ハーメルンの陽動
『嫌われ者の生存者』からただの『嫌われ者』になって数日の放課後、いつも通りに即下校しようとすると声をかけられた。女のものだ。キリッとしている目の下には涙ぼくろがあり、シースルーの前髪からはセットして登校していることがわかる。薄っすらながら化粧を施す彼女は例の脅迫文の主犯だ。
「えっと、何か用?」
「いや、あのさ……」
バツの悪そうな顔を浮かべて目線は右往左往している。
「わるかった……」
「え?」
「だから!わるかったって。そういやちゃんと謝ってなかったって」
気まずそうに頬をかいている。
「もう罰は受けたろ。気にしなくていい」
これ以上関わって何かに巻き込まれたくない。できれば以前のように空気として扱ってほしい。
「それじゃあ、俺帰るから」
「ちょっと待って」
「ん?」
「あんた、私の名前知ってるよね」
はて、クラスメイトの名前くらい覚えているに決まっているだろう。
「広瀬だよな?」
「なんで、不安そうだし……下の名前は」
さて、困った。苗字さえ覚えていればことたりると高を括っていた。彼女の持ち物をパッと見るもヒントになりそうなものはなかった。
なら、信じるしかない。俺の勘の良さを。
「えーと、モミジ……」
「マジ誰?私広瀬翔子だし」
かすりもしていなかった。
「本当に私のこと知らなかったんだ。はぁ、早とちりか」
「早とちり?」
「うん、一年の子が漫画の話してて」
「漫画の話?」
広瀬は口元に片手をおいて小声で言った。
「だから、私が描いてたBL漫画と似た内容の」
自分の口から言うのは恥ずかしいみたいだ。なるほど、疑心暗鬼になっていた彼女はその一年の話を聞いて俺が口外していると勘違いしたわけか。
「はぁーしかもその子の話盗み聞きしてたらミステリ?の話をしだして、使えるって思っちゃった」
「待て、使えるってもしかして、一文字ずつ筆跡を変えたあれか?」
「そうそう。完璧だって思っちゃったんだよねー」
妙な予感に間違いはないだろう。
「あーごめんね。そんなのどうでもいいよね。悪いの私だし、人のせいにしちゃいけなかった」
俺が黙り込んだのを怒っていると勘違いしたのか手を合わせて翔子は謝った。
「いや、気にしてない。もう帰るがいいか?」
「え、あうん」
教室を出て、向かったのは玄関ではなかった。一年二組の教室だ。既にHRは終わっている。教室に入って加茂を探すもいないみたいだ。
「あのー誰か探してますか?」
きょろきょろしている俺に男が話しかけてくれた。
「加茂はいないか?」
「加茂ならHR終わってすぐに帰りましたけど」
「そうか、ありがとう」
帰ってしまったのなら仕方ない。玄関まで行って、下駄箱を開ける。
入っていたのは手紙ではなく、『こころ』だった。加茂の仕業だろう。
「どーも先輩お久しぶりです」
「話がある」
「私もです。私の特等席はもう誰かのものなので、どこかお店に行きましょう」
同校の生徒がいないくらい離れた喫茶店に入り、二人席に座った。炭火コーヒーをそれぞれ頼んで、運ばれるまで無言で待った。
「ところで、先輩この前の暗号解読してくれましたか?」
「いや、諦めた」
「そーですか。まーもう意味もないので解説しましょう」
加茂は【DF゛OHBUEW゛R】と書かれた紙を取り出してからスマホの検索エンジンを開いて、検索バーをタップして、キーボードの画像を検索した。
「これを見たらわかるでしょう。キーボードの上にはアルファベットとひらがなが書かれてますよね。この暗号はこれに対応しています。【DF゛OHBUEW゛R】を書き換えると【しばらくこないです】となるわけです」
「くだらないな」
「流行っているらしいですよ。テレビで紹介されていました」
「どんな流行りだ」
「インスタのノートとかプロフィールに好きな人の名前とかメッセージを書くらしいですよ」
「流行ったらバレるだろ」
「バレたいんじゃないですかー好きバレは効果があるっていいますしー」
加茂と話すのは久しぶりな気がするがいつものテンポ感をすぐに取り戻した。が、本題はこれではない。
「なあ、加茂全部お前が犯人なんじゃないか?」
「何のことでしょうかー」
「例の脅迫文のことだ」
「犯行に関わるどころか私はそれまで先輩を知らなかったですよー」
「いや、湊さんのことを知っていたなら既に俺のことを知っていただろう」
「うーん。まー確かに全く知らなかったわけではないですねーですが、犯人なんて言われる覚えはないですよ」
「今日、広瀬翔子から加茂らしき人物が漫画の話と筆跡を隠すミステリの話を聞いたらしい」
「あーなるほど、聞かされたわけですか。はい、そーです。私は動機と手段を与えましたよ」
加茂は仕方ないと言った様子で認めた。
「桃園ひなの件もお前が煽ったな」
「バレました?」
「明らかに奥村の前で俺と桃園を二人きりにしていたし、そもそもブレスレットがなくなった日にどうやって知った」
「あー知ったのはたまたまですよ。何かないかと校舎を徘徊していた時に困っている桃園先輩を見かけたので、話を聞いて利用しようと思いました」
「奥村の好意をよく見破ったな」
「勘違いしていますが、話を聞いて犯人がわかったわけじゃないですよ。先輩とAクラスに行った時に奥村先輩が先輩を執拗に睨んでいたので、可能性があると思っただけですよ。棚から牡丹餅ってやつですねー」
加茂がケロッとしているせいで、責める気が湧いてこない。そもそも俺が責めたかったのかすら今思えば怪しい。単なる答え合わせがしたいだけだったかもしれない。
「先輩の要件は以上ですか?」
「ああ、そうだ」
「では、今度は私の要件をお伝えします。やっぱり湊零さんを探してほしいです。私だけでは無理そうなので」
少しだけ考えた。これはある種信条を曲げる行為だと言っていい。それは湊さんの意に反する……と考えていたが、湊さんが行動を起こした。そろそろ信条に意味が生まれる時が来たということではないだろうか。
「わかった。協力しよう」
「ありがとうございます」
加茂は目を見開いて答えた。