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発覚

【主な登場人物】


・N子(主人公であり、著者)

四十七歳の主婦 結婚十五年目

実家が営む日本料理店で、パートタイマーとして働く。

背が高く、ツンとすましているように見られがちだが、おしゃべりでおっちょこちょい。

二十年近くパニック障害を患っているが、理解ある夫と可愛い息子に囲まれ、念願の一軒家にも住み、悪くない人生を送っていると思っている。


・K男

N子の夫 N子より三歳年下の四十四歳

父親と共に塗装業を営む 離婚歴があり、前妻との間に娘がいる。

背が低く、ぽっちゃり型 細いタレ目でいつもメガネをかけている。街づくりに積極的に参加し、器用で知恵や行動力もあり、人に頼られると張り切る性格。


・A子

N子のママ友。 五年前に夫を心不全で亡くす。

中肉中背 美人ではないが、女子力が高く、色気があるタイプ

夫を亡くして他の保育園に移った後も、N子を含むママ友たちと交流が続く。

二年前に五十キロほど離れた自分の地元に引っ越す。


・S子

N子のママ友であると同時に、N子の息子が通った幼稚園の副園長

小柄で細身だが、丸顔で、笑うと両頬に出るえくぼが可愛い

N子とは、小学校でも息子同士が同じクラスで、関係が深く、仲が良い。


・S子の夫

婿養子 寺の副住職

背が高く体重もあり、体格が良い

K男に家のリフォームを頼むなど、N子やK男と家族ぐるみで仲が良い。




挿絵(By みてみん)




1.手紙




 夫が死んでから三週間ほどが過ぎた。


 私は実家が経営する日本料理店で働いていたが、ずっと仕事を休んで家に居た。

 時折、夫の死を知った人が香典を持って訪れたりしていた。


 何かしていないと落ち着かない気持ちだったので、夫のパソコンが置いてあるデスクの周りを整理していた。

 すると、ある引出しから小さな封筒に入った手紙を見つけた。

 それを読んで、私は驚愕した。




K男へ

 いつもお仕事頑張ってるK男。

 あなたの体が心配だわ。

 いつもそばに居てあげられなくてごめんね。

 耳かきしてあげられなくてごめんね。

 離れていても、いつもあなたの事を思ってるわ。

 会えなくても我慢するけど、どうしても会いたくなったら会いに行くわ。

 ヤックルに乗って……




—— これは一体なんなのだろう……


 名前は書かれていない。この内容からして特別な関係に違いなかった。

 生々しい内容に心臓がドキドキした。夫は耳かきをしてもらうのが大好きだったからだ。

 その時、ハッとした。


—— この内容。そして、このディズニーのリトルマーメイドの便箋。この字も何だか見覚えがあるような……


 その時、ある女性の顔が頭に浮かんだ。

 それは、息子の幼稚園時代からのママ友で、五年程前に夫を亡くしたA子の顔だった。

 夫が運ばれた病院に度々訪れ、私を励ましてくれたり、励ましのメールを送ってくれたあのママ友だ。


—— そういえば、年賀状!


 震える手でもらった年賀状の束をめくると、A子からのそれがあった。

 宛名の所に夫と私と息子の名が並んでいて、『K男様』の字と、手紙の字がそっくりだった。


—— 彼女に間違いない! やっぱり彼女なのだ!


