か。
フローラを貰い受けるべく、誠意ある口上を述べるが……恐怖に震えるコイツラは誰も聞いていないようだ。まあ、フローラがなぜか嬉しそうに頬を染めているからいいか。
そっと手を差し伸べると、向こうに正式に礼をしてから俺の手をとって微笑んだ。
たまらず壊してしまわないように抱きしめれば、フローラもまた抱きしめ返し微笑んでくれた。
こんな奇跡あっていいのだろうか。あまりの幸福に涙がでそうだ。
フローラと一緒に礼を執ると、キュプラ側だけではなく我が国の兵士達までもが驚愕の表情を浮かべていた。
姉やトラビスまでもだ。
まぁ、この容姿を受け入れられる姫だとは聞いていても、ここまで普通に……いや、好意的に受け入れられているとは思っていなかったのだろう。
自分自身でもそう思うのだから、皆の反応も当たり前だ。
何もないだろうが、一刻もはやくフローラをここから連れ去りたくて、予定通り俺達だけ先に出発した。
竜の背中から、フローラが蝶の様な可憐な花を降らせていた。ギフトの力だろうか。
すると、城下町から歓声が上がった。なんだかこの門出を祝福されているような気持ちになった。
竜の背は障壁で守られているとはいえ、初めて乗るフローラには厳しかろうと、途中で休憩を挟む。そこで、ギフトの力のことと、力を使いすぎると倒れたり寝てしまうことを聞く。
さらに私に介抱を頼んでくれた!
もちろん他の誰にもその役を譲るつもりはないが、俺を頼ってくれたことに感激すら覚える。
そこでフローラが咲かせてくれた、幸せを呼ぶ花は生涯忘れる事はないだろう。
イェールの街に到着すると、ブラッディベアが出たとの報告があがる。ここは境界線の街だから、出たのはバルバドス国内の領土だろう。急いで討伐に向かう。
ブラッディベアの討伐自体は俺にとってはそこまで大変な討伐ではないが、他のものには厳しい戦いになるだろう。
さっさと片付けてフローラと過ごしたい。
そろそろ終わりかと思った時、パールが単騎で近づいて手負いで暴れるブラッディベアの血を浴びてしまった。
この吐き出される血には猛毒が含まれているのだ。
姉さんがいないために、パール単騎だから突っ込んでしまったのだろう。
慌ててブラッディベアを討伐し、パールに少しの回復をかけてから慎重にゴールドとレナとでパールを竜舎に運んだ。
頼む、死ぬな!
急いでギルドと教会に中級の毒消し薬を貰いに行く。
ブラッディベア発見時にギルドの傭兵が毒を受けていてすでに、二個あるうちの一個は使用されていた。
もう一つを要求したが、他の人が毒を受けてしまっているかもしれないから、竜に使うのはまだ待って欲しいと言われた。
……遠回しに竜に使用するのを断られたのだ。
あの子達は俺達にとって、仲間でもあり家族でもあるのに……。
ここで言い争ってもどのみち渡しはしないだろう。俺が怖くても渡さないのはそういう事だ。ギルドマスターの決定なら覆すのは難しい。
まず姉さんに報告だけして、他の街を当たった方が早いと急いで宿に戻った。
ただ、フローラは俺達を驚かす天才なのか、中級毒消し薬でもっとも手に入れ難い素材を用意して待っていてくれたのだ。
おかげですぐに中級毒消し薬は精製することが出来た。竜体は大きいため、念の為に二本精製しておいた。
さらに彼女は中級毒消しの副作用で暴れるだろう竜までも眠らせる花を出してくれ、安全に誰の怪我もなくパールの治療を終えることが出来た。
パールの治療中、疲れた彼女は竜舎の隅で眠ってしまう。そうだろう。初めて王宮から出て、こんなことまでしてくれたのだ……彼女の疲労は当たり前だ。
苦労をかけたくなかったのに、彼女には笑って幸せでいて欲しいし、それを出来れば自分が幸せにしてあげたいのに……してもらってばかりだ。
あどけない寝顔を晒すフローラを宿のベッドに寝かし、結界を張ってから隣の部屋に戻った。




