無名の著者
突然だが、俺、鈴木優の信条は【踏み込まず、踏み込ませず】だ。
高校生になってから一年と少し貫いてきた信条だ。そんな大切な信条にひびが入りかける事態が起きた。
ある日の放課後、いつも通り一番に教室を出て下駄箱を開けると手紙が置かれていたので、手にとって読んだ。
【私はおまえを絶対に許さない。かならず、殺してやる。覚悟をしろ】
そう、脅迫文だった。筆跡を隠すためかバランスの悪い手書きの脅迫文だ。
身に覚えはない。何しろ、俺は人と関わらないからだ。
さて、どうしたものか。これは俺の信条を大きく揺るがしている。
これは一般的に考えても踏み込まれ過ぎている。
教師にでも渡すべきか。それとも警察に相談してみるか。いや、どう考えてもめんどくさい。それに刺激するのもよくない。
「やめだ」
俺は適当にポケットに脅迫文をつっこんで帰路についた。
それから数日経ったが被害はない。所詮はいたずらにすぎなかったわけだ。
全く馬鹿らしい話だった。これで俺の安寧は保たれたわけだ。
そうして、今日も一番に下駄箱に手をかけた。
「異臭がする」
嫌な予感を感じながら下駄箱を開けた。
今回は手紙一つだけではなかった。ハエのたかった猫の死骸が無残な有様で置かれていた。
「これは……やりすぎだろう」
片手で口を覆って絶句した。
もしかしたら相手は本気かもしれない。さすがに焦りを感じて置かれていた手紙を急いで開封した。
【ころす】
前回よりも簡潔な文で同じようにバランスの悪い筆跡で書かれいる。
冗談じゃない。信条を侵害されたどころではない。これは許されざる行為だ。
まずは現場保存だ。手紙を元の場所に戻してスマホのカメラ機能で複数枚撮影した。
さて、これから犯人を特定しなければいけない。俺は左手を口元において考え出した。
まずは可能性を絞ろう。
犯行は二度行われた。俺を狙ったことに疑いはないだろう。
俺は部活に所属せず、上にも下にも関わるのある生徒はいない。
同学年で最低限(授業)の関りがあるとすれば俺を除いた二年三組のクラスメイト三十一名と体育の授業で関わる四組の男子十七名、他少人数クラスの数人のみ。
これを絞りきるのは至難だ。人と関わらない生活をしてきたことがこんな形で返ってくるとは。
では、次にどうやって犯人を特定しようか。
現状ある証拠は目の前の惨状と先日の脅迫文の二つ。
今のところピンとくるものはない。
証拠からの特定は現状難しい。
警察の力を借りればいけるものなのか。この案件を下手に大事にしていいものだろうか。
とはいえ、何も証拠から犯人を特定する必要はない。
現行犯を狙えばいい。犯人だってわざわざ猫の死骸まで用意してきたんだ。
俺の反応を見るか、少なくも現場の確認はするだろう。
それからしばらく少し離れたところで下駄箱を見た。しかし、待てど暮らせど下駄箱を確認する者は現れなかった。
これではどうしようもない。
さすがに猫の死骸を放置するわけにも行かず、教師を呼んだ。
それから事情聴取を受けた。思い当たる節はないかと問われたがないと答えた。
担任も印象の薄い俺のことだったので、困った顔をしていた。心配という言葉も口にしていた。
家に帰り、脅迫文二枚を机に並べた。
対比することで違いを見つけられるはずだ。
使われている紙は同じものだ。どちらもシャーペンで書かれている。Bか2Bくらいの濃さだろう。筆跡は意図的にバラバラで書かれている。
この二つに大きな違いはない。犯人は同一犯であることは間違いない。
今度はもう一つの証拠である猫の死骸を撮った写真を見た。
ハエのたかり具合を見るに当日いきなり用意したものでないだろう。この猫は大きな外傷が目立つ。それに首を針金でくくられている。酷いことをするものだ。
証拠は全てで三つ。