 それにしても、『ヤックル』とはいったい何だろうと思い、ネットで検索してみた。

『ヤックル』とは、ジブリ映画『もののけ姫』に登場する、主人公のアシタカという青年が乗っているカモシカのような動物の名前だった。


 心臓がドキドキし、体が震え、涙が溢れ、どうしたら良いかわからなくなった。


 そうこうしていると、児童館に行っている息子を迎えに行かなければならない時間になった。

 わけが分からないまま、児童館に向かった。


 車のハンドルを握る手が震え、涙で前が見えなくなりそうだった。

 児童館で会ったママ友に色々話しかけられたが、うわの空でまともに返事が出来なかった。

 そのママ友は少し怪訝な顔をしていたが、それどころではなかった。


 何も出来そうになかったので、息子の夕飯用にマクドナルドを買って帰った。

 家に帰ると、息子は大喜びでマクドナルドを食べていたが、私は体の震えが止まらず、涙が出そうになり、それを息子に気取られまいと必死だった。

 いてもたっても居られず、A子にラインメールで訊いてみることにした。


—— A子じゃないかも知れない。何かの勘違いかも知れない。あるいはA子だとしても、何か

のおふざけか、彼女の妄想とか……


 そうであって欲しいと、祈るような気持ちだった。


 私はまず、その手紙を画像で撮り、A子に送ってからメールをした。


「この手紙を書いたのはあなたですか?」


 すぐに既読になったが、しばらく返事が来なかった。そして十五分後に返事が来た。


「N子さん、私が書きました。」


—— やっぱりそうなのか……


 絶望的な気持ちになった。


「いつからですか?」


「子供達が幼稚園の年中組の秋頃から、私が地元に引っ越したあたりまでです。」


 めまいがした。

 子供達が年中組の秋頃といったら四年程前だ。

 そんなに前からそんな事があったとは、全く気が付いていなかった。


「詳しい話を聞きたいので、明日そっちに行っても良いですか?」


「明日は仕事がお休みなので、私がそちらに行きます」


 もう何も考えられなかった。とにかく明日、A子から話を聞くしかないと思った。


 その夜はやはり眠れなかった。


—— 神様は私から夫との思い出までも奪うつもりなのか。これは何かの罰なのだろうか……




 よく眠れないまま翌朝を迎えた。

 A子は午後から来る事になっていた。

 相変わらず食欲は無いし、体調も悪いので、午前中はベッドに横になって過ごした。


 午後になると、A子がよく見慣れた車に乗って家にやって来た。


 彼女が車から降りる姿を窓から見ているだけで、涙が溢れて前が見えなくなった。

 私は玄関でA子を「どうぞ」と言って招き入れた。やっと絞り出した一言だった。

 リビングルームに案内して、丸い座卓に彼女と向かい合わせに座った。


 今まで、どれだけこの丸いテーブルを囲んで、A子を含むママ達と一緒におしゃべりを楽しんだだろう。

 同じテーブルでこんな話をしようとは、夢にも思わなかった。


 私はジーパンにTシャツで、ノーメイクで、おまけに何度も涙を流して目を腫らしていた。

 だが、A子はバッチリメークで、きれいなワンピースを着て、とても生き生きとしているように見えた。


 涙が止まらず、しばらくの間、私は彼女の前でおいおいと泣いた。

 彼女は小さな声で何度か『ごめんね』と言いながら、私が泣き終わるのを待っていた。


 私は泣き終わると口を開いた。


「こんな事が分かった以上、訳が分からずモヤモヤした気持ちではいられない。正直に洗いざら

い話してもらいたい。全部真実が知りたい」


「分かった。全部正直に話すね。何でも訊いて」

 A子の話によれば、子供達が年中組の秋頃、我が家で夫と度々顔を合わせるようになり、夫のことが気になり始めたという。

 それは約四年前のことで、A子の夫が亡くなってから一年も経っていなかった頃だ。A子の夫はその前の年の冬に亡くなっていた。


 A子の夫が亡くなった後、彼女の子供二人は同じ市内の別の保育園に移った。 ひとり親世帯の場合、幼稚園より保育園の方が時間的にも金銭的にも都合が良いからだ。

 彼女の夫が亡くなった後、しばらくの間はママ友たちで集まらずにいた。 皆がショックを受けて、そんな気分ではなかったからだ。


 だが、半年ほど経ってから、ある事でまた我が家で集まるようになっていた。 きっかけを作ったのは夫だった。

 夫から、青年会議所の灯りのイベントで飾る灯りを、ママ達で手作りしてはどうかと提案されたのである。

ママ友たちに話をしたら、皆が面白そうだと快諾してくれた。私も、皆と作品を作ることは面白そうだと思った。

 それに、A子のことが頭に浮かんでいた。

 当時、A子は自分の夫が亡くなった事で、私を含むママ友たちは集まることを遠慮しているように見えた。

 でも、A子もこの集まりに誘い、皆で作品作りに没頭すれば、自然に楽しくやれるのではないかと思ったのだ。

だが、結局はそれが仇となってしまった。


 通常、平日の昼間に家でママ友たちが集まっても、彼女達がその家の主人と顔を合わせることはあまり無いだろう。その家の主人は仕事で外に出ている場合が多いからだ。

 だが、私の夫は違った。

 夫の父親は自営で塗装業をやっていて、夫も一緒に働いていた。主な仕事はもちろん塗装をすることだった。

 だが、夫は美術大学を出ていて、看板などのデザイン頼まれると自宅のパソコンを使って自己流でデザインをしていた。

 そのデザインが好評で、数年前から、看板に限らず、会社のパンフレットやイベントのチラシなど、様々なデザインの仕事を請け負っていた。

 そのため、自宅のパソコンで作業をすることも多く、比較的、家にいることが多くなっていたのだ。


 夫は元々、女性達とすぐに仲良くなるタイプだった。

 ママ友たちが我が家で作業をしている間も、灯り作りについてアドバイスをしたり、一緒におしゃべりをしたりしていた。


 そうして、A子は夫と顔を合わせるようになり、夫の事が気になり始めたそうだ。

