疎水性溶解者
翌日の休み時間、桃園からお礼を伝えられて、ついでにと渡された紙には【DF゛OHBUEW゛R】と書かれていた。
言うまでもなく加茂の差し金だろう。どうせろくなことではないのだから無視でいい。
放課後、いつも通り帰ろうとすると教室には既に加茂がいた。会釈して去ろうと教室の扉に手をかけると後ろから声をかけられた。
「先輩、解読はできましたか?」
「いや、わからんな」
「まーそうでしょうね」
「んで、答えは」
「まだ教える必要はないので、解読頑張ってください」
解読ね。いずれ教えてくれるのなら別にする必要はないな。それよりも気になるのは今度はどんな厄介ごとを吹っかけてくるのかの方だ。
加茂はいつもの席に座っている。本題があるのだろう。
扉に手をかけたまま加茂の次の言葉を待った。
「ところで先輩の信条はどこから来ているんですか?」
想定していた言葉とは違って、世間話程度のものだった。
うーん。さて、加茂は何を求めているのだろうか。数日前の会話を思い出した。佐藤日和の体操着事件をつまらないと評した加茂は出来事に物語性を欲する人物だ。俺の信条は【踏み込まず、踏み込ませず】だ。加茂がもしそこに興味を持っているのだとしたら───
「変わった信条を持っている人間だからと言って壮絶な過去を期待しない方が良い」
加茂は少しの間をおいた。
「では、その信条はご家族にも有効なんですか?」
「……」
この後輩はどこまで知っているのだろうか。鈴木優という人間をどれほど調べているのだろうか。誰一人同中がいないことを知っているのだから言ってないだけで多くのことを知っているかもしれない。こっちは何の手札もないのに一方的に手の内を知られている。不公平な状況だ。だからと言って下手に口を開く必要はない。
「家族は世界を放浪していていない」
「そんな嘘にもなってない嘘をいいますか」
木を隠すなら森の中、嘘を隠すなら嘘の中。
「まーいいですよ。踏み込む側にも分別がいるものですから」
「もっとはやく自覚して欲しいな」
「まー先輩は踏み込まない側の分別を身につけるべきですよ」
踏み込まない側に分別なんて必要なのか。
踏み込んでいない俺が何を気にかけるのだろうか。踏み込まないこと自体が分別のある行為であるのだが。
「わかってない顔してますね」
「そりゃわからないだろ」
「生きているだけで影響を与えることを考えていないですね」
「無色透明と言っていい俺だぞ」
ただし、脅迫文の送られる前という枕言葉がついてしまうが。
「例えばですよ。席替えをした時隣に座るのが先輩だとしたらどうでしょうね」
「嫌でも嬉しくもない」
「違います。相対評価なんですよ。仲の良い友人か、無味無臭人畜無害の先輩か、この場合先輩は嫌に分類されます。逆に嫌いな人であれば先輩はまだマシくらいの評価を受けます」
「なるほど、確かに」
「理解いただけて良かったです」
だとして、それでもこの信条は貫くべきだと思う。席替えで確かに影響を与えたかもしてないがそれは一時のものだ。
「では、本題です。劇的な過去がないと仰る先輩へ湊零さんのことはご存知ですよね。中学時代の先輩が敬愛した人ですから。そして偶然にも運命的にも私の敬愛した相手でもあるんです」
湊さんを知っているのか。喉が異様に乾いた。加茂の次の言葉を熱望していた。
「湊さんは知っての通り一年ほど前に行方不明になりました。ですが、四月に手紙が送られてきたんです。先輩一緒に探しませんか?」