無理やりにでも違和感を見出すなら一つ目の脅迫文は【おまえ】と【かならず】が平仮名で書かれている。二つ目の脅迫文では【殺す】ではなく、【ころす】と表記されている。
そして、文章量も一つ目と二つ目で差がある。
【私はおまえを絶対に許さない。かならず、殺してやる。覚悟をしろ】
【ころす】
一つ目の脅迫文ではどうも俺個人に強い怒りが込められているが二つ目ではその色が薄い。
犯人は一字ずつ筆跡を変えるほど、マメな人物だ。何かルールがあるのかもしれない。
脅迫文にルールをなぜ設ける必要があったのか。
新聞や雑誌の切り取りで文章を作ったわけじゃない。手書きであるから文章は自由で制約されることは本来ない。
なぜ、制約を設けたのか。もしくは設けざるを得なかったのか。
犯人は突発的に犯行を行った。それはマメな人物であるとするなら考えにくい。
愉快犯である。これもマメな人物ということを考えるとしそうにない。
筆跡は犯人特定を避けるための行動であることに間違いはない。
それは制約に本来なりえないものだった。しかし、二つ目の脅迫文では制約になり得てしまった。
つまり、ルールは制約へと変貌した。
もう一度、二つの脅迫文を見比べた。
なるほど、断定するには飛躍している結論だが犯人はほぼ確定した。しかし、俺には動機がわからなかった。思い当たる節は依然としてないが故にどう対応することが正解なのかしばらく考えた。摘発をするためには少々大掛かりになるがしかたあるまい。
この脅迫文は警察を巻き込むことで、学校側の犯人への対応は重くなった。
それは俺が刑事事件としての罪に問わないことを条件に出したことも大きい。
その結果、二年三組計三十一名が停学となった。
内訳として主犯三名は二週間、その他二十八名は一週間の停学を言い渡された。
犯人は俺のクラスメイト全員だった。
原因はクラスの中心人物に目をつけられたこと。
どうやら俺はクラスの中心人物の秘密を知らぬ間に知ってしまったらしい。俺自身に全くの記憶はないが、これまで空気のような存在だった俺が悪目立ちをしてしまったらしい。
関わらないが故に誰も俺という存在の誤解を止めずに広がって誰かが脅迫文を思いついたらしい。
【私はおまえを絶対に許さない。かならず、殺してやる。覚悟をしろ】
句読点を含め合計文字数三十一字、筆跡の追えない犯人が誕生した。
本来ならこれで終わるはずだった。
そうすれば俺は問題にせず、無視をしていたのだから。
二枚目の脅迫文【ころす】は期待通りの反応を見せなかった俺に中心人物とその友人二名が引き起こした犯行だった。
偶然、猫の死骸を発見した彼ら彼女らは二枚目の脅迫文を書くことを思いついた。しかし、前回と違ったのはそれに乗っかろうとした人物が友人二名以外にいなかったことだ。
俺の反応がつまらなかったこと、そして猫の死骸を利用するという行為が倫理観を超えていて断られてしまったようだ。
そうして、ルールは制約になった。
三十一字以内だった脅迫文は三文字以内となって、度を超えた脅迫文は自身の首を絞めた。
犯人はマメな人物なんかではなかったわけだ。
そして、犯人らは芋ずる式に名前が挙げられていったそうだ。少しでも罪の割合を軽くしようとしたのだろう。
彼ら彼女らはお互いに簡単に踏み込んで、踏み込ませてしまったのだ。
やはり、俺の信条【踏み込まず、踏み込ませず】は正しかった。
けれども、今回は無視出来ずに踏み込んでしまった。その代償は案外高くついた。
俺を除くクラスメイトが停学処分になったことで、二年三組は学級閉鎖とも言える状態になり、俺は一週間二年四組で過ごさなければいけなくなった。
誰とも関わらない俺にとってこれは代償としては大きくない。
本当の代償はこの後の出来事だった。