 そして、夫が青年会議所での活動を載せるためにフェイスブックをしていることを知ると、フェイスブックの機能を使って、夫に個人的にメッセージを送るようになったそうだ。

 私も二人がフェイスブックでやり取りをしている事を知っていた。だが、夫が他にもたくさんの人と繋がっていたので特に気にしていなかった。


 そして、A子はある日、「あなたの事が気になって仕方がないのですが…」というメッセージを夫に送ったそうだ。

 夫からはしばらく返事が無かったらしい。

 だが、数日後、「絶対に妻にも周りにもバレないようにするという条件なら、付き合っても良い」という返事が返ってきたそうだ。


—— 頻繁に会っているママ友の夫を誘うとは、一体どういう神経なのだろう。


 夫もしばらくの間、迷ってはいたが、結局、誘惑に勝てなかったという事なのか。信じられない気持ちだった。


 どのような付き合いをしていたのか尋ねた。


「月に一、二回位かな。子供達が寝た後で、ご主人に家に来てもらって…… 一緒にお酒を飲んだりとか…… 」


 わざわざ訊くまでもなかったが、肉体関係があった事は言うまでもないだろう。


 A子によれば、夫からA子に連絡が来ることはほとんど無く、いつもA子から会いたいと誘って、会っていたという。

 そんな関係が一年ほど続いたが、A子に他に好きな人が出来たという。

 それから夫とは、男友達となり、今度は、新しく好きになった人の相談を夫にしていたのだそうだ。


—— はぁ⁉︎


 急に馬鹿馬鹿しくなった。


—— 目の前にいる友人の夫に手を出しておいて! 一年後に別に好きな人が出来たから、今度は男友達として夫には相談相手になってもらってた⁉︎ いったい何なんだこの女は! 頭がおかしいのか……


 夫も夫だ。妻を裏切った上に、関係を持っていた女の次の恋愛の相談に乗っていたのだ。

 A子を都合の良いセックスフレンドだと割り切っていたのか、馬鹿じゃないのかと思った。


 夫に最後に会ったのは、亡くなる一ヶ月程前だったという。

 A子が見たいテレビ番組があって録画したかったのだが、テレビとレコーダーを上手く接続出来なかったので、夫に家に来て接続をしてもらったそうだ。


—— はぁ⁉︎ そんな事で人の夫をわざわざ呼ぶなよ!


 我が家からA子の家までは、車で一時間半はかかる距離だった。

 次に付き合っている男になぜ頼まなかったのだろうかと思った。どうせまた不倫でもしていて、気軽に頼めないような関係だったんじゃないだろうか。

 それにしても、そんな所まで夫がわざわざ行って、テレビの接続だけで済んだはずがない。その後、お楽しみの時間があったはずだ。


「旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね。旦那さんは私の事、可哀想だと思ってただけかもね。私もN子さんの事が羨ましかったのかも知れない」


—— 何なんだ! A子も夫も! 馬鹿じゃないのか!


 呆気にとられていた。力が抜けて、もう何も言う気が無くなった。


 何も言わなくなった私の態度を見て、A子は自分が許されたと思ったのか、態度を変え始めた。


「そういえば、夫が無くなると色々と大変でしょ? 役所の手続きとか。何か分からない事があ

ったら、私に何でも聞いて。私に出来る事があれば何でもするから」


—— この女はいったい何を言っているんだろう! 人に何かして欲しい事があったとしても、お前にだけは絶対に頼まない! 共に夫を亡くした者どうし、あるいは同じ男を愛した者どうし、気持ちが通っているとでも思ったのだろうか。


 ある国の国王の第一夫人と第二夫人の和解の場面でもあるまいし…… とますます馬鹿馬鹿しくなった。


 A子がなかなか帰る様子がないので、私はうんざりして言った。


「もう分かったから、帰っても良いよ。もう会う事は無いと思うけど、じゃあね」


「えっ⁉︎ あっ、そうか。そうだよね……」とA子は意外そうな顔をした。


—— はぁ⁉︎ 今まで通り友達でいられるとでも思っていたのか! 普通にママ友たちとも、これからも集まるつもりでいたのか!


 あまりに呆れて、何も言い返さなかった。

 最後に夫にお線香をあげてから帰りたいと言うので、もうどうでもいいやという気持ちになり、A子を祭壇に案内した。


 チーンと、彼女が鈴を鳴らす音が響いた。

 葬儀場に飾った数枚の家族写真がそのままその部屋に飾ってあり、その写真を見て彼女が言った。


「この写真、お葬式の時に見たけど、どれも本当に良い写真だよね! 素敵なご家族だったよ!」


—— その思い出も全てぶち壊したのは、お前だろ!


「二人で旦那さんの分まで長生きしようね。旦那さんは本当に素敵な人だったよね。イベントを

色々やったりして、たくさんの人を幸せにしたよね」


—— お前のことも、さぞかし幸せにしたんだろうね!


 そう言い返してやりたかったが、言わなかった。


 玄関のところで、A子は私に「最後にハグして良い?」と言った。


「それは、ちょっと……」と言ったが、


「お願い!」と言って、それでもA子は手を広げてきた。


「本当に嫌だから……」


—— 本物の馬鹿なのだろうか… ハグをしたら友達に戻れるとでも思っているのか。


 A子は口を少し尖らせて、肩をすくめるような仕草をした。 そして、「じゃあね!」と言って、キラキラした笑顔を見せて帰って行った。


 私はその後、しばらくベッドに入って寝込んでしまった。




2.ディズニーリゾート




 私は数時間後にベッドから起き上がったが、それからどんどん怒りが湧いてきて、その日の夜も寝られなかった。

 時計を見ると午前三時だった。

 A子はあの様子では、全て話した事で罪悪感も無くなり、スッキリして、すやすやと子供達と一緒に寝ているのだろうと思った。

 そう思うと、あまりの怒りに我慢が出来なくなり、彼女にラインメールをした。


「A子さん、あれからもずっと苦しくて苦しくて、眠れません。この四年間、あの時も、あの時も、夫とあなたに騙されていたのかと思うと苦しくて苦しくて仕方がないです。それなのに、あなたはもう過去の終わった出来事のようにあっけらかんとしているように見えました」


「最後には、『私に出来る事があれば何でもするから』とか、『二人で旦那さんの分まで長生きしようね』とか、『最後にハグしていい?』とか言って、笑顔でバイバイして帰りましたよね。私は途中から呆気にとられていました。あなたは私に話すことで、私に対する罪悪感から逃れられたのでしょうが、私はこれから何年先も地獄です」


「今、あなたがお付き合いしている人がもし不倫ならもうやめてください。もう人を苦しめるのはやめてください。あなたの子供達のことを考えてください。子供達は親が思う以上に色々な事を感じ取っているはずです」


「あなたの亡くなった旦那さんとの思い出は素晴らしいものでしたか?私にはもう、そんなものはありません。それとも、私からそれを奪う事がお望みでしたか?そうだとしたら、成功しましたね」


「夫との結婚生活はそれほど長くなかったけど、私にたくさんの幸せをくれた事を胸に抱いて、これから前向きに生きていこうと、気持ちを切り替え始めていたところでしたが、それも奪われました。この苦しみがいつまで続くのか、終わる時が来るのか、それまで精神がもつのか、息子に何かしらの影響がでないのか、検討もつきません」


 私は思いつくままにメールを送り続けた。 しばらくして、彼女から返事が来た。


「主人と死別して、今でも悲しみは消えません。学校や保育園の行事があるたび、どうしてここに主人がいないのか、いつも涙がでます。この姿をみせてあげられることはないのかと。私も苦しいです。あなたに話す事で罪悪感から逃れたなんて思ってない!」


—— はぁ⁉︎ 何言ってんの⁉︎ 自分の事⁉︎ 真剣に謝る気は無いの⁉︎


「でも、少なくともあなたには、旦那さんとの素敵な思い出があるでしょう⁉︎ 私は完全に奪われましたよ!」


「あなたにだって素敵な思い出があるじゃないですか! ◯◯◯◯さん」


—— 何を言ってるのか、この女は! フルネームで私の名前を言って、『あなたはK男の正妻でしょ』とでも言いたいのだろうか。その思い出も何もかもをめちゃくちゃにしたくせに!


「もう今までの思い出を、前と同じ気持ちで思い出す事はできません。あなたは亡くなったご主人に浮気をされた事がありましたか? 私の気持ちが分かりますか? あなたがどんなに学校の行事などで辛い思いをしても、旦那さんとの良い思い出がありますよね?」


「二人の歴史、子供と言う最高の宝物。それは偽りない素晴らしいものです!」


—— ふざけるな! お前に言われたくない!


「本当に今まではそう思っていました。でも騙されている期間があまりにも長すぎて、あなたと夫のことを見ていた期間があまりも長すぎて、思い起こすと心当たりが多すぎて、とても受け入れる事が出来ません。あなたはそれほど長い期間、ご主人と親しい友人に騙されていた事がありますか?」


「私も学校の行事などで苦しいとか、ふざけないでください! だから何をしても許されるのですか⁉︎ あなたは自分のことばかりですね!」


「私の事は許さなくても、旦那さんの事は許してあげて下さい。あなたの旦那さんはあなたが思っている通りの素晴らしい方です」


—— お前なんかにそんな事言われたくない! 何が許してあげてくれなんだ! 何が素晴らしい方なんだ! ふざけるな!


 怒りが爆発した。私は震える手で精一杯のメールをした。


「あなたは、ご主人が亡くなってから一年もしないうちに私の夫を誘惑し、ご主人との思い出が詰まっているはずの家に、子供達が居るにもかかわらず、私の夫を引き入れて関係を持った!ご主人を裏切り、子供達も裏切り、私を裏切り、幼稚園の仲間達も欺いていた!」


「そのあなたが、学校や幼稚園の行事で悲しいとか、子供達の姿を見せてあげられないとか、そんな事を言うとは、とても理解出来ません! あなたの不倫まみれの今の姿を、ご主人が見てどう思いますかね? あなたに『旦那さんのことは許してあげてくれ』とか、『素晴らしい人だった』とか、言われたくありません! 今は夫に対して何の感情も持てません!」


 そのあとA子から返事は返って来なかった。


 私はその後、何日も苦しみ続けた。毎日眠れず、食欲も無かった。

 度々パニック発作にも襲われた。それまで、パニック発作の頓服薬を年に数回飲むことはあったが、その頃には毎朝毎晩飲むようになっていた。


 私は夫とA子にまつわる様々な事を思い出して苦しんだ。


 四年ほど前、灯りを作って飾った秋のイベントが終わり、我が家で集まって打ち上げをした時だった。  A子が暑いと行って薄着になったり、髪をかきあげたりしては、夫に積極的に話しかけ、夫もデレデレしていた。A子はけっして美人というわけではないが、セクシーなタイプだった。

 あの頃からすでに、夫へのアプローチは始まっていたのかも知れない。




 その数ヶ月後の、冬のある日曜日、私の仕事中にA子からラインメールが来た。


「事情があって、N子さんが居ない時に申し訳ないですが、子供達とお宅にお邪魔して、遊ばせてもらっています」


 そして、その数時間後にまたメールが来た。


「勝手にお邪魔して申し訳ありませんでしたが、今、帰るところです。ありがとうございました」


 どうしたんだろうと思い、仕事を終えて家に帰ってから、夫に尋ねた。

 夫によれば、夫が息子と近所の本屋に行くと、A子が子供達とそこに居たそうだ。

 A子はその本屋の向かいにあるガソリンスタンドでタイヤ交換をしてもらっていたが、急な雪で混んでいて、かなり時間がかかりそうなので、その本屋で時間を潰していたという。

 彼女の下の子供はその時二歳でくらいで、店内をチョロチョロと走り回っていて、とても困っている様子だったそうだ。

そこで夫が「良かったら、家で一緒に子供達を遊ばせますか? うちの子も喜ぶから」と声をかけたという。


 私はそれを聞いて簡単に納得してしまった。二人を信用しきっていたし、A子は夫を亡くして、親兄弟も近くに居ないのだから、色々と大変なのだろうと思った。

 だが、その頃二人は既に関係を持っていたのだろう。

 A子が『タイヤ交換をしている間、時間を持て余して困るから、車で迎えに来てもらいたい』と夫に言ったのか、そもそもタイヤ交換の話さえ嘘なのか、今となっては分かりようもない。

 いずれにしろ、二人を信じ切って、A子の心配までしている私を、二人で口裏を合わせてラインメールまで入れて、完全に騙していた。




 A子はディスニーリゾート好きだった。A子は夫を亡くした後、「子供達と気晴らしにディズニーリゾートに行ったらハマった」と言って、子供達を連れて、年に四、五回は行っていた。

 夫もディズニーリゾートが好きで、二人はディズニーリゾートの話でよく盛り上がっていたようだった。夫が行きたがるので、私達家族も年に一、二回はディズニーリゾートに行っていた。

 だが、私は人混みに入るとパニック発作が出てしまうので、いつもディズニーリゾートには入場せずに、隣のショッピングセンターで時間を潰していた。

 私は夫と息子が楽しんでくれればそれで満足だったし、夫もそれを理解してくれているはずだった。


 ある日、私と母と姉の三人で東京に行く用事ができた。だが、私はパニック障害のせいで、かなり前から電車に乗ることが出来なかった。そこで、夫に車を運転してもらって東京に行こうということになった。

 夫がいつもディズニーリゾートに行きたがっているのを母も姉も知っていた。だから、夫と息子も一緒に連れて行って、自分達が用事を足している間に、夫達はディスニーリゾートに遊びに行ってもらおうということになったのだ。

 夫に運転してもらう代わりに、往復の交通費、宿泊費、食事代、それにディズニーリゾートの入場料やお小遣いまで母が奢るという話に、夫は大喜びした。


 東京に行く数日前になると、夫が私に言った。


「今日、フェイスブックを見たら、俺達がディズニーに行く日に、偶然A子さんも子供達とディズニーに行くという投稿をしてたんだよ。だから、『俺達もその日にディズニーに行くよ』とメッセージを送ったら、A子さんが『一日目にディズニーシーに行って、二日目にディズニーランドに行く』って。でも、俺らはその一日目にディズニーランドのほうに行くから、偶然会うことも無いみたいだけど」


「へぇー、そうなんだ」と私は特に気にしなかった。


 当日、予定通り夫の運転する車で東京に着くと、私と母と姉は東京での用事に向かい、夫と息子はディズニーリゾートに向かった。

 そして夕方になり、母と姉は、大学に通っている姉の息子のアパートに泊まらせてもらうことになっていたので、そこで別れた。


 私が宿泊先のホテルで夫と息子の帰りを待っていると、十一時過ぎになってやっと帰ってきた。


「ずいぶん遅かったね」


「やっぱり、ディズニーランドでA子さん達に偶然会って、子供達が大喜びしてたし、一緒に回ろうという事になったよ。それでずっと一緒にいて、夕飯も近くの焼肉屋で一緒に食べて遅くなった」


「でも、A子さん、今日はディズニーシーに行ったんじゃなかったの?」


「元々はシーの方に行く予定だったらしいんだけど、ネットで混雑予定を見たら、シーがあまりにも混みそうだったから、急遽、ランドの方に変更したんだって。シーには明日、行くそうだよ」


「そう。子供達が一緒に遊べて良かったんじゃない?」


「うん。それに親の方も一人より二人だと何かと楽だったよ」


 私はなんと間抜けだったのだろう。私自身がなかなか夫達と一緒にディズニーリゾートに入れないから、大勢でわいわいと楽しんで来てくれたことを、むしろ有難いと思ったのだ。

 そして、夫もA子もなんと小賢しいのだろう。二人は最初から一緒に行動するつもりだったのだ。


 夫はあの日の朝、私と母と姉を車に乗せて東京まで行き、私達を降ろした後、ディズニーリゾートで不倫相手とその子供達と合流して、母からもらったお金で皆で焼肉を食べ、その夜は私とホテルに泊まり、次の日は母と姉とまた合流して、東京で買い物をしたり母に食事などを奢ってもらって、帰ってきたのだ。


 夫はなんという神経の持ち主なのだろう。怖いもの知らずにも程がある。


 あのあと母が「K男さんに『ディズニーリゾートで使って』と二万円も渡したはずなのに、私達にディズニーのお土産を一つも買ってきてくれなかったよね」と言っていたことを思い出した。




 夫が亡くなる約一ヶ月前のゴールデンウィーク中の事だ。

 夫はローカルヒーローの企画運営をしており、近くの地場産センターから依頼で、毎年のゴールデンウィークはそこでヒーローショーをしていた。

 私は飲食店での仕事が忙しくて休みが取れないので、夫は毎年、息子を連れてそのヒーローショーを運営しに行っていた。

 ショーが終わると、その地場産センターで焼肉用の肉をたくさん買って帰り、我が家の前で打ち上げと称して、皆でバーベキューをするのが毎年の恒例行事だった。

 そして、そのヒーローショーを、A子が子供達を連れて毎年見に来ていた事は、夫から聞いて知っていた。


 その日、私が仕事を終えて家に帰ると、皆がバーベキューをしている中に、A子とその子供達の姿があった。


「あれ、来てたの?」


「今年もヒーローショーを見に来てたんだけど、子供達が喜んで一緒に遊び始めちゃって。そしたら、ご主人が『これからバーベキューやるから一緒にどう?』って誘ってくれたから、来ちゃった」


 私はそれを聞いて納得し、そのままバーベキューに加わった。

 いつも胸元の開いた服を着ているA子は、途中で寒くなったのか、夫のスウェットパーカーを借りて堂々と羽織っていたが、私はそれを見ても何とも思わなかった。


 その後、バーベキューが終わって皆が帰ったが、A子だけ帰らず、「子供達が楽しそうで、なかなか帰りたがらないね」などと言って、我が家のリビングルームに一時間ほど残っていた。

 何も知らない私は、仕事でかなり疲れてはいたが、A子にお茶を出したりして話し相手になった。

夫はバーベキューの後片付けをしながら、その辺をウロウロしていた。


 その時、夫もA子もどのような気持ちでいたのだろう。

 夫の無神経さにも腹が立ったが、A子は私に対して何の遠慮も無く、常に堂々としていた。

 なんと図々しい女なのだろうと思うと、怒りで頭がどうにかなりそうだった。


 A子は夫の通夜にも、そして翌日の告別式にも子供達を連れて現れた。

 親族でもないのに通夜にも告別式にも参列する人はまれで、しかも子連れで来ていたので目立っていたらしく、後で母や姉にも、そして夫の両親にもどういう人なのかと訊かれた。

 その時は、二日も続けて参列してくれて有り難いと思ったが、今になってみると、図々しすぎるA子の振る舞いに怒りが込み上げてきた。




 それにしても、夫がA子の家に行っていたのを、誰も見ていなかったのだろうかと思った。

 小さな町だし、A子の家の辺りには私や夫の知り合いが何人も住んでいたのだ。

 私の耳には入っていなかったが、本当は周りの皆が知っていて、私を憐れんだり、笑ったりしていたのではないだろうかと思った。

 そんな風に考えると、絶望的な気持ちになり、そこに住んでいるのも嫌で、すぐにでも引っ越したい気分だった。




3.ヌード写真


 夫とA子の不倫の事は、母や姉にも、そして夫の両親にもしばらく話さなかった。

 夫が亡くなったばかりなのに、さらに皆に辛い思いをさせたくなかったし、私自身も話す気になれなかった。

 だが、しばらくしたら夫の両親に話す気になった。


 夫が亡くなっても、飲食店で働いている私が週末に仕事を休むわけにはいかなかったので、毎週末は夫の両親に息子の面倒を見てもらっていた。

 夫の両親も孫に会うのを楽しみにしてくれていたようだった。


 ある週末に仕事をしていると、義母から電話がかかってきた。


「いつもお父さん(義父)が○○ちゃん(息子)を家に送り届けてるんだけど、今日はもう、夕飯を食べながらお酒を飲んじゃったから、送れなくなっちゃったのよ。ごめんなさいね」


「大丈夫です。もうすぐ仕事が終わるので迎えに行きます。」


「あら、そう? 悪いわね。急がなくて大丈夫だから。ゆっくり迎えに来て」


 私はすぐに帰ろうとしたが、母と姉に仕事の事で話しかけられ、少し時間が経った。

 その後、夫の両親のところへ息子を迎えに行くために車を走らせていた。

 すると、私のスマホが鳴った。表示を見ると義父からだったが、運転中なので電話に出られなかった。

 一旦、着信音が鳴り終わったが、またすぐに鳴り始めた。また義父からだった。


 義父は超せっかちで、電話に出ないと何度も立て続けに電話をかけて来て、『なんですぐに電話に出ないんだ!』と言うタイプだった。すぐに車を停めて電話に出た。

 すると、義父はいきなり怒鳴り出した。


「おい! いったい何をやってるんだ!」


「えっ⁉︎ 何ですか?」


「だから! 何をやってるんだ! 子供が待ってるんだぞ! すぐに迎えに来ると言っておいて、何をやってるんだ!」


 義父はけっして悪い人ではなかった。それは今までの付き合いでよく分かっていた。

 だが、とにかくせっかちで待てないタイプだった。酒癖が悪いというほどではないが、お酒が入るとさらに気性が荒々しくなった。

 今までも、義父にカチンと来る事は何度かあったが飲み込んでいた。

 今までは夫も居たし、私よりも夫に言ってくることがほとんどだったからだ。 それに、義父には息子の面倒を見てもらったりと、色々とお世話になっていた。


 だが、今回ばかりは許せない、いや、これからはこんな事は許せないと思った。

 夫がもう居ないのだから、これから夫の両親のことは私一人で受けなければならないのに、こんな事をちょくちょく言われては堪らない。

 それに、夫に裏切られていたのに、その親からもこんな仕打ちを受けなくてはいけないのかと思った。

 私はそういう心の狭い人間だ。


 迎えに行くと、義父がもう一度『何やってたんだ!』と言ったので、さらに腹がたった。

 だが、私は歯を食いしばって『遅くなってすみませんでした』と頭を下げ、そそくさと息子を引き取って帰った。義母は申し訳なさそうな顔をしていた。




 後日、機会を見計らって、夫の両親に夫がA子と不倫していたことを打ち明けた。

 夫がした事なので、夫の両親を責めたかったわけではなかった。ただ、それを知って、少しは悪いと思ってもらって、嫌な事をあまり言わないようにしてくれればそれで良かった。

 だから、「不倫なんかしていたんですよ。しょうがない人ですよね、K男さんは」 という感じで軽く明るく話した。

 夫の両親は、私が話している様子を見て、それほど深刻ではないと感じたのか、あまり重く受け止めなかったようだ。


「K男は昔からそういう所があったのよね。付き合っている人がいるにもかかわらず、誰かに言い寄られるとそっちの方へ行くっていうのか……」と義母は言った。


「K男は俺に似てなかなかモテるんだ。どんな女だって?」と義父は聞いた。


「お通夜と告別式と両方に子連れで来てて……」


「ああ、あの女か。そんなにいい女じゃなかったけどねぇ」


「ああ、あの人! 告別式の日にも来てたわよね。二日間も連続で、しかも子連れで来てたから、なんか変だと思ってたのよね」と義母も言った。


 やはりA子は目立っていたらしく、二人ともよく覚えていた。そして、義母が言った。


「そういえば、二年くらい前だったかしら。K男が会社のETCカードで二回ほど〇〇インターまで行った時の請求が来たから、何しに行ったか聞いたら、『別にいいだろ。いちいちうるさいな』と言われて、変だと思ったのよね。あの時、その女の人に会いに行ってたのかしら」


 その高速道路のインターはA子の引っ越し先からほど近い場所にあった。やはり最近まで、夫はA子に会いに行っていたようだ。




 それから数日後、私のおかしな様子を母と姉に問い詰められて、A子の事を話した。


 母と姉は激怒した。

「お通夜も告別式も子連れで来て目立っていて、誰だろうと気になってたけど! 通夜振る舞いまで出席して、なんて図々しい女なんだ! このままじゃ気が治らないから、もらった香典を突き返してやる!」


 私は『もういいよ』と言ったが、母達は頑として譲らなかった。

 母はさっそくA子に電話をして、『話があるから時間を作ってほしい』と伝えた。

 A子はすぐに折り返し電話をすると言って電話を切ったが、その後、連絡は無かった。

 痺れを切らした母がもう一度電話をかけると着信拒否になっていた。そのまま逃げるつもりだったのだろう。

 母達はさらに激怒し、香典帳に書いてあったA子の職場先に電話をして、『時間を作ってくれなければそちらに行く』と言うと、A子が時間と場所を指定してきた。


 そして数日後、A子の職場の近くの喫茶店で会い、二人であれこれ責め立てて、香典を突き返してきたという。

 母と姉によると、A子はずっと斜に構えて母と姉を睨んでいたそうだ。

 そして、ボイスレコーダーでその時の会話を録音していたらしい。A子は母達に脅されて、多額の金銭を要求されるとでも思っていたのだろうか。




 それから何日か経ち、また夫の遺品を整理していた。

 また何かが出てきそうで嫌な気分だったが、ずっと整理をしないわけにもいかなかったし、何かしていないと気持ちが落ち着かなかった。

 古い音楽CDがたくさん入っている箱があり、全部捨ててしまおうとゴミ袋にCDを入れていると、下の方から処方箋の薬の小さな紙袋が出てきた。


—— えっ⁉︎


 また、胸がドキッとした。○○○○様とA子のフルネームが袋に大きく書かれてあった。

 処方された日付は三年ほど前で、近所の耳鼻科から処方された、スプレー式の鼻の通りを良くする薬のようだった。


—— 何故、こんな物が我が家にあるのか……


 私は色々と想像してみた。

 例えば、A子と夫が会った時、夫は鼻の具合が悪く、少し苦しそうにしていたとする。

 そこで、A子は後日、私がいない週末に我が家に来て、「この前、鼻の調子が悪そうだったけど大丈夫? K男のことが心配だわ。私が鼻の調子が悪い時、耳鼻科でその薬をもらって使ったらすぐに良くなったから、あなたもこの薬使ってみてね』とか何とか言い、いかにも体を気遣うようなそぶりをして薬を渡したのではないか。

 夫は思わず受け取ったが、こんなにでかでかと彼女の名前が書いてある処方箋の袋を私に見られてはマズイと、古いCDの下にとりあえずギュッと押し込んだ。

 そして、そのまま何年もその存在を忘れていたとか。

 おおかた、そんなことだろうと思った。実際、夫は鼻炎持ちで、耳鼻科によく行っていた。


 その薬の袋は大事にとってあったと言うより、数年分の埃をかぶってぐちゃぐちゃになっていた。

 薬自体は大した物じゃないのかも知れない。 だが、A子は中の薬だけを渡さず、わざわざ名前入りの袋ごと夫に渡したのだ。

 でかでかとしたA子のフルネームの字を我が家で見せつけられて、A子の我が家を侵害する強い意思のようなものを感じてゾッとした。


 A子からのあの手紙も、大事にとってあったと言うよりは、引き出しの奥でやはり埃を被っていた。

 恐らく、その手紙もA子から渡されたが処理に困り、引き出しの奥に隠したものの、その存在をすっかり忘れていたのではないだろうか。

 夫はそれほどにこまごました物を何でも取っておくタイプで、どこに何があるのか分からなくなっても不思議ではなかった。


 A子が夫にその手紙をいつ渡したのかはだいたいの想像がつく。

 おそらく幼稚園の卒園式の日だろう。その日はA子が自分の地元に引越しをする数日前だった。

 卒園式の夜、幼稚園のママ達は集まって飲み会をしていた。それは、その幼稚園の昔からの慣例だった。

 そこで、パパ達は『ママ達ばかり飲み会をしてずるい』と、その夜は子供達を連れて我が家に集まり、飲み会をしたのだ。


 私がそのママ達との飲み会を終えて帰宅すると、夫からA子も家に来て自分達と一緒に飲み会に参加して帰ったと聞いた。その日に我が家でパパ達の飲み会があると聞いて、自分も参加したいと言って、A子が急に家に来たのだそうだ。

 それを聞いて、「私ならパパ達だけの飲み会に参加しないけど、彼女らしいな」と思った。

 A子はセクシーで、男好きするタイプで、男の中に女一人が好きそうだと思っていたからだ。 それに、昔、A子がコンパニオンの仕事をしていた事も夫から聞いていた。


 おそらく、A子はその手紙を渡すために我が家に来て、その飲み会が終わった後に、自分だけ少し家に残って、手紙を渡したのではないだろうか。

 A子は引っ越す前に手紙を渡すことで、夫の気持ちを繋ぎ止めて、その後も何かと利用したり、相談に乗ってもらおうとしていたに違いない。




 それからしばらくすると、自宅の倉庫にあった箱の中から、A子のヌード写真が数枚出てきた。

 背景から察するに、二人でラブホテルに行って撮った写真だと思われた。

 一枚は、全裸で浴槽に入って、脇の下を見せるように両腕を上げてポーズをとっているA子の写真だった。

 他にも、A子が下着姿でベッドの脇に立ち、ブラジャーからわざとおっぱいをはみ出させているような写真が二枚あった。

 夫は写っていなかった。


 A子の勤務先は写真店だった。おそらく、夫がA子の携帯電話で画像を撮り、A子が自分の勤務先の写真店でこっそりとプリントアウトして夫に渡したのだろう。

 あの手紙や薬の袋と同じように、その写真は存在を忘れ去られて放置されていたかのように、埃をかぶっていた。夫の異常なほどの遺品の多さからすると無理もない。


 私はその日のうちに彼女の勤務先の住所を調べ、その写真を送りつけた。

 その写真を一秒でも家に置いておきたくなかったのと、私がそれを見つけて苦しんでいる事を知って欲しかったからだ。

 私は封筒にただその写真を入れて、A子様と書いて送った。


 A子の自宅に送った方が良かったのかも知れないが、住所が分からなかった。年賀状も調べたが、何故かA子からの年賀状にはずっと旧住所が書かれてあった。

 それに、夫の香典張にも住所を記入するところがあったにも関わらず、勤務先であるチェーン店の写真店の名前が書かれてあっただけだった。

 A子は万が一の為に予防策を取っていたのだろうか。もしバレてお金でも請求されたら逃げるつもりだったのだろう。小賢しい女だ。

それにしても、母と姉に会った時のボイスレコーダーの事にしろ、このようなことに慣れているのだろうか。


 何だか全てが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 夫やA子を決して許したわけではなかったが、それからしばらく経つうちに、なんとかこの事を受け入れようとしていた。

 夫と彼女は、お互いの寂しさや性欲を満たすだけのただの遊びだったのだろう。A子は私が羨ましかったのだろう。夫は私と別れたいと思っていたわけではなかったのだろう。

 そう思う事でなんとか飲み込もうとしていた。 そして、息子のためにも自分のためにも、前向きに生きていこうと思い始めていた。




だが、現実はそんなものでは済まなかった。





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